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2005/08/26

オンライン写真集「見えない戦争」/アブ・グレイブのカルピンスキーが語る(記事紹介)

truthout.orgに掲載されている11枚の写真のキャプションと,アブ・グレイブ関連の情報(新たな写真が出るかも),そしてカルピンスキー元中将のインタビュー記事の紹介。

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Truthout.orgにIraq: The Unseen Warという記事が掲載されています。
http://www.truthout.org/docs_2005/082305O.shtml

その記事に付属している写真集のキャプション(解説)の概略を,日本語にしておきます。(米軍の部隊名などは日本語にする作業をサボりました。)

写真集は全部で11枚です。いずれの写真も,死体や流血を含むショッキングなものです。

写真集は下記URLで閲覧できます。左側のフレームにサムネイルが表示されるので,それをクリックしてください。
http://www.truthout.org/imgs.art_01/iraqgallery/082305iraq.htm

1: Marco Di Lauro / Getty Images
米海兵隊員と反乱勢力だと疑われたイラク人の遺体。ファルージャにて,2004年11月9日。※ズボンがアディダスの3本ラインの意匠ですが,これはイラクの人の写真で本当によく見ますね。

2: Stephanie Sinclair / Chicago Tribune
モスクの作業員がLamiamah Ali(6歳)の遺体の埋葬の準備をしている。4人のきょうだいでバグダードの自宅の外で遊んでいたところに米軍のクラスター爆弾が爆発した。4人のうち2人がその日に死亡し,もうひとりも後になって死亡した。2003年4月26日撮影。

3: Wathiq Khuzaie / Getty Images
2004年6月14日,自動車爆弾の現場で負傷し,助けを求めるイラク人男性。その日のラッシュアワーに,バグダードの最も混雑したスクエアを一般市民のSUV(西洋の請負業者が好む車種である)3台が通り掛ったときに自動車爆弾が爆発した。この爆発で数十人が負傷した。

4: Mitchell Prothero / WpN
2004年9月5日,米軍のムクタダ・アル=サドルの民兵との間の戦闘に巻き込まれて負傷したAli Abbas(6歳)が,痛さのあまり泣いている。「アメリカ人が戦っているテロリストの顔を,アメリカの人たちに見ていただきたい」と,父親のAbbasは言った。

5: EPA - Stefan Zaklin / Landov
2004年11月13日,ファルージャで反乱勢力が拠点としていた家屋の台所の床に死体となって横たわっている米兵。この米兵はこの部屋に入ったときに,反乱勢力に射殺された。ほかに2人の米兵が負傷したが,脱出した。

6: EPA - Mohammed Messara / Landov
2004年9月9日,ファルージャに対する米国の空襲で死んだ赤ん坊の死体を運ぶイラク人たち。この日の夜間の爆撃で少なくとも5人のイラク人が死んだ。

7: Karim Sahib / Getty Images【特にショッキングです】
2005年6月19日,バグダードのレストランの中で自爆したと思われる人物の遺体の断片の周囲に集まるイラク兵と警察官たち。5人の警官を含むイラク人10人がこの攻撃で死亡した(内務省筋の話)。

8: John Moore / AP Photo
2004年11月9日,バグダードの軍病院で死亡を宣告された米兵のために祈る,米軍のイスラム教聖職者(右)。この米兵はバグダード市内で反乱勢力との銃撃戦で致命傷を負い,軍の看護士長(左)の救命措置もむなしく死亡した。

9: Ghaith Abdul-Ahad / Getty Images
10: Ghaith Abdul-Ahad / Getty Images
2004年9月12日,バグダード,ハイファ・ストリート。※状況などについてはガーディアンに掲載されたGhaithの記事をご参照ください。端的にまとめると,早朝に米軍のブラッドレーが何者かに襲撃され炎上,地域住民らが様子を見に集まったところに,米軍ヘリが到着してミサイルを発射した,という事件です。

11: Benjamin Lowy / Corbis
暴力/攻撃が常態となっていた2003年7月21日,バグダードの病院のモルグの床に横たわるイラク人の遺体。彼らは身元を照会されておらず,誰もそばについていない。


すべての写真が凄惨です。そしてすべての写真が現実を写したものであり,同時に,すべての写真が写真のプロフェッショナルによる完成した表現です。

また,写真といえば,アブ・グレイブの別の写真を,ACLUが入手しているのですが,これが既に明らかになっているものよりひどい写真であるとのこと(襲撃,レイプ,性行為強要……だそうです)。ペンタゴンやマイヤーズ司令官は,これらの写真を何とか公にすまいと「捕虜の写真を公表することはジュネーヴ条約に違反するから」とか「(あまりひどい写真を公開すると)アルカーイダのリクルート活動に利することになってしまうから」とかいったおもしろいギャグをかましてくれるほどでしたが,8月第3週にNYの判事が,ペンタゴンは写真を隠している理由を公的に説明しなければならないという判断を下したそうです。判事のAlvin Hellersteinさんは,情報公開すべきとの判断を下したとコメントしています。最終裁定が8月30日だそうです。
http://www.truthout.org/docs_2005/082305Z.shtml

ACLUについては,当ウェブログの過去記事などもご参照ください。
- ACLU、ラムズフェルドを訴える ( 2005-04-07 )
- 「拷問/虐待」とサンチェス中将,アブ・グレイブとCIA( 2005-04-05 )

さらに,アブ・グレイブといえばカルピンスキー中将(当時の責任者で,今は軍を離れている)ですが,彼女が今月ジャーナリストのインタビューに応じています。インタビューの冒頭,「今日は取材に応じてくださってありがとうございます」というインタビュアーに答えて,カルピンスキー氏は次のように述べています。

I had been hesitant to speak out before because this Administration is so vindictive. But now I will.

以前は口を開くことに躊躇がありました。この政権は何かあると必ず報復をしますからね。しかし今日はお話します。


インタビューそのもの(8月3日,truthout.org):
http://www.truthout.org/docs_2005/082405Z.shtml#1
※長いし話が複雑なので全部は読めていませんが,一部を抜粋しておきます。MCはインタビューを行なったMarjorie Cohn(ジャーナリスト),JKはJanis Karpinskiです。

MC: So who was in charge of the interrogations at Abu Ghraib?

JK: The Military Intelligence.

*****
MC: Were these prisoners of war?

JK: No, these were Iraqi criminals, because the war was over. So when the President declared the war over, there are no more prisoners of war. What we were policing then were Iraqi criminals.

MC: Had they all been arrested for crimes?

JK: Yes, they were. But some of them, most of them, the vast majority of them were minor crimes. They were missing curfew. They were subjected to a random inspection and a weapon was found in their trunks, they were looting, dealing gasoline, whatever. But they were minor crimes, nonviolent crimes, the majority of them. ...

MC: So the prisoners who were being tortured or abused at Abu Ghraib - were they all convicted criminals?

JK: No, because up until the mid part of August or the third week of August, 2003, I would say 95 percent of our prisoner population were Iraqi criminals, and the majority of them were nonviolent criminals. Then, directed by the CJTF-7, the divisions undertook these aggressive raids and these operations targeting specific individuals who were either terrorists, suspected terrorists, or known associates of terrorists. And they were called "security detainees." This is a new category of prisoner. So they were bringing them into Abu Ghraib, and again, no coordination with the commander (me) or my battalion commander out at Abu Ghraib. They were just flooding Abu Ghraib every night from the end of August onward with 15 prisoners, 30 prisoners, 8 prisoners, 60 prisoners, whatever it would be. So the population exploded from what it was, about 1200 at the end of August. In September and October we took in at least equal that number. So by the end of September, we had more than 3,000 prisoners. And by the end of October, we had over 6,000 prisoners. And the CJTF-7 headquarters did not care if we had food for the prisoners, if we had accommodations for the prisoners, if we had jumpsuits for the prisoners or anything.


つまり,当初は窃盗とか放火とかいった刑事犯を収容していたアブ・グレイブに,多国籍軍(CJTF-7)が突然「セキュリティの関係で拘束した者」を毎日大量に送り込むようになった。それが2003年8月半ばのことで,その後に例の「虐待」(とペンタゴンが呼ぶ行為)が発生した――興味深いことに,このインタビューにおいて,カルピンスキー氏はあの行為のことを「拷問 torture」と呼んでいます。

インタビューについての記事(8月24日,uruknet.info):
http://www.uruknet.info/?p=15033&hd=0&size=1&l=x

投稿者:いけだ