私がイラクについて耳にしたこと (7)
米国によるイラク侵略から2年。日本で小泉政権が言葉への最低限の誠意を崩壊させている中、イラクについて何が語られてきたかを振り返る記事の第7回。長いため、間を置いて順次掲載します。(1)はこちらを、(2)はこちらを、(3)はこちらを、(4)はこちらを、(5)はこちらを、(6)はこちらをご覧下さい。
私がイラクについて耳にしたこと (7)
エリオット・ワインバーガー
ロンドン・レビュー・オブ・ブックス原文
2005年2月3日
私は、赤十字があまりに危険なため事務所を閉鎖しなくてはならないと聞いた。ジェネラル・エレクトリック社とシーメンス社が事務所を閉鎖しなくてはならないと聞いた。「国境なき医師団」が撤退しなくてはならず、記者たちはほとんどホテルから出ないとも聞いた。私はまた、イラクの国連本部が爆撃されたあと、国連スタッフのほとんどが立ち去ったとも聞いた。私は、今もイラクに残るわずかな西洋のビジネスマンの生命保険費用は集に1万ドルだと聞いた。
私は、イラク私営部門開発局の局長トム・フォーリーが次のように言うのを聞いた:「治安上のリスクはTVに映し出されるほどひどくはない。西洋の民間人自身が標的なのではない。受け入れねばならないリスクだ」。
私はポール・ブレマーの報道官が「問題に直面している部分は孤立させた」と語ったのを耳にした。
私は、軍の助けをあてにできなくなったため、民間治安企業が、救出チームと情報要員を要する世界最大の私設軍隊を造り上げたと聞いた。私は、現在イラクには2万人の傭兵がいて、「私企業契約者」と呼ばれており、一日最大2000ドルをかせいでおり、イラクや米国の軍事法にも制約されていないと聞いた。
私は、5万人のイラク人民間人が死んだと聞いた。
私は、自動車爆弾で米国人3人が殺された日に、ポール・ブレマーは、暫定統治機構の長官としての最後の行為として、片手ハンドルで車を運転することと緊急でないときにクラクションをならすことを不法行為とする法律を発布したと聞いた。
私は、失業率は今や70%にのぼり、再建に関わっている労働人口は1%に満たず、米国は米国議会が再建のために承認した184億ドルのうちたった2%しか使っていないと聞いた。私は、公式の会計検査は、CPAがイラク省庁に渡したイラク石油収入のうち88億ドルの使途を確認できなかったと聞いた。
私は米国大統領が、「我らが連合は責任感の強いイラク人指導者たちとともにおり、これらの指導者たちはイラクの統制を進めている」と言うのを耳にした。
私は、イヤド・アラウィが、暫定首相になる数日前、6人のゲリラ容疑者が目隠しされ手錠をはめられて壁に向かって並ばされているバグダードの警察署を訪れたと聞いた。私は、4人のアメリカ人と10人強のイラク人警察官が見る中で、アラウィがピストルを取り出し、捕虜の一人一人の頭を撃ったと聞いた。私は、アラウィが、我々は今後ゲリラをこのように扱うべきだと語ったのを耳にした。
2004年6月28日、暫定政権が創設されたとき、チェイニー米副大統領が次のように言うのを耳にした:「残忍な独裁者による数十年の支配ののち、イラクは正当な所有者たるイラクの人々の手に戻された」。
以下は、イラクにおける普通の一日、2004年7月22日----この日はイラクが見出しを飾らなかった----の、軍のまとめである:「バグダードの2箇所で、バンとメルセデスのそばで二台の路肩爆弾が爆発し、4人の民間人が死亡した。トヨタに乗ったガンマンが警察の検問所に発砲して逃げ去った。警察が検問所で3人のガンマンを負傷させ、殺人未遂の容疑者4人を逮捕した。バグダードではさらに7つの路肩爆弾が爆発し、ガンマンが米軍兵士を二度攻撃した。モスルで警察が自動車爆弾を発見し、ガンマンがタルアファルで砂利トラックの西洋人運転手を攻撃した。モスルでは路肩爆弾3発が爆発し、米軍兵士たちに対するロケット攻撃があり、タルアファルそばでは別の銃撃が米軍に加えられた。タジでは、民間人の車両が米軍の軍用車両と衝突し6人の民間人が死亡し7人が負傷した。バイジでは、米軍車両が地雷を踏んだ。アドドゥワル病院ではガンマンたちが歯科医一人を殺した。タジ、バクバ、バクアジャルラ、ティクリート、パリウォダ、バラド、サマラ、デュルイェでは米軍に対して17発の路肩爆弾が爆発し、ティクリートとバラドでは米軍兵士をガンマンたちが襲撃した。オレンジ色のジャンプスーツと着た頭のない遺体がチグリス河で見つかった。ブルガリア人捕虜イヴァリョ・ケポフだと考えられている。キルクーク空軍基地が攻撃された。ルトバ、カルソ、ラマディで米軍に対し5発の路肩爆弾が爆発した。ガンマンたちがファルージャとラマディで米軍兵士を攻撃した。ナジャフの警察署長が誘拐された。ハスワではガンマンたちにより2名の私企業契約者が攻撃された。ケルバラとヒラー近くで路肩爆弾が爆発した。アル=クルナーで国際部隊の兵士が攻撃された」。
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米国がつきつづけてきた嘘をめぐっては、「戦争とテロを巡る40の嘘」(1)・(2)・(3)・(4)もご覧下さい。
投稿者:益岡