家を追われた西部の人々の多くは家に戻ることを怖がっている
米軍の「軍事作戦」で追放された人々についてIRINの報道。
家を追われた西部の人々の多くは家に戻ることを怖がっている
2005年12月13日
IRIN
Electronic Iraq 原文
バグダード発----今月上旬、イラク西部のラマディとアルカーイムで行った米軍主導のゲリラ活動に対する攻撃の際に家を追われた何百もの家族は、今も家を追われたままでいるとイラク赤新月社(IRCS)が報じた。
「地域でさらなる軍事作戦が起きると考えているため何百もの家族が家に帰るのを拒んでいることに私たちは驚いている」とアンバル州の州都ラマディでIRCSのボランティアをしているマルアン・カリフは言った。
12月2日、米軍は、首都バグダードの約110キロ西にあるラマディで攻撃を開始した。ゲリラたちが何事もなく道を歩いている姿がテレビに報道されたあとのことである。
それに続く暴力----その際、米軍による空襲が何度も加えられた----により、何千人もの地元住民が逃げ出した。
ICRSが報ずるところによると、アンバル地区の700家族近くが、間に合わせの難民キャンプや遺棄された学校や政府の建物で暮らしているという。また、さらに数百家族が、親類や友人の家に避難した。
「こうした家族は、この冬、過酷な冬に苦しんでいる」とバグダード出身のフェルドス・アル=アバディIRCS報道官は言う。「私たちはこれらの人々に必需品を提供するために活動しているが、多くの問題が残っている」。
アル=アバディは、「砂漠地帯の中にある」キャンプに暮らしている難民たちの中に「社会的および健康上の問題がある」と述べる。
アンバル地区の医者たちもまた、下痢や肺の感染症が子供たちや老人の間で増加していると指摘する。
「地域の追放された子供たちの間で健康状態があきらかに悪化しているのを目にした。家に戻った子供たちの間でさえもそうだ」とアルカーイム第一の病院に勤めるワリード・ラビアア医師は言う。
首都から約420キロ西のアルカーイムでは、米軍兵士たちによる大規模な攻撃は11月に終わった。けれども、数百家族がしばらくの間、家に戻ることを拒んでいる。戻るかわりに、アルカーイムから約20キロ東のラワ近くにある即席キャンプあるいは地方の親戚のもとで暮らすことを選んでいる。
「アルカーイムには戻れません。というのも、子供たちには長生きして欲しいから」と、サレー・ラウィは言う。彼はアルカーイムの住人で3人の子供を持つ父親である。現在は、ラワ近くにあるIRCSのキャンプで子供たちの面倒を見ている。
「米軍が戻ってきて、さらに多くの家を破壊するだろう。子供たちにそれを見せたくはない」と彼は付け加えた。
IRCSの必需品備蓄が尽きつつある中、IRCSはほかの国際慈善組織に、家を追われた人々のこれら二つのグループに必需品を送るようアピールしている。
「いつどこで攻撃が行われるかわからない。だから、将来に向けて人々を助けるために必需品を備蓄しておかなくてはならない」とアル=アバディは言う。
イラク西部----多くの人口を擁する、スンニ派が多数を占める地域----で軍事作戦により家を追われた人々が、12月15日に予定されている議会選挙に参加できないのではないかとの憂慮を表明する人々もいる。
「我々に、よりよいイラクのために投票するよう彼等は呼びかけている」と、ラマディの戦闘を逃れてきたアメル・アブドゥルは言う。「けれども、我々が目にするものはといえば、この、民主主義であると想像されているはずの国で、我々の子供たちが苦しんでいることだけだ」。
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投稿者:益岡