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2005/03/28

私がイラクについて耳にしたこと (4)

米国によるイラク侵略から2年。日本で小泉政権が言葉への最低限の誠意を崩壊させている中、イラクについて何が語られてきたかを振り返る記事の第四回。長いため、間を置いて順次掲載します。(1)はこちらを、(2)はこちらを、(3)はこちらをご覧下さい。
※このミラーサイトでのアドレスは
(1) http://teanotwar.blogspot.com/2005/03/1.html
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私がイラクについて耳にしたこと (4)
エリオット・ワインバーガー
ロンドン・レビュー・オブ・ブックス原文
2005年2月3日

私は、コリン・パウエルが次のように言うのを聞いた:「私はイラクに大量破壊兵器があると絶対的な確信を持っている。証拠はこれから明らかになる。今証拠を入手しているところだ」。

私はアメリカ合州国大統領が「我々はそれ[大量破壊兵器]を見つける。発見は時間の問題だ」と言ったのを聞いた。

私は、ドナルド・ラムズフェルドが、「我々はそれ[大量破壊兵器]がどこにあるか知っている。ティクリートとバグダード地域にあり、東部に、西部に、南部に、北部に、どこにでもある」と言うのを聞いた[訳注:米国についてはそのとおり]。

私は米国が11万人の兵士を駐屯させることができる14の「永続基地」を建設中であると聞いた。また、マーク・キミット准将がそれを「中東における我々の作戦の青写真」と呼んだのを耳にした。私はまた、米国が世界最大の大使館を建設していると聞いた。

私は、バグダードにスターバックスとマクドナルドが数カ月のうちに支店を開くと聞いた。またHSBCがキャッシュ・ディスペンサーをイラク中に設置すると聞いた。

私は、イラク市場へのアクセスを約束したコンサルティング会社ニュー・ブリッジズ・ストラテジーズが貿易フェアを開催すると聞いた。関係者の一人が次のように言うのを耳にした:「プロクター&ガンブルの流通権は金鉱だ。品揃えのよいセブンイレブン一軒で、イラクの店30軒を潰すことができるだろう。ウォルマートがイラクを占拠することになろう。

2003年5月1日、私は合州国大統領が、パイロットの制服を着て、「使命は完遂された」というバナーの下で、戦闘は終了したと宣言するのを耳にした:「イラクでの戦闘は、2001年9月11日に始まった対テロ戦争における一つの大勝利である」。私は彼が次のように言うのを聞いた:「イラクの解放は対テロ作戦における決定的な前進である。我々はアルカーイダの仲間を取り除き、テロリストの資金源を遮断した。そして次のことは確かである:いかなるテロリスト・ネットワークもイラク政権から大量破壊兵器を入手することはできない。というのも、その政権はもうないからだ。世界を変えたこの19カ月に、我々の行動は、焦点を絞った熟考されたもので、受けた攻撃に比例したものであった。我々は9月11日の犠牲者を忘れていない:最後の電話、冷血な子ども殺し、瓦礫の中の捜索。これらの攻撃で、テロリストとその支持者たちは合州国への戦争を宣言した。そして奴らも戦争を受け取ることになった」。

2003年5月1日、私は、140人の米兵がイラクで死んだと聞いた。

私は、リチャード・パールがアメリカ人に対して「安心して勝利を祝うよう」言うのを聞いた。彼が「この戦争に反対した者たちの予測は、使い古しのカートリッジのように捨て去られた」というのを聞いた。

私は、ジェイ・ガーナー中将が次のように言うのを耳にした:「我々は鏡を見てその姿を誇りに感じ、胸を張ってお腹を引いて、『いかにも、我々はアメリカ人だ!』と言うべきだ」。

それから私は、12インチの「エリート空軍:ジョージ・W・ブッシュのアクション・フィギュア」を買うことができると聞いた。「『細部まで正確で本格派の装備を完全に備えたこの限定版アクション・フィギュアは、輸送機から着地した歴史的瞬間の最高司令官の姿を6分の1スケールで精密に再現したものである。この様々なポーズをさせることができるフィギュアは、本物そっくりの顔、精密なクロース製の戦闘服、酸素マスク付ヘルメット、サバイバル・ベスト、G-パン、パラシュート・ハーネス等々を備えている』」ことを聞いた。

私は、ペンタゴンの作戦立案者たちが、[2003年]夏の終わりまでには、米軍ヘイ指数は3万人に減ることになるだろうと述べるのを聞いた。

***

私は、連合軍暫定統治当局の長としてポール・ブレマーが最初にしたことは、バアス党の上級メンバー全員をクビにすることだったと聞いた。その中には、3万人の公務員、警察官、教師、医師が含まれていた。また、イラク軍兵士40万人を、給与も年金も支払わずにクビにしたと聞いた。200万人もの人々がその収入に依存していた。アメリカ合州国は個人の銃所有を支持しているため、イラク軍兵士たちは、武器を保持し続けることは認められた。

私は、バグダードだけで何百人もの人々が誘拐されたり強姦され、学校や病院、店や工場が略奪されたと聞いた。また、発電所から銅線がすべて盗まれたため、電力を復旧するのが不可能だと聞いた。

私は、ポール・ブレマーが「実際は、イラクの大部分が秩序に従っている」と言うのを聞いた。彼はまた、問題はすべて、アルカーイダと関連グループの「数百人の強行派テロリスト」によるものだと言った。

米軍兵士に対する攻撃が増加するにつれ、私は米軍の将軍たちが誰が戦っているかについて異なる意見を表明するのを聞いた:イスラム原理主義者、バアス党の残党、イラク人や外国の傭兵、愛する人々を失って復讐を求める普通の市民。私は、アメリカ合州国大統領と副大統領と政治家たちとテレビ・レポーターが単にこれらの人々を「テロリスト」と呼んでいるのを耳にした。

私は合州国大統領が、「我々をイラクで攻撃できるような状況だと考える者が多少はいる。私の返事は、かかってこい!だ。我々は状況に対処するために必要な兵力を持っている」と言うのを聞いた。

私は、2万5000人のイラク人民間人が死んだと聞いた。

私は、兵士に対するターミネーター3の特別上演の際、バグダードで、当時州知事に立候補していたアーノルド・シュワルツネガーが、次のように言うのを聞いた:「ここは本当に荒れ果てている。貧困のことだ。そして金がない。財政的に破滅的で、指導者の空白がある。まるでカリフォルニア州のようだ」。

私は、米軍が村々を丸ごと有刺鉄線で囲い込んでいると聞いた。そのサインは次のようになっている:「このフェンスは皆さんを守るためにたてられたものです。近づいたり乗り越えたりしようとしないこと。そうしようとした者は撃ちます」。こうした村の一つで、私は、タリクという名の男性が「私たちとパレスチナ人の間に何の違いもない」と言うのを聞いた。

私は、トッド・ブラウン大尉が「アラブの心理を理解すべきだ。奴らがわかることといえば、暴力----暴力とプライドと面子だけだ」と言うのを聞いた。

私は、アメリカ合州国の人々からイラクの人々へのプレゼントとして、米国が184億ドルの基本インフラ再建資金を提供すると聞いた。けれども、将来のイラク政府には、この金をどう使うか口を出す権利はないとも。私はイラク経済が海外の所有に開かれたと聞いた。それは変更できないとも。私はまた、イラク軍が米国の司令下に入ることになると聞いた。これもまた変更できないとも。しかしながら、私は、保健と病院については「管轄を全面的に」イラク人に手渡し、上級米国人保健顧問は撤退したと聞いた。私は、保健人道サービス事務局のトミー・トンプソンが、イラク人が「手を洗って壁のゴミを掃除さえすれば、イラクの病院はOKになるだろう」と言うのを聞いた。

私はナータン・ササナン大佐が「恐怖と暴力の大量投与、そしてプロジェクト向け大量資金の投下によって、我々がここにいるのは人々を助けるためだとイラク人を説得することができると思う」と言うのを聞いた。

私は、リチャード・パールが次のように言うのを聞いた:「来年のこの頃、私はこの地域で貿易が反映し、急速な経済成長が起きていると思う。そしてこれから一年後に、バグダードにブッシュ大統領の名を冠した大きな広場がないとするならば、とても驚くだろう」。

***

私は、アイビー・サイクロン作戦について、油断無き決意作戦について、ポリマス・ロック作戦について聞いた。私はまた、アイアンハンマー(鉄槌)作戦について耳にした。これは、ナチスがソ連の発電所を破壊する作戦につけたアイゼンハマー作戦から取った名前であった。

私は、米国空軍規程は、30人以上の民間人死者を出しそうな空襲については国防長官の承認が必要であるとしていると知った。そしてドナルド・ラムズフェルドはすべての申請を承認したと聞いた。

私は、海兵隊大佐が次のように言うのを聞いた:「我々はあれらの橋をナパーム攻撃した。不幸にして、そこには人々がいた。死に方としてはいいもんじゃない」。私は、ペンタゴンが、発火性爆弾はマーク77と呼ばれるものから出来ており、ナパームを使っているのではないと言うのを聞いた。私はまた、専門家たちが、マーク77はナパームの別名だと聞いた。

私は、ある海兵隊員が「死亡チェック」について説明するのを耳にした:「部屋を掃討しているときに死亡チェックをするよう教えられた。胸に二発と頭に一発、銃弾をぶち込むんだ。怪我をした奴らがいる部屋に入るときには、奴らが死んでいるのか生きているのかわからないかも知れない。そんなときは、軍靴で目玉を踏んづけて死亡チェックをするよう教えられた。だって、普通、人間は、死んだ不利をしていても、目を突っつけば痛さでびくんとするからだ。そいつが動いたら、脳味噌に弾丸をぶち込む。建物の中を回り続けるために勢いを保つためにそうするんだ。後ろで奴らが立ち上がって撃たれるなんて嫌だからな」。

私は、米国大統領が「我々はテロの脅威を封じ込めつつある。勢力の末端でではなく、その権力の中心でだ」と言うのを耳にした。

米軍兵士の死者が500人に到達したとき、私はキミット准将が次のように言うのを聞いた:「兵士たちが士気のバロメータとして犠牲者数みたいな恣意的な数字を気にしているとは思えない。兵士たちは、後ろに我が国家がついていることを知ってるんだ」。

私は、ハムヴィーの脇に立つある米兵が次のように言うのを耳にした:「我々はイラクを解放した。でも、人々は我々がここにいるのを望んでいない。それから何だと思う? 我々だってここにいたくないんだ。 何だって我々はまだここにいるんだ? 何で家に帰れないんだ?」

私は、コリン・パウエルが「我々は、こんなに長い間激しい状態が続くとは思わなかった」と言うのを聞いた。

私は、ドナルド・ラムズフェルドが「我々は意志の試練に直面している」と言うのを聞いた。

私は、米国大統領が次のように言うのを聞いた:「我々は生物ラボを発見した。それらは非合法だ。国連決議に反している。これまでに二つも見つけた。もっと時間が経てばもっと武器を見つけるだろう。だが、我々が、禁止された製造機材や禁止された武器を見つけなかったなどと言う奴らは、間違っている。我々は、それを見つけたんだ」。

私は、トニー・ブレアが次のように言うのを聞いた:「大量墓地で40万人の人間の残骸が見つかった」。私は、彼の言葉が米国政府のパンフレット「イラク・テロの遺産:大量墓地」と米国政府のウェブサイトに再掲されるのを目にした。そこには、これが「この人道に対する罪よりひどいものといえば、1994年のルワンダ虐殺、1970年代カンボジアにおけるポルポトの虐殺フィールド、そして第二次世界大戦下のナチスのホロコーストしかない」とある。


以下、続きはまた順次ポストしていきます。(1)はこちらを、(2)はこちらを、(3)はこちらご覧下さい。

2004年1月、米国のイラク武器調査団団長デーヴィッド・ケイは、米国上院の委員会で、イラクの大量破壊兵器について「何一つ証拠はない」と述べ、辞任しました。

米国お気に入りのスハルト政権は、その登場時に推定50万人から100万人のインドネシア人を殺し(32年間のスハルト独裁下でこの事実は完全に隠蔽され消去されてきたため、正確な数字が今も明らかになっていません:バリ島の観光ホテル駐車場のアスファルトの下にも当時の遺体が埋められていると言います)、1975年、米国大統領・国務長官のお墨付きを得た東ティモール侵略では人口の3分の1にあたる20万人の命を奪いました。1991年に東ティモールで起きたサンタクスル墓地でのインドネシア軍の虐殺以来、中断されていた米軍とインドネシア軍との交流・援助も再開されています。インドネシア軍はアチェでこの二年間に数千人の人々を殺してきたにもかかわらず。

米国がつきつづけてきた嘘をめぐっては、「戦争とテロを巡る40の嘘」(1)(2)(3)(4)もご覧下さい。


投稿者:益岡
2005-03-27 23:26:20