「米軍司令官は泣いていた。しかし何もしなかった」――ファルージャ訪問記,2005年5月(Joe Carr, EI記事)
ファルージャ:あるひとつの非-自然災害
Fallujah: An Unnatural Disaster
Joe Carr, Electronic Iraq, 30 May 2005
http://electroniciraq.net/news/1982.shtml
またはhttp://www.lovinrevolution.org/
今日,僕は,外国人はまずやろうとしないことを実行した――ファルージャ行。
ファルージャは完全に米軍に取り囲まれていて,出入りできる唯一の道は,4つある非常に厳しい検問所の1つを通っていく。人々は何時間も待たなければならないのが通常だ。しかし僕たちは魔法の米国パスポートを持っていたので,だいたい45分で通過できた。見たところ,車の中を捜索している様子はなかった。兵士たちはただ交通を止め,のろのろとIDをチェックしていた。パレスチナと同様,これらの検問所は安全とはほとんど関係なさそうだった。というよりむしろ,嫌がらせをし脅かすことに関係がありそうだった。
ファルージャを車で通り抜けるのはまったくひどい気分だ。僕がこれまでに目にしたことのある破壊も瓦礫も,ここまでひどくはない。ラファ(ガザ地区)よりひどい。米国は地区丸ごと破壊しつくしているし,建物は3軒ごとに,米軍の砲撃によって破壊されているか損傷を受けている。瓦礫や弾痕はそこらじゅうにある。この町は,筆舌に尽くしがたいほどに破壊されつくしている。連続していくつものトルネードに襲われたかのように見える。人間にこんなことができたとは,信じがたいくらいだ。現代の戦争の破壊能力について,僕は認識を改めた。破壊の写真はここをクリックして出てくるページにも何枚かある。
米軍とイラク軍とイラク警察は,この町にはやたらと多い。通り過ぎる軍関係者があんな目つきで見られるのは,僕はこれまでには見たことがない。ほとんどの場所では人々は占領者というものに慣れてしまうが,ファルージャでは憎悪はまだまだ生きている。16万人のファルージャ警察職員は,米軍の攻撃の後に職を失い,南部から来たシーア派に取って代わられた。米国は,意図して,スンニ派の優勢な地域にシーア派を送ってパトロールを行なわせている。怨恨と虐待をはぐくむためだ。そしてそれはうまくいっている。兵士たちは自分たちの車列にあまりにも近づきすぎた車はどれであれ撃つ。そのためにこの小さな都市で車で移動することは,信じられないほどに危険なことになっている。たまたま角を曲がったら,軍の車列のど真ん中に入ってしまった,なんてことは非常にありがちなことだ。病院では,毎週1人か2人が,米軍とシーア派の占領軍からの無差別射撃によって死んでいるという話だった。
そこらじゅうに恐怖の物語がある。僕たちは,あらゆる構造物が破壊されたか損傷を受けているかしている地域の,ある一般家庭を訪問した。その家は穴だらけになっていて,火が燃えたために内部は真っ黒になっていた。この家の人たちは,戦闘のさなかに家をきちんとして脱出したが,戻ってみれば,すべての家財が燃やされていた。現在,3家族がこの3部屋の家に暮らしている。というのは,彼らの家は完全に破壊されてしまっているからだ。25人以上がこの燃やされた家の抜け殻の中で生活している。そのうちの4人は幼児だ。米軍から補償を受け取ろうと動いた人もいたが,拒否されている。
再建の行なわれているところもあった。しかし,家財がだめになってしまった家族のうち25%が米軍からわずかの補償を得たが,それでは新しい家の建材の値段の半分以下しかまかなえない。特に,補償は攻撃の前の建材の価格に基づいて計算され,一方で今では,厳しい検問を通過しなければならないため,建材の価格は2倍近くになっているからだ。
食料品の価格もまた,検問所が原因で,劇的に上昇している。僕たちはある商店主と話をしたが,彼は,ファルージャ周辺の農民たちは,米軍が発行したファルージャのIDを持たない限りは農産物を配達できなくなってしまったと言う。だから商店主が毎日外に出て,農産物を受け取りに行かねばならない。この商店主は作業には4時間くらいかかると言っていた。原因は検問所での遅延だ。「彼らは私たちにひどい扱いをする」と彼は言う。「彼らは私たちに銃口を向け,ことばで侮辱する。女性でさえもだ。」彼が言うには,米軍もイラク軍も乱暴に野菜の中をサーチするという。野菜を乱暴に地面に落としたり,時にはぐちゃぐちゃにすることもあるという。検問所を1つ通過してぐちゃぐちゃになったものを片付けたと思えば,次の検問所でまた同じように荷物がかき回される。(農産物を運んでくるたびに)こんなことが4度もあることがあるのだと彼は言う。時には,熱い陽光の中放置されるために,農産物の多くが腐ってしまうこともある。こういった理由から,価格が上昇し,ファルージャではますます多くの人々が空腹を抱えている。
入院設備のある病院は,ファルージャには1軒しかない。攻撃中は,ほかの診療所や治療センターは米軍によって爆撃されていた上に,兵士たちがいたために多くの人々が病院に行くことができなかった。戦闘が終わった後でも,米軍は(総合病院への)橋を閉鎖したままにしてあったので,病院への搬送が間に合わず心臓発作で死亡した人が何人かいる。ファルージャ周辺の農村地帯の人々もまた,(通常なら)治療できる病気が原因で死亡している。というのは,これらの人々はファルージャ総合病院に行くために検問所を通り抜けることができないからだ。ある病院職員は,ファルージャの外の病院に患者を移送しようとして,患者が死んでしまうケースが多いと言う。「救急車で搬送するより,一般市民の車で連れて行くほうがましです」と彼は言う。「軍は,救急車は長い時間をかけて,ほかの車両よりもサーチするので。」(2004年4月の)最初の攻撃のとき,総合病院は外部の世界にとって主要な情報源となった。だから米軍が2度目の攻撃をした際に,最初に病院の一帯を制圧し,出される情報をコントロールしたのだ。
今回の旅のハイライトは,あるスンニ派法学者と面会したことだ。彼は若く情熱的な人物で,非常に弁の立つ人だ。彼は僕たちに,自身が目撃した恐怖の物語を語った。最初の侵略のとき,彼のモスクの近くに住んでいた数家族がある家に非難していた。米軍はメガホンで全員外に出て来い,白旗を掲げて出て来いと命令した。彼らはそうした。しかし全員が外に出ると,兵士たちは彼らに向けて発砲し,5人を殺した。少年がひとり,撃たれた母親に駆け寄ったところ,米兵はこの少年の頭を撃ったのだ,と彼は語る。このとき,米軍司令官は泣いていた,自分は見たのだ,と彼は言う。「しかし,泣いたからって何になると?」と彼は言う。「司令官はあれを止めるために何もしなかった。」
この法学者との面会の間,ある人が私たちに,その人自身の恐怖の物語を話してくれた。「アメリカ人は私の娘を撃ち殺しました。娘は15歳でした」と彼は言う。「うちの娘はテロリストだったのでしょうか?」米軍はその娘を殺したことを否定し,父親に対して最小限の補償ですら支払うことを拒否しているという。米軍が彼に払ったのは,米軍が破壊した彼の家のための補償の半額だけである。「あなたがたには敬意を抱いていますが」と彼は言う。「私はアメリカ人を憎悪しています。彼らは私の家族を殺した。私の子どもたちは通りで遊ぶこともできない。彼らは,洗濯をしていた私の義理の妹を撃ち殺した。別の弟の両手と片足は吹き飛ばされた。」彼は,お話に割り込んですみません,でもあまりにつらいので話さないわけにはいかないのです,と言った。
ファルージャでは信じられないくらい安全に感じた。私が話をした人々は親切でやさしかった。彼らは,米軍が自分たちにしたことについて立腹し憤慨しているが,それは当然のことだ。それでも彼らは,あれをしたのは僕ではない,アメリカ人全員でもないということはわかっているようだった。法学者は「あなたがここに来てくださったこと,私たちの苦しみと痛みを聞きに来てくださったことに感謝しています。善良にして人間らしいアメリカ人がいることの証です」と言った。
ファルージャは米国の占領の最前線だ。ここには,米国のアジェンダに抵抗しようという者に対して,米国がいかに冷血無情になるものかが示されている。しかしファルージャは抵抗することをやめていない。「レジスタンスの存在を爆弾で消すことはできない。そうではなく爆弾を落とせばレジスタンスを存在させることができるのだ(you can't bomb a resistance out of existence, but you can bomb one into it)」ということばがある。米国が中東で放った非-自然災害は実に恐ろしいものだ。僕たちはみなでそれに抵抗しなければならない。
筆者ジョー・カーはミズーリ州カンサスシティ出身の24歳で反抑圧活動家・パフォーマンスアーティスト。ワシントン州オリンピアの大学に入り,2003年3月にパレスチナのラファのISM(国際連帯運動)を組織し,イスラエル軍兵士が米国人平和活動家レイチェル・コリーと英国人平和活動家トム・ハンドールを殺すのを目撃した。現在はCPTパレスチナでフルタイムで活動しているが,イスラエルへの入国を拒否され,今はCPTバグダードで活動している。6月に米国に帰国する予定。
ジョー・カー個人サイト
ISM公式サイト
CPT公式サイト
レイチェル・コリーさん(米国人,享年23)について:
日本語での情報:
http://www7a.biglobe.ne.jp/~sakusha/palestine4.html
http://www.onweb.to/palestine/siryo/rachelparents.html
英語サイト:
http://www.rachelcorrie.org/
トム・ハンドール(ハーンドール)さん(英国人,享年22)について:
日本語での情報:
http://www.onweb.to/palestine/siryo/tom.html
英語サイト:
http://www.tomhurndall.co.uk/
「1個のオレンジのために──レイチェル・コリーとトム・ハンドール」
http://www.onweb.to/palestine/siryo/orange-star10mar04.html
投稿者:いけだ