バグダード日記----爆弾と血の一週間
パトリック・コックバーン
2005年5月6日
CounterPunch原文
5月3日
警察のパトロールを狙った爆発で燃え上がったビルからバグダードの空に炎と煙が立ち上った。警察のパトロールではなく、通行人6人が殺され、7人が怪我をした。
「電気商品店の外に朝から駐車していたミニバンがあった」と軽食スタンドのアブ・ザハラは言った。「10時に、その車が爆発し、私は地面にたたきつけられた。煙で窒息しするところだった。少なくとも5人の遺体が路上に散らばっているのを見た」。
一報、米軍とイラク軍は、北部の町タルアファル----過去に大きな戦闘があったところである----を封鎖し、外出禁止令を敷いた。週末に、自爆爆弾がクルド人政治家の葬儀テントに突入し、30人を殺害し50人を負傷させたあとのことだった。
この1年間イラクで続いている暴力の規模は、3月4日、米軍が人質となっていたイタリア人ジャーナリストジュリアナ・スグレナを救出したイタリア人治安要員ニコラ・カリパリを射殺した事件に関する米国の報告でも強調されている。
この報告書は、2004年7月から2005年3月末までに、連合軍----ほとんどが米軍----に1万5527回の攻撃があったことも明らかにしている。11月1日から3月12日の間にバグダードでは約2404回の攻撃があった。
この報告書を米国が最初に発表したときには、大きな検閲を受け、微妙な情報は伏せ字にされていた。けれども、イタリア人のコンピュータ専門家が、この検閲は容易に解除できることに気付いた。
この検閲を受けていない軍の報告が描き出す状況は、ペンタゴンが米国のメディアに語る楽観的見解と鋭く対立している。
先週起きた複数の爆破は、ゲリラが、イラク全土で、ほとんどの場合民間人の犠牲を意に介さないで行う攻撃の力をまったく失っていないことをはっきりとしめしている。1月30日の選挙以来の3カ月で、米国人犠牲者の数が減ったため、ゲリラ戦が衰退しているのではないかという関係者の楽観的見解が生まれた。
けれども、イラク人上級治安士官に対する暗殺計画は増加しており、それらは士官たちの行動に関する正確な情報にもとづいたものである。昨日の爆弾により、内務省管轄の警察突撃隊司令官フライフ・ラシード少将と二人の部下が、バグダード北部のフリヤ地区で軽い傷を負った。ラシード少将の車列がある場所を通過したときに爆弾が爆発した。
バグダードのザユーナ地区で爆発した第三の爆弾は警官二人を殺し、10人の人々を負傷させた。
一連の爆弾----そのうち約17はバグダードで爆破した----のどこまでが、シーア派とクルド人が支配的な新政府の構成に対する対応であるのかははっきりしていない。ゲリラの屋台骨であるスンニ派コミュニティはほとんど閣僚ポストを得なかった。
ゲリラは現政権への参加よりも米国との直接対話、米軍撤退のタイムテーブルとバアス党再建の権利に関心をもっている。スンニ派アラブ人の町や都市では、いわゆる新バアス党が姿を現しつつあり、優れた組織力を誇っているという。
タルアファル----モスルの西にあるシーア派トルクメン人が多い町----でのクルド人の葬儀に対する攻撃は、この地域での派閥と人種の相違をより鋭くするだろう。爆撃者は、クルディスタン民主党(KDP)の党員で3日前に暗殺されたサヤド・タレブ・サヤド・ワハブの葬儀に集まったクルド人に突入して自爆した。
クルド人は、タルアファルをレジスタンスの拠点と見なしている。KDPの指導者でモスルの副市長であるハスロ・ゴランは、葬儀への襲撃前に、「そこには250人を超える危険なテロリストがいる」と言っていた。彼はタルアファルへのイラク軍の攻撃に米国の支持を得ようとしていた。
ゴラン氏は、共同攻撃を提案したとき米軍はそれを共感して聞いていたと述べる。地域には、全員がクルド人からなるイラク国家警備隊の二部隊があり、おおむねシーア派からなる警察突撃隊「狼」の支援を受けている。
米国にとって問題なのは、北部イラクの政治的相違は、クルド人とトルクメン人、スンニ派アラブの人種的相違に基づいていることである。クルド人は、モスル西部のシンジャルという土地に戻っている。サダムによりクルド人が撤去させられた地域である。
5月5日
爆発物を体にくくりつけた一人の男が、イラク北部のクルド人の町アルビルで若者の群衆の中で自爆し、60人近くを殺し150人を負傷させた。人々は、警察で仕事を得るために並んでいるところだった。
死者の黒くなった死体が、クルディスタン民主党(KDP)事務所前で血の海の中に散らばっていた。この事務所はリクルート・センターとしての役割も果たしていた。救急車や個人の乗用車が重傷者を病院に運ぶために路上を疾走していた。
昨日、医者たちが怪我人の治療を行なっている中、取り乱した親戚が病院に押し掛け家族のメンバーを探していた。病院のスタッフは拡声器を使って犠牲者の名前を発表し、怪我人がどの部屋にいるか人々に伝えていた。
先週インディペンデント紙に、アルビルで自爆攻撃がまた起こりうるか問われたイラク・クルディスタンの内務相カリム・シンジャリは、その可能性を除外することはできない、「なぜなら自爆攻撃者を止めるのはとても難しいからだ」と述べた。「ここには彼らの細胞はないので」、自爆攻撃者たちは近くのモスルやキルクークからきていると彼は考えている。それらの町ではアラブ人とクルド人の間で戦争が起きつつある。アルビルの公共建造物の治安はバグダードと較べて弱い。
レジスタンスの中で最もよく組織され最も危険なグループの一つ、アンサ・アル=スンナ軍は、昨夜、爆撃を行なったのは自分たちであると声明を発表した。
インターネットの声明で、アンサ・アル=スンナ軍は次のように述べている:「この作戦は、お前達の監獄で拷問を受けた我々の兄弟たちへの報復であり・・・・・・十字軍に降服してムスリムの棘となった不信心のペシュメルガ軍(クルド人武装組織)への報復である」。
バグダードの悲観的ムードは、自爆にもかかわらず有権者が投票を行なった1月の選挙後の、誇張された安心感----確実にシーア派コミュニティの中にはそれがある----から来ている。さらに、拘束されたゲリラがテレビで告白したことにより、暴力が弱まっているという考えが生まれていた。逆に、暴力は悪化した。
バグダードではゲリラは人気がないけれども、多くのイラク人は、イラク人警察や軍ではなく米軍兵士を攻撃することは合法であると思うと言っている。
選挙後、電気供給は1日6時間に減ったが、現在は12時間に恢復した。3月には洪水によりバグダードの多くの家が雨水と下水に水浸しになった。「叔母は3日間にわたって家から避難しなくてはならなかった」と機械工のアリ・フセインは言う。
政治はますます悪化している。商人のカリム・アブドゥル・ラフマン・アル=オベイディは、車の部品を売る店の壁に、次のような知らせを掲げている:「歓迎しますが、政治状況については話さないで下さい」。政治について話すとケンカになると彼は言う。
5月6日
車の燃えた残骸が、バグダード南部でのゲリラの攻撃の跡を見せている。そこでゲリラは、警察の車を銃弾で穴だらけにし、運転手が中にいるままに燃料をかけて火を放った。
攻撃が起きたのは首都のアル=シェバブ地区、昨日の朝6時で、警察が青と白のパトカーで検問所を設置していたときだった。発砲が終わったときには、さらに9人の警官が殺され、今年殺されたのは616人となった。ほかに、警官が二人負傷した。
この戦闘は、イラク全土で毎日起きているゲリラとイラク治安部隊との典型的な戦いであるが、多数が殺されたとしても、ほとんど報じられない。
誰一人名前をあげたがらなかった地元の人々は、警察はしばしばアル=ダルウィーシュ・ラウンドアバウトのそばにしばしば検問所を設置すると述べた。アル=シェバブは下層中流階級の住宅地であり、多くの人々が政府の事務仕事に就いている。この地区は政治的に戦闘的でないとされており、シーア派とスンニ派の人々が混じっているが、バグダード南端の強硬なゲリラ地区マフムディアやラタフィヤからやってくるのは簡単である。
軽武装しかしていない警察にはあまりチャンスはない。数時間後、不動産屋の店舗前のコンクリートの舗道に、血痕とカラシニコフの銅製薬莢が残された。不動産店舗のオーナーは黙々と壊れたガラスを掃除していた。彼は自分の店のドアに開いた10数個の穴を指し示した。銃弾は金属製のドアを貫通して壁をけずり、客が座る緑色のソファーを引き裂いていた。
「銃声を聞くと我々は皆とても怖くなる」と、この攻撃を目撃したある隣人----茶色い裾の長いローブを着ていた----は語る。「銃撃が終わってすぐに出てきたが、警察官が一人路上で死んでいるのを見つけた。脇腹を打たれたもう一人は這っており、私は彼を助けようとした」。
高速道路の逆側で、彼は、ガンマンたちが、中に人が一人いる警察の車に燃料をかけているのを目撃した。
ある証言によると、ゲリラたちはトラックに重マシンガンをつんでおり、警察が使う武器をはるかに凌いでいたという。さらに車から発砲した者たちもいた。襲撃があった場所は、バスやローリーを停泊させるための空き地のそばで、その空き地がガンマンたちに隠れ場所を提供する。
イラクでの戦争は、ゲリラと米軍の戦いから、ゲリラとイラク軍・警察の戦いへと移行している。来年の末に派、米国は、30万人のイラク人兵士と警察の訓練を完了することを期待している。
警察・軍の新兵のほとんどはシーア派かクルド人であり、戦闘は派閥間の争いの様相を増してもいる。サダム・フセインの旧軍の士官部隊は4分の3以上がスンニ派だった。
バグダードで昨日の朝、暴力的に死亡したのは、アル=シェバブ地区で銃撃を受けた警察たちだけではなかった。軍のリクルート・センターを自爆攻撃が襲い、11人の青年が殺され6人が負傷した。
「我々が並んでたっていたとき、守衛に質問をしたいかのように重警備された入り口に一人の男が向かって行った」と列の末尾にいたアンワル・アスフィは言う。「突然爆発が起き、私は倒された」。
ガザリヤ地区で政府職員を狙った暗殺未遂事件では、爆発した車により警察官がもう一人死亡し、6人が負傷した。
イラク北部でも民族間の分断が深まっている。水曜日(4日)にクルド人の町アルビルの警察リクルート・センターの外で起きた自爆攻撃についてはアンサル・アル=スンナ軍は犯行声明を発表し、米軍兵士の側で戦っているクルド人ペシュメルガへの報復だと述べた。
*昨年ファルージャで、負傷し非武装だったイラク人を射殺したシーンがビデオに取られた米軍海兵隊伍長は軍事裁判にかけられないこととなったと海兵隊は発表した。名前を明かされていないこの伍長は、自分は自衛のために3人のゲリラを射殺したと述べた。海兵隊の声明は、この伍長は「AIF[反イラク兵士:ママ]・・・・・・が脅威だったと信ずる妥当な理由があったかも知れない」としている。
BBCやアルジャジーラ、一部の日本の新聞などでも報じらることがありますが、激化するイラクでの暴力の断片を集めたもの。
投稿者:益岡