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2005/02/02

大阪市で写真展

大阪で2月19・20日に,ダール・ジャマイルさんの写真の展示を企画しておられる方からご連絡をいただきました。

写真展「ダール・ジャマイルが告発するファルージャの大虐殺」
日時: 2005年2月19日 (土)・20日(日),午前10時から午後5時
会場: 阿倍野市民学習センターギャラリー
最寄り駅: 大阪地下鉄谷町線あべの駅,JR天王寺駅
入場料: 無料

お問い合わせは
「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/
e-mail: stopuswar@jca.apc.org

「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」さんでは,各地での写真展開催のために写真パネルの無料貸し出し(無料)をされるとのことです。この点に関してのお問い合わせは,同事務局さんまでお願いします。

なお,ダール・ジャマイルさんは http://dahrjamailiraq.com/ から連絡を取ることができます。

2004年12月にも兵庫県でダール・ジャマイルさんの写真の展示をなさった方からご連絡をいただきました(そのときの記事)が,今後とも,写真展の企画などおありの方は,当方までご連絡いただければ,このような形で当ウェブログで告知をさせていただきます。

投稿者:いけだ
2005-02-02 23:07:54

選挙:ベトナムとイラク

ベトナムでは1967年米軍とその手先の軍事政権による「選挙」が行われました。反対派の参加などまったく許されなかったこのイカサマ選挙をニューヨーク・タイムズ紙をはじめとするメディアは賞賛しました。ラフール・マハジャンの分析より。

米国、ベトナムでの投票状況に勇気づけられる
ラフール・マハジャン
2005年1月31日
Empire Notes 原文

とても貴重なので皆さんにもお知らせしたい。ダイリー・コスのブロガーの一人が1967年9月4日付ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「U.S. Encouraged by Vietnam Vote: Officials Cite 83% Turnout Despite Vietcong Terror(米国、ベトナムでの投票状況に勇気づけられる:公式筋によると、ベトコンのテロにもかかわらず83%が投票した)」というお宝記事を発掘してくれた(事実を確認したい人たちのために言っておくと、Lexis-Nexisデータベースはこの頃の記事までカバーしていないが、ProQuestで入手することができる)。

次のような内容である。

米国、ベトナムでの投票状況に勇気づけられる:
公式筋によると、ベトコンのテロにもかかわらず83%が投票した
ピーター・グロース、ニューヨーク・タイムズ紙特約
1967年9月4日 二面

ワシントン発9月3日-米国政府筋は、投票を妨害しようとするベトコンのテロ・キャンペーンにもかかわらず南ベトナムの大統領選挙に多数の人が投票したことに驚くと同時に感動した。

サイゴンからの報告によると、585万人の登録有権者の83%が昨日投票を行なった。その多くはベトコンからの報復の危険を犯して投票したものである。

民衆の投票規模とベトコンが投票設備を破壊できなかったことから、まだ完全な結果はわかっていないもののこの選挙の初期評価に関する目立った事実である。

より詳細な報告を待っているため、国務省もホワイトハウスも投票いついてはコメントしていないし、軍の候補グエン・ヴァン・チュー中将と副大統領候補グエン・カオ・キ首相の勝利についてコメントはしていない。

選挙の成功は以前から、南ベトナムで立憲プロセスの発展を奨励しようというジョンソン米大統領の中核政策と見られてきた。この選挙は1966年1月に始まった立憲政治発展の頂点であり、ジョンソン大統領はキ首相と国家主席チュー将軍にハワイで2月に合ったときにそのために個人的に尽力すると約束していた。

投票の目的はサイゴン政府に正当性を与えることにあった。サイゴン政府はゴ・ディン・ジェムが軍事臨時政府により追放された1963年11月にクーデターと権力闘争の中で設立されたものだった。

当時の軍事臨時政府のメンバーはほとんど残っていない。大多数はその後の権力の推移によって追放されるか亡命に追いやられた。

米国政府の見解によれば、有権者がこの2年間南ベトナムを支配してきた将軍たちを支持したという事実は、今回の選挙という立憲プロセスの重要性を減ずるものではない。

南ベトナムの政治に長い間欠けていた自信と正当性を新政府は活用できるのではないかという期待がかけられている。この期待は少ない投票者数により消える可能性もあった。立憲プロセスの展開に対する無関心やベトコンによる投票妨害によって。

米国関係者は80%の投票率を期待していた。9月の立憲議会の投票率が80%だったのである。この春には、地方選挙の投票に78%の有権者が参加した。

大統領選挙の結果が明らかになる前に、米国政府関係者は、1年前の選挙と比べて投票所が2時間から3時間短い間しか開いていないので投票率は80%以下になるかも知れないと述べていた。83%の投票率は歓迎すべき驚きだった。1964年の米国大統領選挙の投票率は62%だった。

押収された文書と尋問から得た情報によると、先週、ベトコンの指導者たちの間でこの選挙を無意味なものとするために努力をつぎ込むことが必要だと認められていたことがわかる。その試みは、サイゴンの報告から判断する限り、成功しなかったようだ。

これは面白いが、むろん、類似は部分的なものである。類似点としては:

  • ベトナムの民族解放軍(NLF:南ベトナムに米国が据え付けた傀儡独裁政権に対して戦っていた解放軍)はこれらの選挙に参加することを許されなかった。同様に、イラクでもレジスタンスを代表するグループはない。南ベトナムのケースでは、自由な選挙ではNLFが大勝利を収める見通しが強かった(そして1954年のジュネーブ協定にしたがって1956年に選挙が行われていたら、解放勢力のベトミンが圧倒的な勝利を収めていた可能性が高かった)。一方、大多数のイラク人は占領に反対しているが、レジスタンスを代表する政党があったとして、それがどれだけの票を得ていたかは不明確である。
  • グエン・ヴァン・チューとグエン・カオ・キという「選出」された二人はクーデターによって既に権力を掌握し、南ベトナムの米軍の支援を受けまたこれと協力して軍事独裁体制を敷いていた。アヤッド・アラウィは米国の属州総督たるポール・ブレマーに拾い上げられ選挙のときまで独裁者として据えられた。また、SCIRIやダワ、KDP、PUKを含む投票を得そうな主要政治家は全員が米国により統治評議会に拾い上げられた人々でそれ以来米国の占領軍に支援されまたそれと協力していた。

さて、米国メディアがこれほどまでに賞賛した南ベトナムの選挙は徹底的なイカサマだった。チューとキは投票操作で自分たちの望むような得票結果になるようにしていた。公式の数字は実際の投票をまったく反映していなかった。国はチュー&キ政権と米軍による残虐な対ゲリラ作戦のさなかにあった。実際の支持者を有している人は誰も立候補できなかった。想像しうる限り最大限のイカサマ選挙だった。

ベトナムのときよりは少しマシかも知れない点がある。投票が正確に集計されないだろうことをはっきり示すものはない。諸政党は、南ベトナムよりも多少-とはいえ多くではない-自由にキャンペーンを行えた。イラクの場合は、キャンペーンに自由がなかったのは米国やアラウィ政府によるもの以上にレジスタンスによるものだった(とはいえアラウィは自分の権力を使って自分が常に好意的に報道されるようメディアを操作していたが)。

一方、今回の選挙は、独裁者が支配している国で市議会議員を選ぶ程度の重要性しかない。新政府は米国の意向に反対することなど実質的に何も許されていない。米国が気にしない些細な領域でわずかな自治を得るだけである。

ベトナム戦争を忘れている方のために補足。1954年のジュネーブ協定では、ベトナムを南北の軍事地域(政治体・国ではありません)に分けた上で、1956年に統一総選挙を行うことになっていました。選挙が行われると圧倒的にベトミンが勝利するとの諜報報告を受けた米国は1955年から南ベトナムでゴ・ディン・ジェム軍の訓練を開始。北ベトナム側の呼びかけを拒否し56年に軍事体制下でイカサマの「制憲議会選挙」を南だけで強行します(アイゼンハワー大統領は54年に選挙を行えば8割の人がホーチミンに投票するだろうと述べていたと記憶しています)。

その後北側による再度の全国選挙提案が拒絶され、北側が南の人々の武装抵抗支持を表明し、60年には南ベトナム民族解放戦線が結成され、米軍のアドバイスを受けた南ベトナム「政府」により「戦略村」(集中キャンプ)に人々が押し込められ、米国が軍事顧問としてではなく直接戦闘に参加しはじめ(1962年には米軍の「顧問」は4000人以上になっており、直接の戦闘行為に参加していました)、米軍とその傀儡による占領・軍事独裁体制が南で成立していました。この野蛮さに抵抗して仏教徒が抗議行動を起こし、クアン・ドク師が抗議の焼身自殺を遂げたことは当時大きく報じられたそうです(私はずっと後にそれを聞いたのですが)。

今でも、ベトナム戦争をめぐる安価に手に入る手頃な本は、本多勝一『戦場の村』(朝日文庫)だと思います。そういえば、日本の佐藤首相が、日米共同声明で、米軍によるベトナムでの大量殺害作戦に支持を表明していたはずです。


投稿者:益岡
2005-02-01 22:43:41

英軍ハーキュリーズ(C130輸送機)撃墜

BBCの記事の概略です。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4221521.stm
※日本時間で1日の午後2時ごろのものを元にしています。


【概略】
30日,バグダードの北西40キロの地点で,英軍ハーキュリーズ(C130)が墜落し,英空軍の軍人9名とオーストラリア人の兵士1人の安否が不明となっている。生存は絶望しされている。軍事行動が始まって以来,英軍にとっては最大数の犠牲者を出した。

10名の犠牲者のうち,名前があげられているのは,オーストラリア空軍のPaul Pardoel大尉(Flt Lt)だけである。イラクで任務についているオーストラリア軍人で最初の死者となったと考えられる大尉は,ヴィクトリア州の35歳。3人の子があり,英国に3年間在住していた。

大尉の母親のマーガレットさんによると,大尉は7月に退役してオーストラリアに帰国する予定だったという。「ある晩電話をかけてきてこう言ったことがあるんです――母さん,ここではどこにも隠れる場所がないんだ。ものすごく危険だよ。どこにも隠れられないんだから,って。」

ハーキュリーズが拠点としている英国ウィルトシャーの空軍基地では,死亡したと思われる兵士の家族には既に連絡してあるとしている。彼らの名前は火曜日(2日)に発表される見込み。

このハーキュリーズは,バグダードからバラドへ向かう途中だった。バラドにはイラクで最大の米空軍基地があり,米兵約25000人が駐留している。反乱者からの迫撃砲攻撃も頻繁だ。バラドには英軍は常駐しておらず,飛行の目的は不明。英軍SAS隊員を運んでいたという報道もあるが,英国防省ではこの飛行はルーティーンだったとしている。

アルジャジーラは,ハーキュリーズを撃ち落したのは自分たちだと主張する反乱者から寄せられたビデオを放映したが,ミサイルが飛行機に当たった瞬間は映されておらず,またビデオに映っているのがハーキュリーズであるかどうかは断定できない。英国防省はこのビデオが本物であるかどうかについては,「まったく証拠がない」とし,断定できないとしている。

アルジャジーラのスポークスマンは,このビデオは「1920年革命旅団」から寄せられたと述べている。「1920年革命旅団」とは,第一次大戦後の反英蜂起に因んだ名称である。


「1920年革命旅団」……後から考えたんじゃないかとすら思えるこの名称……ミサイルが当たったのが英軍だったから,英国のトラウマをぐりぐりする名前を使おう,と考えても不思議ではないのではないかと,根拠のない憶測ですが。

なお,私が東京でテレビやネットで見た限りでは,撃墜ビデオは「アンサール・イスラム」を名乗っているとか,「グリーン・ブリゲード」を名乗っているとか,見聞きしています。

にしても,バラドには英軍はいないはずですから,飛行目的が気になります。あと,オーストラリア軍の人がいたというのも。

詳細は英国時間2日に発表されるようです。

投稿者:いけだ
2005-02-01 21:31:30

女性の置かれている状況。

シーア派だスンニ派だクルド人だ,といったことに隠れてしまっていた「女性」の問題について,イラクの女性団体の英国支部長を務める在英イラク人女性の文章を。

元は英インディペンデントだそうですが,私はこれをシアトル(US)のウェブサイトで見たので,そのシアトルのものを原典とします。

女性にとっては選挙は残酷なジョーク
Iraqi women find election a cruel joke
Sunday, January 30, 2005
By HOUZAN MAHMOUD
GUEST COLUMNIST
http://seattlepi.nwsource.com/opinion/209809_iraqiwomanvote.html

私はイラク人の女性です。私は選挙をボイコットします。女性が投票をするということは,囚われの未来に投票をするということです。数十年間の専制政治ののちにやっと実現したのだと今回の選挙を支持する人たちは,ついにデモクラシーという形態が到来したと言います。不完全だが,それでもデモクラシーではないかと。

現実には,イラクの女性たちにとっては,今回の選挙は残酷なジョークも同然です。サダム・フセインの失墜以降,自爆攻撃や誘拐や米国主導の軍事攻撃が打ち続いていますが,ほとんど報道されていない現象があります。イラクの女性に対する迫害が急激に増加していることです。女性たちは,中世の野蛮な状態を回復しようとしているイスラム主義集団の新たな犠牲者です。女性のエンパワメントのことなどほとんど考えてもいない政治的エスタブリッシュメントの犠牲者です。

イラクの女性たちは,何年にもわたって他の中東諸国の女性たちよりも大きな権利を享受してきましたが,今では基本的な自由さえ失いつつあります――着るものを選ぶ権利,自分の思う相手を愛し,その人と結婚する権利などを。むろん,サダム政権下で女性たちは大変な辛苦を強いられていました。私はサダムの残忍な統治から逃れたのです。私は私自身の目で,多くの残虐を目撃しました。しかし,女性を服従させることが,バアス党の目的であったことはありません。今,私たちが目撃しているのは,深く懸念を抱かせるものです。非難を浴びている占領と,堂々と反動的なことをするイスラム主義武装暴動が,イラクを新たな暗黒時代へと連れて行っているのです。

毎日,国中でリーフレットが配られます。女性たちにヴェールも被らずに外出するべからずとか,化粧などするのではないとか,男性と一緒にいてはならないと警告する内容のものです。大学の多くの女子学生たちは,イスラミストから自身の身を守るために,勉学をあきらめてしまっています。

新たな規範は――イスラム主義過激派によって銃を突きつけられて強要されているのですが――女性のことを,栄誉と恥辱の詰まった容器だと見ることです。それも,家族や部族としてだけでなく,国として。ケン・ビグリーさんを拉致した者たちは,邪なことに,女性の囚人たちの解放をもってイラクの「栄誉」を取り戻そうとしました。いったいいつから,イスラム主義集団が――人質を取ったり拷問をしたり殺害しているその人々が――イラクの女性の権利を気にかけるようになったのでしょうか?

アナヒードの場合はこうでした。アナヒードはバグダードのニュー・バグダード地区で木に吊るされ,最初は父親(何と,事務弁護士/行政書士です)によって撃たれ,それから彼女の部族の者たちによって1発づつ撃たれました。そしてさらに,ばらばらに切り刻まれたのです。

これは部族の名誉を汚した恥を濯ぐためでした。彼女は愛していた男性と結婚したいと思っていたのです。これが起きたのは2003年の終わり,「解放」から何ヶ月も経った後のことでした。

この6ヶ月で,モスルだけで少なくとも8人の女性が殺害されています――すべて女性の自立を潰そうとするイスラム主義集団によるものと思われます。モスル市の法律学校の教授も殺害された女性のひとりです。彼女は打たれて斬首されました。出勤途中の獣医も殺害されました。Alkhansah病院の薬剤師は玄関先で撃ち殺されました。

占領は,こういった女性に対する新たな暴力を噴出させました。独自の変化をした事例もあります。イラク人女性は,刑務所で,米兵によって拷問されています。性的虐待について口にすることは,イラクでは極めて強い社会的タブーであり,これらの女性たちは釈放されても誰にも頼れないということはほぼ間違いないでしょう。

Methal Kazemは占領者によってどのような扱いを受けたかを公に口にしている女性のひとりです。昨年2月,米軍ヘリが彼女の家の屋根に着陸しました。彼女はフードをかぶせられ,手を縛られて,アブ・グレイブに連行されました。

以前バアス党秘密警察の女性警察官であったことで告訴され,彼女は角の尖った砂利の上を走らされ,縛り上げられて吊り上げられ,ほかの収容者の悲鳴を強制的に聴くようにされました。ある男性が何度も「私の名誉に触れるな」と叫ぶのを聞き,そして,その男性の妻が男性の目の前で強姦されているのだとわかりました。

昨年6月,連合軍が暫定政府に主権を委譲した際に,アムネスティ・インターナショナルが主張したように,囚人も引き渡すべきだったのです。しかしそうせずに,彼らは2000人以上を,容疑もなく,不法に拘束してきました。この中に女性は少ないでしょうが,それでも数千人もの妻や母親や姉妹たちが,苦痛と絶望の中に取り残されるのです。

また,米兵がイラク人女性を強姦したということも,私は本当だと思います。しかし,彼女たちはそのことを口にしようとはしません。もししゃべれば,自分の家族によって殺されるかもしれないからです。イラクにいる私の知人がカウンセリングをしている女性に,Liqaaという人がいます。イラク軍の女性兵士だったのですが,2003年11月にある米兵に強姦されました。残酷な真実ですが,もしも彼女が自宅に戻ったら,家族のうちの男性たちが彼女を「不名誉」のために殺害するかもしれないのです。

もしもイラクの女性たちが選挙に参加するとしたら,誰に投票するでしょうか?

ほとんどの候補が女性の権利など無視しています。米国政府は,イラクを反動的で自民族中心主義の宗教エリートによって統治させて平気でいるようです。

ひとつほのかな希望がありあます。強姦と誘拐に反対する勇気あるデモンストレーションが行なわれているのです。9月には,女性たちの抗議が占領反対の抗議と合わさって,すべてのイスラム主義民兵集団に町から立ち去るよう求め,女性にとって安全な町をと声を上げました。この新しい,女性主導の非宗教的進歩的運動は,暫定政府に反対し,政治的イスラムの暴力と抑圧に反対しています。私たちを支持する人たちは,このうさんくさい選挙を公に放棄し,本当に自由なイラクのために行動します。

*********************
筆者のHouzan MahMoudは英国在住のイラク人で,「イラクにおける女性の自由の組織」の英国支部長。この記事の初出は,英国のインディペンデント紙である。


投稿者:いけだ
2005-02-01 21:27:59

「報道ステーション」で映像が流れました。

今日(1月31日),午後10時くらいから「報道ステーション」を見ていたら,ファルージャ避難民キャンプの映像が流されました。

ごく短い映像でしたが,非常に凄惨な映像もありました(画面全体にぼかしがかかっていました)。以下,エディタで取ったメモを,判読できるように清書しました。途中でキー操作を間違えてしまって手間取っていたので,メモが取れてない箇所もあります。

**********
「選挙は成功」というブッシュ米大統領,ブレア英首相の映像,およびフランスのシラク大統領のコメントに続いて……
**********

ファルージャ近郊,人々が避難してきている。大人も子どももいる。子どもが多い。特に14~5歳くらいの男の子。学校のような感じの建物? それが避難民のキャンプになっている。

インタビュー:
男性(40代くらいか?)「電気も水もない。」
女性(白いロングドレス,頭は黒いスカーフですっかり覆っていて顔は隠されている)「夫はアメリカ軍に連れて行かれた」

群集の映像(男性たち)
トラックからおろされる黒っぽいビニール製(?)の袋=ボディバッグ
「遺体が返されているのだ」という説明。

ところどころ映像にぼかしがかかる。
ボディバッグからのぞく骨。
頭を撃ち抜かれた遺体。(ぼかしのため,何がうつっているのかわからない。)
義足(ひざから下)が傍らに転がっているボディバッグ→「障害者であることがわかる」というナレーション。
さらに「足を縛られた遺体も」というナレーション。(映像にぼかしがあるために,はっきりとはわからない。)

※ここらへんでキー操作ミスして手間取っていまして,
画面に字幕で出た「4割 6割」という数字のどちらが「民間人」でどちらが「武装勢力」なのかのメモを取れませんでした。
******************************************
→追記:コメントで教えてくださった方がいました。
> 『死体の、4割が民間人で、6割が武装勢力』とテロップには映し出されていました。
とのこと。
あと,追記ついでに思い出したこと。「遺体には女性・子ども・老人も」ということもナレーションもしくはテロップで伝えていました。
******************************************

ナレーションで「ファルージャには28の区画があるが,これらの遺体はそのうちの6区画から」。「残り22区画は手付かずである」というようなこと。

映像,たくさんの人々(男性たち),細長く掘られた地面,下ろされる遺体,「お父さん……」と泣く青年(20歳くらいという印象)

「埋葬中も空爆が」というナレーション。画面,遠景に白い煙(キノコ状にもくもくと立ち上っているもの)。人々はそれをじっと見つめている。(「力なく見つめている」という印象。)

映像終了。スタジオ。
古館キャスター「2つの映像を見ると,疑問が」というコメント。
コメンテイター(いつもの人)……メモ取ってなかった。。。


投稿者:いけだ
2005-01-31 22:25:12

※コメント欄に寄せられた,この映像が流れる前の古館アナウンサーのことば:
「イラク人が解放されたなんていうことは、アメリカが言うような綺麗事は間違ってもないんだと思わざるを得ないのは……みなさん、去年11月に米軍がやったファルージャ掃討作戦を思い出していただきたいと思います。…武装勢力が本拠地にしているということで、米軍はファルージャという街を叩けるだけ叩いたんですが、現在はメディア、マスコミはこの街に一切入れないようになっていて、我々報道でもその映像を見ることはこのところ少ないわけですが、まさに地獄です、このファルージャの今の街は。ファルージャ市民が撮った映像、街の様子を入手しました」

重要なのは選挙の次に何が起きるかだ(Raed Jarrar, 30 January)

さっきつけていたテレビで「投票率75パーセントという発表も」というのを聞いたような気がするのですが(幻聴かも?),そんな発表があったのだとしたら,何の75パーセントだというのだろう,という感じです。

選挙関連ではいくつか日本語にしたい記事があるのですが,追いつきません。申し訳ない。

以下はRaed Jarrarさんウェブログとのダブルポストです(最後まで)。

2005年1月29日(土)の記事
※Raedさんの投稿時間は,おそらく米国の時間だと思います。現地(ヨルダン)では30日の投稿です。(日本から更新状況を確認した上での判断。)

http://raedinthemiddle.blogspot.com/

Saturday, January 29, 2005

地獄の扉にて
米国に拠点を置くゾグビー・インターナショナルの調査によると,スンニ派の82パーセントとシーア派の69パーセントが,「直ちに,もしくは選挙された政府が固まり次第」米軍には撤退してもらいたいと思っている。

選挙というものは,大衆参加すなわちデモクラシーのメカニズムのひとつの,小さな部分だ。そして,デモクラシーそれ自体が,国家(state)という巨大な経済・社会・文化の複合体の小さな部分だ。

今おこなわれている,時期尚早のイラクの占拠は,一大イベントとして,ピークとして,今起きていることとして,マーケティングされている。あたかも,選挙の日の後にはすべてが終わるというかのように! これではまるで,陳腐な恋愛映画だ。恋人同士が結婚してめでたしめでたしで幕引きっていうパターン。

ロマンチックなイラクの選挙は,地獄の扉を開くだろう。南部のシーア派の過半数が「待っている」状態なのだとすれば,彼らは選挙がハイジャックされたら「待ち」の姿勢を解除するだろう。北部のクルド人がイラクからの「独立」を問う「非公式」のレファレンダムを行なえば,北部でもクルド人とアラブ人が「待ち」の姿勢を解除するだろう。政府からスンニ派が完全に閉め出されたら,彼らは引き続き「待ち」の姿勢など取らずにいるだろう。

重要なのは選挙ではない。重要なのはその次に何が起きるかだ。イラクの人々が占領軍にイラクから立ち去ってほしいと言うとき,そしてイラクの14の恒久的軍事基地から立ち去ってほしいと言うときに。シーア派がブシュタニ【←「シスタニ」のこと】に,なぜ占領軍の側に立っているのですかと訊くようになったときに。

今回の選挙は,地獄の扉を開く。

Posted by: Raed Jarrar / 1:17 PM
*translated by: nofrills, 31 January 2005

*追記
Raedさんのところのコメント欄の一番上にポストされていた記事(彼のとこのコメント欄は米国人同士の罵り合いが圧倒的に多いのであまり読んでないんですが):
Iraqi Shi'ite Cleric Urges Election Boycott
「シーア派指導者が選挙ボイコットを呼びかけ」という見出しです。タイムスタンプはSat Jan 29, 3:36 PM ETになってます。

一瞬ムクタダ・サドル師かな?と思ったのですが,そうではなく,「アヤトラ」であるAyatollah Ahmed al-Hassani al-Baghdadi すなわちアハメド・アル=ハッサニ・アル=バグダディ師でした。

...

Baghdadi, one of the few Shi'ite clerics openly to oppose an election that is expected to cement the long-oppressed Shi'ite majority's newfound political power, said a timeline for the withdrawal of U.S. troops and scrapping the interim constitution that embraces federalism should precede a poll.

"I believe these elections will fail as most Iraqis will boycott because of the lack of security and calls for federalism ... I call on my people to boycott the elections," he said in an interview at his home in Najaf.

*snip*

While he has far less influence than Sistani, who is deeply revered among Shi'ites, Baghdadi's rejection of elections reflects the simmering resentment of some Shi'ites for U.S. forces in the country, which face an insurgency led by Sunni militants and Saddam Hussein loyalists.

*snip*

Sadr's movement is not officially running in Sunday's polls, but has not told followers to boycott them, though some plan to do so.

But many of the Sunnis who make up about 20 percent of the population, facing violence and intimidation in their heartland and feeling increasingly marginalized since the U.S.-led war, are leading a boycott.

Baghdadi condemned elections under the gaze of U.S. tanks as a mockery, slammed the cleric-politicians who are running for office and urged Iraqis to unite to expel American forces.

"Resistance will continue even if both Sunnis and Shi'ites go to the polls," he said. "These elections will fail. Elections with lax security, under the interim constitution, have no legitimacy."

"I am a son of Iraq and I call on all Christians and Muslims to expel the Americans from Iraq," he added.


一方,大アヤトラのシスタニ師関連ではこんな話が……ラフール・マハジャンのウェブログより。
http://www.empirenotes.org/january05.html#29jan051
Now, according to the Institute for War and Peace Reporting's reporters in Basra, he has come out openly:

Hayder al-Safi, spokesman for Sistani’s representative in Basra, Ali Abdul-Hakim al-Safi, said on January 28 that Shia leaders are urging people to vote for the United Iraqi Alliance, listed as number 169 on the ballot sheet. "Anyone that votes for List no. 169, I will answer for them before God,” said al-Safi, quoting the words of Sistani. “And anyone who will vote for other lists will answer before God."


I think that's pretty definitive. Vote for 169 or you're damned. Sistani should worry -- he's on track to descend to the level of Pat Robertson and Jerry Falwell.

I'm not sure how much more of this democracy -- in American and in Iraq -- the world can take.


つまり,シスタニ師は「リストの169番に投票しなさい。そうすれば誰であれ神にご報告しておく」ということを言っている,ということですね。それを解釈すれば,「169番に投票しなければ地獄行きだ」と。

投稿者:いけだ
2005-01-31 02:27:17