シリア国境の都市、アル=カーイムへの攻撃(4月12日、アルジャジーラ)
米軍による空からの攻撃でイラク人多数が死亡
Many Iraqis killed in US air attack
Tuesday 12 April 2005, 12:50 Makka Time, 9:50 GMT
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/09413EAB-D8E4-4C03-A52C-BD7118AC9946.htm
※小見出しはカットしました
アルジャジーラの報道によれば、アル=カーイム(al-Qaim)市の北にあるアル=ルムマナ(al-Rummana)村の家屋を、米軍ヘリコプターと重砲が爆撃し、イラク人20人が殺され、22人が負傷させられた。
死者の中には子どもが7人、女性が6人と高齢の男性が3人、一方で負傷者には子どもが13人と女性が7人、さらに高齢の男性が2人いた、と目撃者たちは語っている。
この目撃者たちはまた、爆撃が始まったのは、月曜の夜にアル=カーイム近くに着陸した米軍が繰り返し攻撃を受けた後でのことだった、と述べている。
当初の情報では、爆撃で、1軒の家屋が完全に破壊され、3軒の家屋が部分的にダメージを受けた、とアルジャジーラは伝えている。
シリアとの国境に近いイラク西部の都市アル=カーイム(バグダードの西方300キロ、アンバール州)では、月曜【この攻撃が行なわれる前】、5台の自動車爆弾が米国の軍事標的に命中し、少なくとも2人の米兵が負傷した。
〈米国人コントラクターが誘拐されたことについての記述を省略:1パラグラフ〉
イラク人記者のアハマド・ハリード(Ahmad Khalid)はアルジャジーラに対し、月曜のアル=カーイムにおける【米軍に対する】攻撃2件は同時に起きたと語った。3発の爆弾が米軍司令部として利用されている建物に当たり、4番目の爆弾は米軍の車列を標的とした。
その後、市内において、戦士たちと米軍兵士たちとの間で衝突が勃発し、いくつもの家屋が損傷を受けている、と同記者は語っている。
しかしながら、一般市民は【衝突が勃発する前に】既に逃れていたので、この戦闘では一般市民に負傷者はいない。
米海兵隊のスポークスマンは月曜、アル=カーイムの基地であるCamp Gannonの外側で発生したこの攻撃で、兵士3人が負傷したと述べた。
また、イラク北部の都市キルクークでは、月曜遅く、武装した男たちが警察のパトロール隊に発砲、警察官2人を負傷させた。police Brigadierのサルハット・カディエル(Sarhat Kadier)が述べた。
キルクークの攻撃者たちはまた、ある医師の車の車台に爆弾を設置したが、爆発したときにはこの医師は【車を降りて】パンを買うために店に入ったところだったため、無事だった。しかし近くにいた一般市民2人を負傷させた、とカディエルは述べている。
攻撃者たちがその医師を標的とした理由はわかっていなかった。
アル=カーイムは、地図で見ると、サマラのほぼ真西にあたります。(バグダードとファルージャを結ぶ線よりも北に位置しています。)
この都市については、今年の3月1日にも、次のように報じられていました:
……市民は町への出入りを阻止されている。米軍は隣のアル=ハクラニヤ市から撤退してきたあと、町の入り口を封鎖した。
同様の状況がアル=カイムの町でも起きており、反=米軍の戦士たちと米兵との衝突を恐れた数百家族がアル=アナ市に避難している。
また、昨年の4月にも攻撃されています(←リンク先はRaed blog日本語版。2004年4月19日参照)。
なお、アル=カーイムについて伝えるアルジャジーラの記事は、上に訳出した部分の後に、この件とはまったく別の「ポーランド軍、撤退へ」というニュースについて、短く書かれています。(このスタイルは、BBCなどでもよく見られるもので、特にAJだから、というわけではないと思います。)
一方、ポーランドの国防大臣は、同国政府が同国軍を、【軍の派遣の後ろ盾となっている】国連決議の失効後、2006年早々にも引き上げたいと考えているとの意向を示した。
「政府の意見は、安定化ミッションを定めた国連決議の期限が終わるとともに、ポーランドの安定化ミッションもすべて終了すべきである、ということです」と、ポーランドのジェルジ・スマジンスキ国防大臣は述べた。
ポーランドは、欧州におけるワシントンに最も近い同盟国のひとつであり、イラク中南部の多国籍安定化軍を統率し、およそ1700人の兵士が駐留している。
また、上に訳出した記事よりも古いヴァージョンと思われる記事が、uruknet.infoに引用されています。
以下は完全に「ついで」の余談です。
名前が出てきたついでなので、かなり古い資料ですが――「資料」と言っていいのかどうかも微妙ですが――、たまたま手の届くところにある、フレデリック・フォーサイスの小説『神の拳』から少し引用しておきます。1991年の湾岸戦争を題材にした長編小説です。(引用文中の「大佐」は米空軍の人です。)
大佐は疲れていた。仕事に追われどおしで、これが夜明けまでつづくのだ。
「工業施設にはまだ手がまわらないんだけどな。とにかく、リストをちょっと見せてくれ」
大佐はざっとリストに目をはわせた。それには大量破壊兵器の生産に従事しているとされる工業施設がすべて並んでいた。また砲弾、爆薬、軍用車輛、銃砲の部品や戦車のスペアパーツ等を生産している工場も入っていた。
前者のカテゴリーにはアル・クアイム、アス・シャカルト、トゥワイタ、ファルジャ、ヒッラ、アル・アテール、そしてアル・フラトが含まれていた。……
――出典:フレデリック・フォーサイス著、篠原慎訳、『神の拳(下)』、角川書店、平成8年、p.158
(単行本ではなく文庫版)
引用部分に出てくる地名については、 3 December 1997のUNSCOMの文書を参照。当時イラクにあった核兵器、生物兵器、化学兵器、弾道ミサイルの開発拠点や備蓄施設をリストアップしたものです。シンプルな英語で箇条書きなので、原文を見てみてください。
それぞれの地名の英語でのスペルは:
「アル・クアイム」 Al Qaim(アル=カイム/カーイム)
「アス・シャカルト」 Al(As) Sharqat
「トゥワイタ」 Tuwaitha(トゥワイサ)
「ファルジャ」 Fallujah(ファルージャ)
「ヒッラ」 ※UNSCOM文書にはありませんがAl Hillahと綴る
「アル・アテール」 Al Atheer
「アル・フラト」 Al Furat
なお、「トゥワイタ(トゥワイサ)」は、バグダード陥落後にイエローケーキの入っていた容器を一般市民が危険と気づかずに持ち出していたことでもニュースになりました。
「ヒッラ」はバグダードから少し南に下がったところ、バビロンのすぐ近くで、1月の選挙後にバドル旅団(シーア派政党と関係する民兵組織)と「スンニ派のレジスタンス」との衝突というか戦闘があり、また2月に120人以上の死者を出した自爆攻撃が行なわれた場所です(バビロンには米軍基地があります)。
いけだ