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2006/09/03

「暴力の循環を断ち切らねばならない」(ジョージ・ソロス、8月31日)

8月31日の英ガーディアンに、ジョージ・ソロスが「暴力の循環を断ち切らねばならない」という文章を寄稿していました。

ソロスについては説明不要だと思いますが、ウィキペディアへのリンクをはっておきます。

文章自体は主にイスラエルの行動についてのもので、このブログで扱っている「イラク」とは若干ずれています。(文中に例としてイラクのことが出てはくるのですが。)それでもこれをこのブログに投稿しようと思ったのは、「反ブッシュ」の大物中の大物が何を公言しているか、何をどう考えているかは、このブログに入れておきたいと思ったからです。

また、一応日本語化はしてみたものの、これは非常に粗い訳というか下訳相当のもので、英文として書かれているものを日本語にしただけです。つまり、事実とつき合わせてのファクトチェックをしていません。日本語化の作業で事実関係の把握に失敗した結果の誤訳などがありましたが、コメント欄でご指摘ください。というか、英語を日本語にするだでいっぱいいっぱいで、事実に関する点はみなさまがたのご指摘頼みです。よろしくお願いいたします。

We need to break this cycle of violence
暴力の循環を断ち切らねばならない

August 31, 2006 09:07 AM
原文:http://commentisfree.guardian.co.uk/george_soros/2006/08/
we_need_to_break_this_cycle_of.html


【粗い訳】

イスラエルがヒズボラを鎮圧することができなかったことは、「テロに対する戦争」という考え方の多くの弱点を示している。弱点のひとつが、たとえ標的がテロリストである場合でも犠牲となるのは事態と関係のない一般市民であることが多いということ、そして一般市民の苦しみがテロリストの大義を強化するということだ。

ヒズボラからの攻撃があるという前提で、ヒズボラの殲滅を望むこと、および、国境地帯でのミサイルの脅威に対し自己を防衛することについては、イスラエルは正当化される(十分な理由を有すると考えられる)。しかしながら、イスラエルは付随的被害を最小に押さえるために最大限の配慮をすべきであった。レバノンでの一般市民の犠牲と物質的損害によって、ムスリムも世界の世論もイスラエルに反対して燃え上がり、また侵略者であったヒズボラは抵抗の英雄へと変化した。レバノンを弱体化させたこともまた、ヒズボラを抑制することをますます困難にしている。

「テロに対する戦争」という考え方の弱点の2つ目は、それが軍事行動頼みであり、政治的アプローチをあらかじめ排除しているということだ。イスラエルは、レバノン政府およびパレスチナ自治政府と政治的決着を交渉するよりも、一方的にレバノンから撤退し、その後ガザから撤退した。ヒズボラとハマスの基盤強化はそういった方法の直接的結果である。「テロに対する戦争」の考え方は、「私たち」と「彼ら」をはっきりと分け、私たちの行動(actions)が彼らの行動(behaviour)を形作るかもしれないということを認めない。それゆえ、(一方的な軍事撤退がヒズボラやハマスを強化したという)事実を認める上で、「テロに対する戦争」の考え方が邪魔になっている。

「テロに対する戦争」の考え方の弱点の3つ目は、それは、テロリストの戦術を用いる別々の政治運動をひとまとめにしてしまうということである。この考え方をしている限り、ハマスとヒズボラとアルカーイダの区別はつかないし、イラクにおけるスンニ派の叛乱と(シーア派ムクタダ・サドル配下の)マハディ軍との区別もつかない。これらはすべて別々のテロの出現であり、別々の反応を必要としているというのに。ハマスもヒズボラも、単に「対テロ戦争」の標的として扱うことはできない。というのは、どちらも社会に深い根を有しているからである。さらにまた、両者の間には深い差異がある。

振り返ってみれば、イスラエルの政策が道を誤ったのがどこであるかを見極めることは簡単である。マフムード・アッバスがパレスチナ自治政府の議長に選出されたとき、イスラエルはいつものやり方を変え、アッバスとアッバス周囲の改革派を強化すべきだったのだ。

イスラエルがガザから撤退したとき、ジェイムズ・ウォルフェンソン世界銀行前総裁は、ロシア、米国、EU、国連から成る中東和平のための4者会議(the Quartet for the Middle East)に代わって、6点から成る計画(six-point plan)を交渉した。計画には、ガザ地区と西岸地区の間の検問所(crossings)を開き、ガザ地区に空港と港を開き、エジプトとの国境を開き、イスラエル人入植者が出て行ったあとの温室をアラブ人に引き渡すことが含まれていた。これら6点のうち、実行されたものは0件だった。

このことが選挙でのハマスの勝利に一役買った。ブッシュ政権は、選挙を開くようイスラエルを押しておきながら、ハマス政権と交渉はしないというイスラエルを支持した。その結果、パレスチナ人の苦難はますますつらいものとなっているのだ。

それにもかかわらず、アッバスは統一政府について、ハマスの武装部門との合意に何とかこぎつけることができた。しかし(シリアの首都)ダマスカスから指令を受けているハマスの武装部門が挑発を行い、その挑発がイスラエルの強硬な反応を引き起こし、イスラエルはお返しにヒズボラを刺激してさらなる挑発へとつなげ、第二の戦線を開いたのは、この合意をだめにするためであった。過激派はこのようにして、政治的進展の機会とあらば何でもつぶすために、互いに虎視眈々と自分たちの利を狙いつつ対抗しあうのである。

イスラエルもこのゲームに参加してきたし、ブッシュ大統領もイスラエルを無批判に支持してこの欠陥だらけの政策に参画している。この政策が暴力の拡大につながっていくことは、実際に起きたことが示すとおりである。そして事態は、イスラエルは疑いようもなく軍事的優位を握ってはいるが、そのことはもはやこの政策の負の結果に打ち勝つほどのものではないという点にまで進んできてしまっている。いまやイスラエルは、オスロ合意の時点と比較しても、ますますその存在において脅かされるようになっている。同様に、米国も、ブッシュ大統領がテロに対する戦争を宣言して以来、ますます安全ではなくなっている。

こんにちの政策は逆効果を招くものであると悟るべき時はもう来ている。パレスチナ問題の政治的決着なくして、ますます拡大する暴力の悪循環に終わりはない。事実、交渉に臨むだろいうという観測は、数ヶ月前よりも現在の方がよくなっているのだ。軍事による抑止はそれ自体では十分なものではない、ということを、イスラエルは悟るべきである。アラブは戦場で名誉を保ったので、妥協策にこれまでより前向きであるかもしれないのだ。

イスラエルは決して、弱い立場から交渉すべきではないという勇ましい声もかまびすしい。だがそれは間違っている。現在のコースに拘泥すればするほど、イスラエルの立場は弱まっていくことを免れない。同様にヒズボラも、勝利の感覚は味わったが勝利の実体は知らず(また、シリアとイランにけしかけられている)、強硬な態度に出るかもしれない。

しかしここで、ハマスとヒズボラの違いが重要になってくる。パレスチナの人々は平和と苦しみからの解放を熱望している。ハマスの、軍事部門とはっきり一線を画した政治部門は、人々の願いに答えねばならない。イスラエルが、よりバランスの取れたアプローチに向かっての第一歩として、アッバスが主導するパレスチナの統一的政府を後押しし、交渉するためには、まだ手遅れではない。ここで欠けているのは、「テロに対する戦争」の考え方に猪突猛進していない米国政府である。


単純なところでひとつ。日本語ではよく「暴力の連鎖」と言いますが、ソロスはcycle of violenceという表現を用いています。ソロスだけでなく、cycle of violenceという表現ではほかのところでもよく見る表現です。

実はcycle of violenceの日本語での定訳が「暴力の連鎖」です(→英辞郎)が、ここではあえて「暴力の循環」という表現を使いました。「暴力の連鎖」というのは、ソロスがここで提示しているものとちょっと違うような気がしたので・・・。

なお、辞書の定義では「連鎖」は「つらなりつづくこと。物がつながり、互いにかかわり合っていること」。cycleはa group of events which happen in a particular order, one following the other, and which are often repeatedです。

投稿者:いけだ