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2005/03/22

私がイラクについて耳にしたこと (3)

米国によるイラク侵略から2年。日本で小泉政権が言葉への最低限の誠意を崩壊させている中、イラクについて何が語られてきたかを振り返る記事の第三回。長いため、間を置いて順次掲載します。(1)はこちらを、(2)はこちらをご覧下さい。(※「1」のミラー版および「2」のミラー版もあります。)

私がイラクについて耳にしたこと (3)
エリオット・ワインバーガー
ロンドン・レビュー・オブ・ブックス原文
2005年2月3日

私は米国副大統領が次のように言うのを耳にした:「軍事史上もっともみごとな任務の基準----たとえば1940年春のアルデンヌにおけるドイツ軍や1944年7月のパットンの快進撃など----と比べても、今進められているバグダードへの進軍は速度と勇敢さと犠牲者の少なさにおいて前例がないものだ」。

私はデイヴィッド・ハックワース大佐が「Hey diddle diddle, it's straight up the middle」というのを聞いた。

私はペンタゴンの報道官がイラク人犠牲者の95%は「軍事年齢の男性」だと言うのを聞いた。

私は赤十字職員が次のように言うのを耳にした:「高速道路だけをとってみても、民間人の車が50台以上あって、それぞれの中で4人から5人の人々が灰になっていた。これらの遺体は、近くの人々が有志で埋葬するまで10日から15日も灼熱の光の中に座っていたのである。親族たちがやってきて見つけるのは、こうしたものだ。戦争は悪だが、それがあとに残すものはさらにひどい」。

私はバグダードのある病院長が次のように言うのを聞いた:「病院全体が緊急治療室になっている。怪我の状態はあまりにひどい----頭のない胴体が一つ、お腹が切り裂かれ開いた人が別のところに」。

私はある米軍兵士が次のように言うのを聞いた:「私はベッドの横に世界貿易センターの写真をかけており、ケブラーの下にも一つもっている。見るたびに私はそこにいた人々に哀れみを感じて、こう考える:『奴らが俺たちを襲撃したんだから、今度は俺たちの番だ』」。

私は、14歳で「痛々しいまでにはにかみ屋」だった太ったハシムが米軍第四歩兵部隊が彼の村を襲撃したときに射殺されたと聞いた。彼は川辺に鳥かごをもって何時間も座っているのが好きだった。ハシム少年の死についての詳細を聞かれたとき、部隊の司令官は次のように言った:「そいつはたぶん、都合の悪いときに都合の悪い場所にいたんだろう」。

私はある米軍兵士の次のような言葉を耳にした:「ガキどもが俺たちに石を投げて来るんだ。そっちを向いてクソガキの一人を撃ち殺してやりたいが、そんなことしちゃいけないだろう」。

私はペンタゴン報道官が米国は民間人犠牲者数を数えていないと言うのを聞いた:「我々は敵の戦闘能力を破壊することに力を注いでいる。したがって我々は民間人を標的にすることは決してせず、それゆえ意図しない民間人の死者数を数えるいわれはない」。私はこの報道官が、いずれにせよ民間人犠牲者すうを数えるのは不可能だ、というのもイラク人準軍組織は民間人の服を着て戦闘に参加しており、イラク軍は民間人を盾としており、そして民間人死者の多くはイラクの「目標を失った対空砲弾が地上に落下したため」に引き起こされたからだ、と語るのを聞いた。

私はある米軍兵士が次のように言うのを耳にした:「最悪なのは、奴らの一人を撃ってそれから助けにいくことだ」。規程通りに。「クソったれ、俺は奴らの誰一人たすけたかない。クソゴミどもを助けたくはない。ときどき死ぬにまかせることもある。二度やることもある。最初は標的にたどりついたとき、それから奴らを撃って進んで、まだ何かあったら、もういっぺん撃つ。戦争捕虜はほしくないからな」。

私はジェシカ・リンチ上等兵の世話をした医師アンマル・ウダイが次のように言うのを聞いた:「私たちはヘリの音を聞いて驚いた。なんでそんなことをするのだろう? イラク軍などいなかった。病院には兵士は一人もいなかった。まるでハリウッド映画のようだった。銃を持った彼らは『ゴー、ゴー、ゴー!』と叫び、光がきらめき、爆発音が聞こえた。彼らは演出していた:シルベスタ・スタローンかジェッキー・チェンばりのアクションムービーで、飛んだり叫んだり、ドアを壊したり。その間ずっとカメラが回っていた」。

私はジェシカ・リンチ上等兵が次のように言うのを聞いた:「彼らはこれらすべてをシンボルに仕立て上げるために私を利用した。真実のかけらもない物語を人々が作り上げるのには傷ついた」。彼女が自分を拘束した者たちと勇敢に戦って銃による傷と刺し傷を被ったところについて、私は彼女が次のように言うのを聞いた:「私は自分がしなかったことを私のものとされようとは思わない」。彼女のドラマティックな「救出」については、彼女が次のように言うのを聞いた:「そんな風に事態が起きたとは思わない」。

私は赤十字がバグダードの犠牲者数はあまりに多くて病院も犠牲者の数を数えることを止めざるを得なかったと言うのを耳にした。

私はある老人が、戦車が彼のミニバンを爆破して家族の11人----子どもたちと孫たち----を殺されたあと、次のように言うのを聞いた:「私たちの家はからっぽになってしまった。残されたのは野生動物だけだ。できることは嘆くことだけだ」。

暴動と略奪が起きたとき、私はバグダードの市場のある男性が次のように言うのを聞いた:「サダム・フセイン最大の犯罪は、米軍をイラクに連れ込んだことだ」。

暴動と略奪が起きたとき、私はドナルド・ラムズフェルドが「雑然としている。そして自由とは雑然としたものだ」と言うのを聞いた。

そしてイラク国立博物館がからっぽになり国立図書館が焼き払われたとき、私はラムズフェルドの次のような言葉を聞いた:「テレビで目にする映像は、繰り返し繰り返し繰り返し同じこと、誰かが建物から壺をもって出てくる光景だ。20回もそれを見て、こう思う:『マーイ・グッドネス、そんなに沢山壺があるってか? イラク全体でそんなに沢山壺があるなんてことがあるんだろうか?』」。

私は1万人のイラク民間人が死んだと聞いた。

以下、続きは順次ポストしていきます。「私がイラクについて耳にしたこと(1)」はこちらを、(2)はこちらをご覧下さい。

米国がつきつづけてきた嘘をめぐっては、「戦争とテロを巡る40の嘘」(1)(2)(3)(4)もご覧下さい。


投稿者:益岡
2005-03-22 20:01:01

ドキュメンタリー映画,『Little Birds』

ジャーナリストの綿井健陽さんがイラクで撮影した映像を102分に編集したドキュメンタリー映画,『Little Birds -- イラク 戦火の家族たち』が,ゴールデンウィークに映画館で封切られるそうです。

綿井健陽さんのサイト:
http://www1.odn.ne.jp/watai/

映画公式サイト:
http://www.littlebirds.net/index.html
※予告編を見ることができます(Windows Media PlayerまたはQuicktimeが必要です)。

紹介記事がオンラインで読めます。
東京新聞 2005年3月18日

東京新聞さんの記事から少し引用します:
 「Little Birds」(小鳥たち)

 映画のタイトルは、戦争の風景とコントラストを描くように、街中で聞こえた鳥の声と、一つのエピソードにちなむ。

 映画の主人公のアリ・サクバンさんは、朝食の準備中に家を爆撃され、三人の子を失った。娘たちの小さな墓標に書き込まれた言葉に涙する。

 <お父さん、泣かないで。私たちは天国の鳥になりました>

 イスラムの教えには「子どもが死ぬと鳥になる」という言い伝えがある。綿井さんは鳥に亡き子の姿を重ねて、思った。「鳥の鳴き声は、イラクの人々の泣き声。自分たちと同じ人間の泣き声だ」



話がいきなり飛びますが……こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社,ISBN 4575297445,800円+税:参考)を先日購入して読んだのですが,一度読んだらどうしても頭を離れなくなってしまった1行があります。
羽根を焼かれためじろが地べたを跳ねていた

『夕凪の街』は,1945年8月から10年を経過して後の物語です。飛べなくて「地べたを跳ねて」いためじろは,おそらく,そのときに主人公が五感で知覚したそのほかのものよりも小さくて些細な光景だったことでしょう。

そのめじろは声を出していたのかなあ,と,あれとこれとが結びついてしまいました。

話はさらに逸れますが,『夕凪の街』にはさらに頭に染み付いてしまったことばがあります。
わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ

  思われたのに生き延びているということ


昨年12月の綿井さんの文章(イラクを取材したときのもの)の中に,
生き残ったものが罪の意識を背負い、本来罪を背負わなければならない者が、何も問われない。

という1文があります。

英ガーディアン/オブザーヴァーのジェイソン・バーク記者の昨年9月の記事に,サドルシティの米軍スナイパーの言ったことが書かれています。
「時には罪悪感を感じるべきだろうなと思うこともあるが,実際には罪悪感は感じない。自分が撃った奴らは撃たれて当然の奴ばかりだった。別に何とも感じない。」


『Little Birds -- イラク 戦火の家族たち』は,今のところ上映が決まっているのは,東京(K's Cinema:新宿3-35-13 3F),大阪(シネ・ヌーヴォ:西区九条1-20-24),名古屋(シネマテーク:千種区今池1-6-13今池スタービル2F)の3館のようですが,他の都市での上映も決まり次第上記公式サイトで告知があるのではないかと思います。

また,今年8月以降(予定)は自主上映会の開催もできるとのこと。詳細は公式サイトの説明ページをご参照ください。

なお,この映画の短いヴァージョン(テレビ用)が昨年10月に上映された(私は都合がつかず見にいけなかったのですが)59分のフィルムだそうです。

あと,この映画,「ナレーションも音楽もない」(東京新聞記事より)のだそうです。

2003年9月に放送されたNHKスペシャル「私を変えた9・11」が,ナレーションなし&効果音楽なしでした(取材対象者がラジオやCDをかけるなどしてマイクに入る音楽はあり)。単なる受け身の印象論ですが,ナレーションも音楽もないことは,非常によかったです。


投稿者:いけだ
2005-03-22 08:45:22

ペンタゴン作成「イラク文化超お役立ちカード」みたいなもの

英国のウェブログを何となく見て回っていたら,こんな記事を見かけました。

leninology.blogspot.comというウェブログの3月11日記事

ペンタゴンが「イラクの文化超お役立ちカード」みたいなの(Iraq Culture Smart Card)を兵士たちに配布しているという紹介記事のようなものです。

smart_card

現物はfas.orgで見ることができます(PDFファイルです)。

以下はその「超お役立ちカード」からの「こうしなさい/これはしてはなりません」の部分と,それに対するleninology.blogspot.comさんの追加リストです。

■ペンタゴンの「お役立ちカード」より:
smart_card

「こうしなさい」リスト
全般的事項:

  • 出会ったとき,別れるときにはやさしく握手。ただし必ず右手で。
  • 女性に対しては,挨拶されるまで挨拶しない。握手は指先だけでしてもらうこと。
  • 質問をしたり幸運を祈ったりする場合には,家族全体に向けること。
  • 気長に。イラクでは時間についての態度がゆっくりしていてせかせかしていない。

イラク人の家庭で:

  • 出された食事はすべて食べてみること。少しだけでもよい。料理について,あるいは調理法については気軽に尋ねてよい。
  • リラックスしていてフレンドリーである様子を示すこと。信頼構築には社交的やり取りは極めて重要。

招かれた場合:

  • 礼儀正しくすること。帰りたくてしょうがないという様子を見せないこと。
  • ホストに心からの感謝を述べ,ご家族の皆様もお元気でどうぞと言うこと。
  • 会合には時間通りに到着すること。ただし本題に入るまえに世間話が続くことを予想しておくこと。


smart_card

「してはなりません」リスト

  • 他人との接触,食事,身振り手振りで左手を使わないこと。左手は不浄とされているる。
  • 女性を呼んだり触れたり凝視したりしないこと。女性の親族について直接的質問を男性にしないこと。
  • 男性がハグ&キスで挨拶したときに後ずさりしないこと。ハグ&キスは友人間では通常の挨拶である。
  • 指でささないこと。指さしは軽蔑を表す。手全体を用いて指し示すこと。
  • ある問題についてひとつの意見を尋ねないこと。イラク人は最初は正直な反応ではなく,あなたが聞きたいと思っている答えを返すことが多いからである。
  • イラク人と会話をしているときに,休めの姿勢を取ったり,どこかにもたれかかったり,興味のない様子を示したりしないこと。足の裏を見せないこと。
  • 会話の最中に後ずさりしないこと。対人距離の近さは慣習的なものであり,距離をとることは無礼とされる。
  • ラマダン中はムスリムには食物や飲み物を勧めないこと。自分でも公の場で飲食しないこと。ムスリムにはアルコールや豚肉を勧めないこと。
  • 宗教的話題はしないこと。
  • 「OK」の親指を上げるしぐさはしないこと。卑猥な意味がある。
  • イラク人の所持品をあまりにほめすぎないこと。それをプレゼントして,同等の価値のあるものをお返しにもらえると考えるかもしれない。


■leninology.blogspot.comさんの追加リスト:

「すべし」:すぐにイラクから出て行きやがれ。

「すべからず」:誰でもかれでも拷問するんじゃない。拷問は戦争犯罪で,そんなことをすればアメリカで最も奇天烈な拷問ビデオに出演することになるかもしれない。そうしたらかっこわるいよ。

「すべし」:今もそこで何やってんの?

「すべからず」:家や車や救急車を銃撃しないこと。

「すべし」:帝国主義への奉仕によって授けられた頭の悪いメダルを返しなさい。んなものはくれた奴の顔に叩きつけて返して,そんでそいつには失せやがれと言ってやりなさい。

「すべからず」:都市を爆撃し,脱出しようとするものを何でも銃撃しないこと。Good Soldier Svejkのアドバイスを忘れないように。「撃つな! あっち側に人間がいる!」

「すべし」:占領を終結させよと要求している怒り心頭の退役軍人やその親族と連合しなさい。

「すべからず」:あのくだらない「ニュー・メタル」【訳注:Limp BizkitとかSlipknotとかのような,メタル+ヒップホップが基本にあるやかましい音楽】みたいなゴミ音楽をかけるんじゃない。自分たちで事態をますます悪くしてるだけだ。俺に言わせりゃこうだ――もし俺があの馬のクソを聞かなきゃならんとすれば,自動車爆弾に縛り付けられてあんたの基地にまっしぐらだ,「あっっっらーーーーーーう あくばーーーーーる!」と叫んでな。

「すべし」:Frag(=俗語:嫌な上官を殺傷)せよ,司令官を銃撃せよ,ブッシュの肖像に火を放て,旗に小便をかけろ,無許可離隊せよ。

「すべからず」:あんたの人生についてオリバー・ストーンに映画を作らすな。絶対後悔するから。

なお,leninology.blogspot.comさんは実は" LENIN'S TOMB"というタイトルで,"Still Not Dead."「まだ死んでない」のだそうです。(実際は北アイルランド生まれ・育ちの英国人の方です。)


投稿者:いけだ
2005-03-21 07:55:47

私がイラクについて耳にしたこと (2)

米国によるイラク侵略から2年。日本で小泉政権が言葉への最低限の誠意を崩壊させている中、イラクについて何が語られてきたかを振り返る記事です。長いため、間を置いて順次掲載します。(1)はこちら。(※あるいはミラーサイトでのポストをご参照ください。)

私がイラクについて耳にしたこと (2)
エリオット・ワインバーガー
ロンドン・レビュー・オブ・ブックス原文
2005年2月3日

私はペンタゴンの報道官がこの軍事計画を「Aデー」、「衝撃と畏怖」と呼ぶのを聞いた。「バグダードに安全な場所が無くなるまで」、「ヒロシマの核兵器にも似た、数日とか数週間ではなく数分でもたらされる同時的効果が得られるまで」、300発から400発の巡航ミサイルを毎日発射すると報道官が言うのを聞いた。この報道官が次のように言うのも聞いた:「バグダードに座っていて突然自分が将軍で部隊の本部30箇所が殲滅されたと耳にする。さらに町が殲滅されたことも。つまり電力も水道も破壊するということだ。2日、3日、4日、5日のうちに、人々は肉体的にも感情的にも心理的にも消耗し切る」。私は彼が「この作戦の規模はこれまで目にしたことがなく、考えられたこともないようなものだ」と言うのを耳にした。

私は、米軍のチャールズ・スワナック少将が、自分の部隊は「クルミを割るのに両手で使う大ハンマーを使う」ことになるだろうというのを耳にした。

私はペンタゴン報道官が「今回は父親のときの湾岸戦争とはならないだろう」と語るのを聞いた。

私は、サダムが米軍の侵略に対して用いる戦略は、ダムや橋や油田を破壊し、南部への食料供給を遮断して米軍がいきなり何百万人もの絶望的な民間人に食料を提供しなくてはならなくなる状態にすることだと聞いた。私はまた、バグダードは二重のエリート共和国防衛隊で囲まれ、武器と補給品を備え、米軍兵士に対して使う毒ガスや細菌兵器から自らを守るために対化学物質の装備を身につけていると聞いた。

私は米国海軍のローウェル・ジャコビー中将が米国議会に、サダムは「『焦土』戦略を展開し、食料や交通、エネルギーをはじめとするインフラを破壊して、人道的破局を創り出そうとして」、それをすべてアメリカ人のせいにするだろうと語るのを聞いた。

私は、イラクが長距離スカッド・ミサイル----化学弾頭や生物弾頭を備えた----をイスラエルに向けて発射して、「この戦闘を米=イスラエル連合との戦いと見せてアラブ世界の支持を得ようとする」だろうという話を聞いた。

私は、サダムが身を守るために地下壕を強化し迷宮のようにしたと、また、それを破壊するためにはB61Mod11核「バンカーバスター」が必要になるだろうと語られるのを耳にした。

私は米国副大統領[ディック・チェイニー]が「数カ月ではなく数週間」のうちに戦争は終わるだろうと言うのを耳にした。

私はドナルド・ラムズフェルドが「戦争は6日間あるいは6週間は続くかも知れない。6カ月とは思えない」と言ったのを耳にした。

私は、ドナルド・ラムズフェルドが、米軍が歓迎されることについては「疑問の余地はない」と述べたのを耳にした:「アフガニスタンを見れば、人々が路上で音楽をならし、陽気に騒ぎ、凧揚げをし、タリバンとアルカーイダが禁止したあらゆることをしているのがわかる」と。

私は副大統領が次のように言うのを聞いた:「中東の専門家フーアド・アジャミ教授は、解放後、バスラとバグダードの路上は『喜びがはじける』こと確実だと予測している。同地域の過激派たちはジハードの戦略について考え直さなくてはならなくなるだろう。中東地域を通して穏健派が勇気を得るだろう。そしてイスラエル=パレスチナの和平プロセスを推進する我々の力も強まるだろう」。

私は副大統領が「我々が解放者として歓迎されることを私は本当に信じている」と言うのを聞いた。

私はイラク外相[当時]タリク・アジズが次のように言うのを耳にした:「米軍兵士は花をもって迎えられはしない。米軍兵士たちは銃弾をもって迎えられるだろう」。

私は米国大統領がテレビの福音派パット・ロバートソンに「いやいや、我々は全く犠牲者を出さない」と語ったのを聞いた。

私はソロモン諸島の首相が自分の国が「有志連合」の一つにリストされていることについて驚きを表明したのを聞いた:「私は全くそんなことを知らなかった」と。

私は米国大統領が侵略前夜にイラクの人々に次のように語るのを聞いた:「我々が軍事作戦を始めなくてはならないとすると、それが向かう先は皆さんの国を支配する無法者であって、皆さんではない。我々の連合が彼らの力を取り去ったあかつきには、我々が皆さんに必要な食料と医薬品を配布する。我々はテロの機構を分解する。そして我々は繁栄した自由な新しいイラクを建設するために皆さんを手助けする。この自由なイラクでは、隣国に対する侵略戦争は行われず、毒薬工場もなくなり、反対派の処刑も、拷問所も強姦室もなくなることになる。独裁者はすぐに追放されるだろう。皆さんの解放の日は近づいている。

私は彼がイラクの人々に「我々は皆さんの国が自由になるまで手を休めないだろう」と語ったのを聞いた。

以下、続きは順次ポストしていきます。「私がイラクについて耳にしたこと(1)」はこちらをご覧下さい。世界中どこにあろうと気に入らない国に対する侵略戦争を行うのではない、毒薬工場も核工場もない、反対派の処刑も、拷問所も強姦室もなくなるような自由な米国が誕生するのは、いつのことになるでしょうか。

米国がつきつづけてきた嘘をめぐっては、「戦争とテロを巡る40の嘘」(1)(2)(3)(4)もご覧下さい。


投稿者:益岡
2005-03-20 14:41:03

イラクのレジスタンス

イラク侵略から2年、著述家で活動家のタリク・アリが、米国の中東戦略および占領に対するイラク人レジスタンスの隆盛について『ソーシャリスト・ワーカー』紙に語る。

イラクのレジスタンス
タリク・アリへのインタビュー
2005年3月17日
ZNet原文

ソーシャリスト・ワーカー:ブッシュとブレアはイラク人レジスタンスをテロリスト、サダム・フセイン支持者、イスラム原理主義者などなどとして悪魔化しています。レジスタンスについてどうお考えかお聞かせ下さい。

タリク・アリ:帝国主義に対するレジスタンス運動はすべて、テロリストと名付けられてきました。ケニアのマウマウは悪魔化され英国による残虐な拷問の対象となりました。同じように、アルジェリアのFLNはフランスによって、ベトナムはフランスとアメリカによって。

今日、イスラエルのアリエル・シャロンはパレスチナ人をテロリストと呼び、ロシアのウラジミール・プーチンはテロと闘うという名目でチェチェン人を弾圧し、トニー・ブレアーはテロとの闘いという名目で英国の伝統的な市民的自由に対する攻撃を行なっています。イラク人レジスタンスが同様の特徴付けを受けるのはほとんど驚くようなことではありません。

はっきりしていることは、帝国主義の占領者を追い出そうとするために使われる手段は、占領の性質によって決まってくるという点です。米軍兵士の残忍さと米軍兵士たちが体系的に用いる拷問については沢山の証拠があります。それに対してレジスタンスが美徳を持って接するということが可能でしょうか?

アルジェリア独立戦争のとき、民族解放戦線(FLN)のある指導者が、アルジェのカフェを爆破したことについて、フランス人民間人に対するテロの行使はいかがなものかと聞かれたことがありました。彼は次のように答えています:「我々に空軍があったなら、フランス軍兵舎だけを攻撃すると約束しましょう。けれども、それまでは・・・・・・」。

ソーシャリスト・ワーカー:帝国主義とイラクのレジスタンスとの間の闘争は、アルジェリアにおけるフランスの植民地支配やベトナムにおける米国の植民地支配に対する闘いと比べてどのようなものでしょうか? 帝国主義勢力が使う技術は変化したのでしょうか? レジスタンスの性格は違ったものになったのでしょうか?

タリク・アリ:帝国主義者たちの技術は全く変わっていません。ベトナムではベトナム人200万人と米軍兵士5万人が死にました。今日のイラクでは、10万人のイラク人と1500人の米軍兵士が死んでいます。比率は変わっていません。

変わったのは私たちが暮らす世界です。伝統的左翼の崩壊にともなって大きな空白が生まれています。ベトナムやアルジェリアでは、運動を率いていたのは共産主義者(ベトナム)や世俗的民族主義者(アルジェリア)でした。

今日のイラクでは、イラク共産主義者たちの末裔----その指導者は英帝国により絞首刑にされて殺されたのですが----はあらゆるレベルで野蛮な協力者となっています。

武装レジスタンスを率いているのは宗教グループ、元バアシストそして地域によってはイラク人民族主義者たちです。民族解放戦線を結成できなかった政治的失敗は、レジスタンスにとってのアキレス腱となっています。

ザルカウィのアルカーイダ・グループは、米軍の占領後にイラクに入り込んだのです。このグループは非常に小さな少数派で、占領に反対するイラク人のほとんどから、その戦略は批判されています。

さらに、ムクタダ・アル=サドルとそのグループによる政治的レジスタンスもあります。これはバグダードのシーア派スラム、バスラの貧しい地区そしてイラク南部の他の都市を基盤としています。彼はあらゆる外国軍の撤退を要求し、イラクにおける米国の常駐基地にノーと言うでしょう。

統一イラク同盟(UIA)の指導者たち、アブドゥル・アジズ・アル=ハキム、そしてシーア派聖職者アリ=シスターニが----いかさま師アフメド・チャラビについては言うまでもなく----が屈服すれば、レジスタンスはイラク南部に広がるでしょう。

統一イラク同盟(UIA)の指導者たち、アブドゥル・アジズ・アル=ハキム、そしてシーア派聖職者アリ=シスターニが----いかさま師アフメド・チャラビについては言うまでもなく----が屈服すれば、レジスタンスはイラク南部に広がるでしょう。

私の見解では、占領を行なっている帝国主義軍隊の保護のもとで選挙を要求しその選挙を受け入れることは、さらなる共謀を招くだけです。シスターニは自らガンジーをモデルにしていますが、インドはイラクと大きくことなった歴史を持ち、またガンジーは第二次世界大戦のさなか英国に対しインドを放棄するよう呼びかけました。

米国政府内には誰がイラクを率いるかをめぐって意見の対立があります。最初の選択肢はイヤド・アラウィで、第二の選択肢はシスターニ/アル=ハキム/チャラビです。けれどもこうした机上の空論は、シスターニ政権が迅速な撤退を実現できなければすぐさま崩壊するでしょう。

ソーシャリスト・ワーカー:2003年以来、私たちは、ファルージャに対する二度の攻撃、ナジャフの蜂起、そして選挙と新たな暫定政権の据え付けを目にしてきました。2003年以来、イラクのレジスタンスはどのように発展し変化してきたのでしょうか?

タリク・アリ:ファルージャはアラブ世界のゲルニカです。一都市が破壊され、人々は殺され、拷問され、追放され、子どもたちは孤児にされました。悲劇的なことは、最初のファルージャ攻撃のときとは対照的に、シスターニが11月の二度目のファルージャ攻撃に沈黙していたことです。

すなわち、シスターニが率いる派閥は、権力の一部を担うことと引き替えにファルージャ破壊を受け入れたのです。この出来事はイラクの団結に対する最初の重大な破れ目でした。

米国政府は当初選挙を譲歩と見なしていました。とはいえ、米国のジャーナリストであるトマス・フリードマンは、シスターニがゲリラを弾圧するほうが米国人がゲリラを弾圧するよりも良いという理由で、ニューヨーク・タイムズ紙上で選挙を強く求めていたのですが。ちょうど、シャロンよりもアブ・マーゼンがパレスチナ人レジスタンスを粉砕するほうがはるかによいというようなものです。

被占領国で、帝国主義者たちはいつも分断支配を行います----イラク、アフリカ、ベトナム、朝鮮、キプロス、アイルランド、アラブ東部などは過去のそうした例です。アメリカ帝国は傀儡政権を据えてお互いに反目させるために各グループを活用します。

アラウィはシスターニに反目し、武装レジスタンスはアル=サドルに反目しといった具体です。だからこそ、政治的レベルでの基本的な団結が決定的に重要になります。多数派コミュニティの声としてシスターニがファルージャ破壊を批判していたならば、何らかの団結の基盤となっていたことでしょう。そんなわけで、私の見解では、レジスタンスはこの2年間ほとんど前進していません。これはイラクにとって悲劇的です。

ソーシャリスト・ワーカー:米国がイラクでしていることにはいくつかの要素があります。軍事的、政治的、経済的要素などです。レジスタンスはこれら3領域でどれだけ抵抗しているのでしょうか?

タリク・アリ:軍事的には、レジスタンスはイラクを統治不能にしました。数百万人の人が暮らす都市バグダードも含めてです。経済的には、外国企業とパイプラインを標的にすることは有効でした。石油企業ハリバートンはバスラでは歓迎されましたが、バグダードでは歓迎されませんでした。

これは最初の重大なネオリベラル型占領で、米軍と英軍に次ぐ三番目に大きな占領軍勢力は企業が運営する私設軍隊です。

数カ月前、南アフリカ人傭兵が一人射殺されました。後にこの傭兵はスティーブ・ビコを拷問した者の一人だということがわかりました。そのとき私は南アフリカにいましたが、多くの人が喜びました。

ソーシャリスト・ワーカー:レジスタンスは勝利できるのでしょうか? そして勝利するというのは何を意味するのでしょうか?

タリク・アリ:すべての外国部隊の撤退、外国軍の基地をイラクに置かないこと、そしてイラクの石油をイラク人がコントロールすることが勝利と言えるでしょう。けれども米国はそうなることを認めるでしょうか?

ヘンリー・キッシンジャーはイラクのバルカン化を提唱しました。その準備が出来ている唯一のグループはクルド人----油田を手にするという条件でですが----です。トルコ----自らのおぞましい理由で----もイラクの他のグループもこれを望んで受け入れはしないでしょう。

ですから、状況は酷く混乱しています。軍事的・政治的レジスタンスに全体としての政治的計画がないことは、非常に重大な弱点です。

あくまで個人的な印象ですが、新旧の教条主義的左翼勢力を含めた様々なグループにより「帝国主義」といった言葉が喚情的に使われすぎたため、状況を認識し理解するための言葉としてなかなか使われにくくなっている状況があるように感じます。

また、ソ連の崩壊などにより左翼勢力とか進歩派と呼ばれる人々が過剰に防衛的にあるいは批判を先取りして旧左翼的な傾向や体制を批判するような状況も生まれています。けれども、現実の状況をめぐる因果関係を認識せずにこうした防衛的反応を取るのは、イデオロギーに固執する態度と形式的には同一と言えます。

タリク・アリのこのインタビューは非常に基本的なことを明言しています。レジスタンスは不法占領に対して起きていること。レジスタンスが採用する手段は占領の残虐さに応じて決まってくること。さらにここから、存在するのは暴力の連鎖ではないことがわかります。イラクからの米国や米軍への攻撃など何一つ存在しない中で米国はイラクを侵略し占領し民間人を殺し、拷問・強姦したのに対し、レジスタンスはそれへの反応として起きたものであり、米軍が侵略をやめればレジスタンスは終わると思われる一方、レジスタンスをやめても米軍の侵略占領は終わらないことは米国政府自身が示唆しています。

大手メディアでは、「イスラエル」における、パレスチナ人の「自爆テロ」がしばしば報じられます。けれども、次のような事実はほとんど報じられません:2000年9月末に第二次インティファーダが始まってから最初の3カ月間、被占領地でのパレスチナ人の死者は279人、そのうち82人は子供である一方、同じ時期、イスラエル人の死者は41人、子供はゼロ。そして4人を除いて全員が、ガザと西岸地区すなわちイスラエルが不法占領している地域で犠牲になっていること。また、第二次インティファーダが開始されてから、イスラエル領内で「自爆テロ」が最初に起きたのは、パレスチナの被占領地内で、イスラエル軍や入植者たちが5週間のうちに200人以上のパレスチナ人を殺した後のことだということ。

レジスタンスの手段は占領の残虐さに応じて決まるとかレジスタンスは米軍占領に対する反応であるといったことを言うと、日本政府も加担している不法侵略と占領と大量殺人と拷問と強姦を擁護する人たちから「サダムの悪行を放置していればよかったのか」といった非理性的な反応が起こることがありますが、自らが強盗殺人を行うために先行の強盗殺人者を追放した強盗殺人者を擁護するために先行の強盗殺人者の悪行をあげつらう立場に、さほどの説得性があるようにも思えません。


投稿者:益岡
2005-03-20 11:05:56

イラクの石油をめぐる米国の秘密計画

ブッシュ政権によるイラク侵略から2年。侵略の大きな目的の一つが石油支配であることはほとんど報じられませんが、BBCニューズナイトでそれをめぐる話がありました。

イラクの石油をめぐる米国の秘密計画
グレッグ・パラスト
BBCニュースナイト 3月17日
ZNet原文

ブッシュ政権は2001年9月11日にニューヨークとワシントンのビルが攻撃される前から戦争計画をたてており、イラクの石油を狙った計画を立てていたが、それがネオコンと巨大石油企業の間に軋轢を引き起こしていたとBBCのニューズナイトは暴いた。

2年前の今日----ジョージ・ブッシュ大統領が米国と英国と連合軍がバグダード爆撃を開始すると宣言した日----それに反対し抗議する人々は、サダムを征服したあかつきに実施するためのイラク石油に関する秘密計画を米国は持っていると主張した。

実際には、二つの対立する計画があった。そこには、ペンタゴンを中心にしたネオコンと、「巨大石油企業」の経営者たち及び米国国務省の「プラグマティスト」たちの連合との間に、水面下で政策をめぐる闘争があった。

「巨大石油」が勝利を収めたように見うけられる。米国国務省からニュースナイトが入手した最新計画は、米国石油産業のコンサルタントたちが草案を作成したことを我々は知った。

内部の関係者はニュースナイトに対し、計画が開始されたのは2001年にブッシュが政権の座についてから「数週間」のうちであり、9月11日に米国のニューヨークとワシントンの建物が攻撃される遙か前だった。

イラク生まれの石油業界コンサルタントファラー・アルジブリーは、カリフォルニアとワシントンそして中東での秘密会議に参加したと述べている。彼は国務省がたてたクーデターをむりやり起こさせる計画について述べた。

アルジブリー氏自身がニュースナイトに対し、自分はブッシュ政権のためにサダム・フセインの後継者候補とインタビューしたと語った。

秘密売却計画

石油産業ご推奨の計画は、2003年の侵略直前に立案されたもう一つの秘密計画----イラクの油田すべてを売却することを提案していた----により脇へ置かれることとなった。新たな計画はネオコンが作成したもので、OPECの生産割当をはるかに上回る巨大な増産によりOPECカルテルを破壊することを目的としていた。

ロバート・エベルによると、米軍がバグダードに侵攻した直後、アフメド・チャラビを中心としたロンドンでの秘密会議で売却に青信号が与えられた。元CIAの石油アナリストであるエベルは----現在はワシントンの戦略国際研究センターのフェローとなっている----自分は国務省の求めに応じてこのロンドン会議に参加したとニューズナイトに語った。

かつてロナルド・レーガンとサダムを結ぶ「裏のチャネル」を務めたアルジブリーは、2003年に米国が据えた政府評議会が推進したイラク石油の売却計画は反対勢力を刺激し、米英の占領軍に対する攻撃を促したと主張している。

「ゲリラたちはこれを利用し、次のように言う:『ほら見ろ、我々は国を失っている。我々は資源を失い、その資源は裕福な億万長者たちの手にわたっている。奴らは我々を征服し、我々の生活を惨めなものにしようとしている』」。アルジブリーはサンフランシスコ近くの自宅からこのように述べた。

「我々は石油施設やパイプラインへの爆撃の増加を目にしている。これは、私有化がなされつつあるとの前提でなされているものだ」。

石油産業は私営化を阻止

米国シェル石油の元最高経営責任者(CEO)フィル・キャロルは、侵略の一カ月後に米国政府のためにイラクの石油生産責任者となったが、売却計画を阻止したのは彼である。

キャロルはニューズナイトに対し、彼は2003年5月にイラク入りした米国占領軍のボス、ポール・ブレマーに対し次のことを明言したと語った:「私が関わっている限り、イラクの石油資源私有化はあり得ない」。

キャロルの後継者として選ばれたコノコ石油社の重役は、石油業界が好むかたちの国営石油企業に関する新たな計画の立案を命じた。

ネオコンのヘリテージ財団のアリ・コーエンはニューズナイトに対し、イラクの油田を私有化する機会を逃したと語った。コーエンはその計画を米国がOPECを打倒するための手段として提唱していた。彼はまた、アメリカはこの「誰にでも自明な(頭がカラッポの)」決定を採用すべきだったと語った。

キャロルはこれに反駁して、ニューズナイトに対し、「コーエンの発言に同意したい気持だ。私有化は「誰にでも自明な(頭がカラッポの)」ことだ。そんなことを考えるのは脳味噌のない者たちだけだ」と述べた。

米国情報公開法によりニューズナイトとハーパーズ誌が米国国務省から入手した新しい計画は、米国石油産業が好むかたちの国有石油企業の創設をうたっている。この計画が完成したのは2004年1月で、テキサス州のジェームズ・ベーカー・インスティチュートに務めるエイミー・ジャッフの指導によるものであるとの情報をハーパーズ誌は入手した。元米国国務長官ベーカーは、現在弁護士をしており彼の法律事務所ベーカー・ボッツはエクソンモービル社およびサウジアラビア政府の代理をしている。

イラク計画の一部は次で見ることができる:
www.GregPalast.com/opeconthemarch.html

ニューズナイトの質問に対し、ジャッフは、米国石油産業はイラク油田の売却よりも国家による支配を望んでいる、というのもロシアのエネルギー私有化と同じ問題が繰り返されることを恐れているからだ、と語る。ソ連崩壊後、米国の石油企業は油田の入札から除外された。

ジャッフは次のように言う:「米国の石油企業・・・・・・がイラクの企業の資産をすべて私有化しその中で取り残されることに熱狂的でないのは確かである」。

さらにジャッフは、米国の石油企業はOPECを崩壊させるような計画を歓迎しないと言う。「石油企業は石油の価格を心配しなくてはならない」と。

「私が米国の石油会社の社長をしていたとして、私を嘘発見器にかけた状態で、私が石油価格高騰は私にとってあるいは私の国にとって良くないことだと言うかどうかは定かではない」。

シェル社の元ボスも同意する。ヒューストンから、彼はニューズナイトに対し、「ネオコンの多くは、市場と民主主義、あれやこれやについて一定のイデオロギー的信念を持っている。国際的な石油企業は例外なしに、極めてプラグマティックな商業組織である。神学は持っていない」。

グレッグ・パラストの映像----BBCニューズナイトとハーパーズ誌共同調査の結果として生まれた----は2005年3月17日放映予定。

侵略から2年。めまぐるしく起きる出来事を報ずる主流派メディアが、侵略自体の犯罪性と米国の意図について最善でもだんまりを決め込んでいる中、改めてそれらを確認し広める必要性を感じています。

チェイニーのタスクフォースが中心になって、イラクの石油を略奪するために計画を立てていたことは既に侵略前から明らかにされています。米国のイラク侵略の大きな目的の一つが石油にあることは、多くの証拠とともに自明ですが、大手メディアはこれについて最良の場合でもほとんど全く触れずにきており、最悪の場合は、石油が要因であるという主張は「単純すぎる」という極めて単純で根拠もない「識者」の主張をたれ流していました。

この記事に登場する者たちは、いずれも、イラクの石油は自分たちのものという前提を当然のものとして話を進めていますが、その点を含めこうした問題をきちんと扱わない多くのメディアも、その傲岸な植民地支配メンタリティを当然のものとしているようです。

ここで紹介した記事の背景にある事態の全貌を説明するには膨大なスペースが必要になります(ベネスエラのチャベス政権に対するクーデターを米国が後押ししていること、コロンビアへの米国の軍事介入強化なども図式に入ってきます)。現在、このテーマに関する極めて優れた本(カナダのベストセラー)の日本語版を準備しつつありますので、おって(といっても数日といったタイムスパンではあり得ませんが)この場でも一部を紹介できればと考えています。


投稿者:益岡
2005-03-19 21:55:46

Jarrarさんたちのファルージャ医療支援活動・第一段階終了のご報告

昨年10月,ファルージャ総攻撃が開始される3週間ほど前(しかし「ザルカウィの隠れ家への攻撃」あるいは「総攻撃の準備」としてその頃には既に大規模な破壊が行なわれていたのですが)に開始された,Jarrarさんたちの医療支援活動,とりあえず第一段階が終了したとの報告です。

これまでの経緯:
※詳細についてはこちらをご覧ください。

2004年10月19日に,Jarrar兄弟の2番目でバグダード在住のKhalidさんが彼のウェブログで呼びかけ(そのときの当ウェブログ記事),兄弟の一番上のRaedさん(アンマン在住)の銀行口座,あるいはPaypalのサーヴィスを利用しての送金(兄弟の3番目のMajidさん=カナダに留学中が事務手続きを担当)という形で募金。

その後,Paypalの新規アカウントの認証に時間と手間がかかるなどしていましたが,2004年11月下旬に,アンマンからファルージャへ向けて第一回目の物資発送を実施(そのときの当ウェブログ記事)。このときは物資はファルージャに届けられずバグダードに入り(そのときの当ウェブログ記事),その数日後,バグダードからファルージャ近郊の集落へと届けられました(そのときの当ウェブログ記事)。

2005年1月にPaypalの手続きがようやく完了し(そのときの当ウェブログ記事),2005年3月半ば(現在),第二回の物資発送が行なわれます。

これで彼らの支援活動の第一段階(phase one)は終了するとのこと。

活動に要した必要経費はすべてJarrarさんたちが負担し,寄付されたお金はすべて医療物資などイラクの人々に届ける物資を購入するために使った,とのことです。

詳しくは,Raed Blogの3月12日,The Emergency Aid for Civilian Victims Campaign: End of PHASE ONE という記事をご参照ください。さらに詳しい報告は,早ければ数日内にもRaed blogにアップされると思います。

投稿者:いけだ
2005-03-15 07:43:48

『ラマディの狂気』――米フロリダ州国家警備隊の「不適切な」ビデオ(米PBP,3月13日など)

3月8日,BBCに,米軍が重傷を負っている収容者を蹴ったり,死体の腕を振らせたりしている様子をビデオに撮影していたという記事が出ました。

その記事によると,昨年までラマディ(ファルージャの西)にいたthe Florida National Guard(フロリダ州国家警備隊)の兵士たちが録画した映像の中に,そのような映像があった,とのこと。テープは「ラマディの狂気(Ramadi Madness)」と名づけられていて,長さは約27分。シーンごとにタイトルとかもつけられているのだそうです。3月7日にその一部(←多分)がPalm Beach Postというウェブサイト(米フロリダ州)にアップされたそうです。

軍はこのビデオについて「不適切」としながらも,犯罪ではないとしていて,軍スポークスマンは「兵士らは厳重注意を受けたはずだ(I'm sure that they were admonished)」とロイターに語っているとのこと。

なお,このビデオの存在が明らかになったのも,ACLUが告訴に際して入手した文書に書かれていたため。ACLUの代理人(弁護士)はこのビデオについて「確かに不適切ではあっても犯罪ではないシーンも含まれている。一方で犯罪であると思えるシーンも少なくない(quite a lot of)。誰も責任を問われていないのは理解しがたい」と述べています。

このビデオについて,ビデオがアップされたPalm Beach Postが13日に詳しい記事を立てていますので,それを逐語訳しておきます。また,PBPの編集長による説明も,下の方に概略で日本語にしておきます。

「ラマディの狂気」のビデオ
'Ramadi Madness': Scene by scene
By Palm Beach Post Staff Reports
Sunday, March 13, 2005
http://www.palmbeachpost.com/localnews/content/news/epaper/
2005/03/06/m16a_videoscene_0305.html


26分47秒のこのビデオは,ウエスト・パーム・ビーチに拠点を置くBravo Company, 1st Battalion, 124th Infantry Regimentのメンバーによってイラクで撮影された映像を1本にまとめたものである。各シーンには,通常任務を撮影したものもあれば心に突き刺さるような(poignant)な場面もあり,また身の毛もよだつような(macabre)場面もある。

【シーン1:タイトル「トラックの件 The Truck Incident」】
夜間,屋外。兵士たちが1台のトラックの運転席側の窓に光を当てる。運転手は死んでいる。兵士が運転手の手を動かして,「まあちょっと待て。これからこいつに『どうも』って言わせるからさ」と言っている。

【シーン2:無題】
兵士2人がビニールの手かせ紐を使って,もう1人の兵士の首を絞めているふりをしている。

【シーン3:タイトル「すばらしく優れたスキル Super Special Skills」】
昼間,屋外。腕時計で2003年9月9日火曜日であることが示される。画面の外からの声が,画面に映っている上官たちをからかっている。兵士らは友軍誤爆(friendly fire)のジョークを飛ばしている。

【シーン4:無題】
夜間,屋外。パトロール中の兵士たち。画面の外からの声が「これが私と私のチームです」と言っている。

【シーン5:タイトル「ニューマンと彼のおもちゃ Newman and His Toy」】
夜間,屋内。兵士が自分の火器をカメラに示している。

【シーン6:タイトル「ハジの猫 Haji Cat」】
夜間,屋内。兵士たちが野良猫を抱き上げる。彼らはその猫に「炭疽菌 Anthrax」という名前をつけてある。猫を抱き締めて糧食を与えている。

【シーン7:タイトル「市長の独居房での私たちの新生活 Our New Lives at the Mayor's Cell」】
昼間,屋外。兵士たちが,とあるイラクの村を車で走り抜けながらジョークを飛ばし,クラクションを鳴らしている。ひとりの兵士が「どけどけどけー,俺たちのお通りだ!」と叫んでいる。

【シーン8:無題】
昼間,屋外。ビニールの手かせをされた収容者の列が兵士たちの背後に。カメラが押収された爆発物をパンして撮影し,画面の外からの声が「悪人,悪人,悪人」と言っている。

【シーン9:タイトル「ハジ激走す,ハジ銃撃さる See Haji Run, See Haji Shot」】
昼間,屋外。建物の屋上からの撮影。下では負傷したイラク人男性が,イラク人の男性達によって,歩道から建物の中へ引っ張り込まれている。

【シーン10:無題】
昼間,屋外。ひとりの収容者が,背後で手を縛られて,地面に座っている。画面の外からの声が,「こいつが何をやりやがったかは知らんが,こいつは悪人」と言っている【訳注:元記事で一部伏字。発言主はwhat the f**kを使っているらしい】。これとは別の収容者が頭部の負傷の手当てを受けている。画面の外からの声が,「カメラに向かってにっこりして」と負傷者に言っている。少人数のグループになった兵士たちが収容者に尋問している。ひとりの兵士がその男性に立てと命令する。ひとりの兵士が男性のポケットから何かを取り出す。それが何であるのかはわからないが,それはビニール袋に入れられている。

【シーン11:無題】
昼間,屋外。兵士たちが錆びた油の缶の中に発見した,プラスチック爆薬で作られた手製のブービートラップを,カメラがパンして撮影している。

【シーン12:タイトル「血の塊 Bloodclot」】
夜間,屋外。画面の外からの声によれば,場所は標的である家屋から数ブロック離れたところである。カメラが標的である家屋の内部に入っている場面に切り替わる。拘束された人物は,銃撃を受けたと思われ,うめいている。銃を持った兵士がカメラを見つめて,「この**野郎【訳注:f-wordと思われる】,俺に向かって撃ってきた」と言う。兵士は負傷した被拘束者を蹴っているように見える。別の被拘束者はシャツを着ていない。黒いマジックペンで背中に「b2-2」と書かれている。「今回の強制捜査はうまく行った」との声。カメラは負傷した男性のところに戻り,銃創を示す。カメラが建物の中を移動して,女性たちが拘束されている場所まで行く。画面の外からの声が「悪い女ども」と言う。

【シーン13:無題】
昼間,屋内。建物の中で兵士たちがジョークを言い,ドアを蹴っている。

【シーン14:タイトル「爆発物をおもちゃにするのをほっとくのは友人ではない Friends Don't Let Friends Play with Explosives」】
夜間,屋外。カメラが焼け焦げてバラバラになった複数の死体をパンして撮影する。画面の外からの声が,「クレーターができてる」「当然の報いだ,この**野郎が」と言う。ひとりの兵士が人間の遺体を指差し,その遺体を足で蹴って地面を転がしていく。そして次のような声が入る。「あ,これって頭蓋骨の一部じゃん」,「そこで壁に叩きつけられたんだ」,「爆発物を仕掛けてたんだな。その爆発物で自分たちがやられたんだ」。最後に,カメラが別の遺体のひとかたまりにフォーカスを合わせ,「白痴の脳みそです(That's your brain on idiocy)」という声。【訳注:このidiocyは「人を軽蔑し馬鹿にするとき」のことばと判断されます。】

【シーン15:無題】
昼間,屋外。兵士たちが銃や弾薬を発見する。

【シーン16:タイトル「コペンハーゲン」】
昼間,屋外。ひとりのイラク人男性がカメラに表情を作り,噛みタバコの缶を掲げる。彼はにっこりと笑って「コペンハーゲン」と言い,噛みタバコをたっぷりと口に含む。


最後の「シーン16」の「コペンハーゲン」とは噛みタバコのブランドのことです。

タイトルがつけられているものなど13の部分のビデオ映像を,記事のページから見ることができます。

ちょっと探しづらいかもしれないので,どのリンクから見られるかを示すために,ページの一部のスクリーンショットを掲載します。記事の左側のIraq videoという見出しの下の,それぞれのシーンのタイトルをクリックしてください。再生にはQuicktimeが必要です。


また,このビデオをウェブサイトにアップロードしたことについて,Palm Beach Postの編集長が詳しく書いています(3月13日)。概略を。(正確な訳ではありません。)

3月4日に問題のビデオのことを知り,本紙は当該部隊の司令官や隊員らへの取材を開始した。問題のビデオテープはダビングされて配られていたが,昨年,兵士らが囚人虐待の可能性があるために調査があると知った時点でテープは破棄されている,と軍の調査官らには伝えられていた。しかし,本紙は土曜日に問題のテープを発見した。そのテープを所有していた兵士は,内容がとんでもないものだと感じたという。彼は本紙にテープを渡してくれた。本紙では,問題のビデオをすべて見れば,軍の調査が為された理由について,また軍があのような(=「虐待ではない」という)結論を出した理由について,本紙が説明する上で,および読者のみなさんが理解する上で,有益であろうと考えたため,ビデオをアップロードした。

本紙では,今回のビデオもアブ・グライブ刑務所での写真のような,非常に残忍で生々しい映像なのではないかと考えていた。しかし,今回のビデオはそのようなものではなかった。テレビで流されている映像と同じような映像が大半であった――囚人たちをくたびれきった表情で警備する兵士たち,当惑したり怖がったりして兵士たちに近づかないイラク人たち,ふざけ合ったり野良の動物と遊んだりしている若いアメリカ人たち,といった映像だ。

だがそのような映像ばかりではない。死んだイラク人の手を振らせ「どうもと言わせ」ようとしている兵士の映像や,兵士らが踏み込んだ建物内で捕らえられているイラク人のひとりが,負傷しているのに蹴られているらしい映像がある。爆発のあった現場でばらばらになった死体を拾い集め,爆発の威力に目を丸くしている兵士の映像もある。収録されていた音声は,全編を通して,非常に荒い言葉であった。

ビデオテープを入手していなければ,本紙は今もまだ,軍の調査への反応について書いていたであろう。しかしビデオを入手したことで,本紙は,何が録画されていたのかを伝え,それをコンテクスト上に位置づけることに取り組んだ。

言葉が非常に荒かったためにそのままではアップロードができず,また作業時間がなかったので,まずは音声を消去したものをアップロードした。(後になって問題となる言葉にビープ音をかぶせる編集を行なったものをアップロードした。)爆発の場面はあまりに凄惨であったためにカットした。

軍による調査はその日の最大のニュースであり,本紙はそれを1面トップで報じた。ビデオ全体の内容を示すためには1枚の写真では不十分であると判断し,写真は何枚か使用した。使用した写真は,死亡したイラク人トラック運転手に手を伸ばす米兵のもの,強制捜査に踏み込んだ建物内部のもの,そして拘束された人の写真2枚である。うち1枚は,傷の手当てを受けながら「カメラに向かって笑って」と言われているイラク人のもので,もう1枚は手かせをされて兵士にポケットを探られているイラク人のものだ。見出しは「国家警備隊のビデオに厳しい戦場が映されている(Guard video shows harsh war scenes)」とし,「不法ではなく『不適切』とされた行為(Behavior deemed 'inappropriate,' not illegal)」という副見出しをつけた。

中面の記事では,メインの見出しは「司令官は兵士を弁護(Commander defends soldiers)」で,副見出しには「ストレスへの対処法はそれぞれで違う(Each individual handles stress differently)」という言葉の引用が含まれている。また,負傷して手を後ろ手に縛られている男性の写真など何枚かの写真も掲載した。記事内容と写真キャプション双方に,そのイラク人が兵士を狙って発砲したことが書かれている。

週末には,拘束された人が蹴られている写真で使えるものがないかと探した。それがニュースで最も大きく伝えられていたからだ。しかしビデオの映像ではあまりに突然の動作であり,時間も短く映像もぶれていて,使える写真を取り出すのに数日を要した。何が起きたのかは判然としない。

おそらくは,軍も同様に考えたのだろう。調査官らは,問題の行為は「犯罪行為であるというよりはむしろ不適切(inappropriate rather than criminal behavior)」と考えた。

結局はどういうことなのか――記事を読み,写真を見て,ウェブサイトの映像を見ていただき,最前線の司令官や兵士のコメントを読み,そしてご自身で判断していただきたい。

読者のみなさんが考えを固めるために,十二分の情報を供給することが,我々の仕事である。

私としては,本紙はそれを正確に,フェアに,締め切り通りに行なったと考えている。本紙が示したことは,判断を示すものではない(The presentation is non-judgmental)。本紙は部隊の司令官のコメントも,ビデオ撮影担当の兵士のコメントも,ACLUの代理人(弁護士)のコメントも掲載した。おひとりおひとりにご意見がおありのことと思う。

ご意見は私までメールでお寄せいただきたい(メールアドレスはeditor@*****.com)。


※訳注:メールアドレスは元記事には明記されています。ここでは一部を伏せましたが,伏せた箇所はpbpostです。

投稿者:いけだ
2005-03-14 22:00:00

米軍,アブ・グレイブに年少者を拘束(BBC,3月11日)

アブ・グレイブ刑務所(通称)でのいわゆる「捕虜虐待」について,先週,米軍の最終報告書が出されました。報告書の現物は私は見ていないのですが,報道されていたことを記憶にある範囲でまとめると,「一部の不届き者があのようなことを行なった」のであり「軍の責任は,一部の不届き者を止められなかったことに対してはあるが,あのようなことが行なわれたのは軍の責任ではない」という結論であるとのことでした。

私が見たニュースでは,これについて「それで問題が解決するのでしょうか。困ったものですね」と言っているのかな,という印象を受けるような感じの報道でした。

一方,11日の英BBCは,ちょっと違った切り口の記事を立てています。英国は,1)米軍のグアンタナモ収容所(ここでは「苛烈な尋問手段」がとられている)に自国人が拘束されていた 2)英軍もまたイラクにおいて「捕虜虐待」を行なっていた/いる という点で「他人事ではない」という意識があるんではないかと私は強く感じます。

当ウェブログの13日記事(ラフール・マハジャン)とあわせてお読みください。

米軍,アブ・グレイブに年少者を拘束
US held youngsters at Abu Ghraib
Last Updated: Friday, 11 March, 2005, 11:32 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4339511.stm
※原文が回りくどいところはまとめてあります。そのため,パラグラフの順番が入れ替わっています。直訳ではないので,元の記事とはニュアンスが異なると思います。「少年juveniles」「子どもchildren」「年少者youngsters, young people」それぞれの定義がどうなっているのかは,この記事ではちょっとわかりません。ただ単に同語反復を避けるための言い換えかもしれませんし,それぞれ別の定義があるのかもしれません。

わずか11歳という年齢の子どもたちがアブ・グレイブ刑務所に拘束されていたことが,公式の書類で明らかになった。

この文書には,一例として,酒に酔った米兵4人が17歳の女性の収容者を監房から連れ出し,強制して胸を露出させた上でキスをした,という目撃者証言がある。また,米軍は拘束していたイラク軍司令官の息子(17歳)に泥を塗りたくり,息子が寒さに震えるのを父親に強制的に見させていた,というケースも報告されている。

ペンタゴンは,拘束されていた人々の中に少年がいたことを認めてはいるが,虐待(abuse)を受けた子どもはひとりもいないとしている。

2003年7月から11月まで,アブ・グレイブ刑務所の責任者を務めていたジェイン・カルピンスキー准将が,刑務所に拘束されていた年少者や女性についての詳細を述べた部分が,アメリカのACLUが法的手続きを経て入手した文書のうち,2004年5月にアブ・グレイブ刑務所での虐待(abuse)についての調査の一環としてカルピンスキー准将に対し,ジョージ・フェイ少将【=調査責任者】によって行なわれた聞き取りを書き起こしたものに含まれている。

准将は,同刑務所に収容されていた最も年齢の低い収容者のもとを頻繁に訪れたと語り,ある男の子は「8歳くらいに見えた」と聞き取り調査で述べている。「その子は私にはもうすぐ12歳になりますと言っていました。お兄さん【あるいは弟か?不明】も同じく収容されているとのことでしたが,お母さんに会いたくてたまらないと言っていました。お母さんに電話をかけ(call)させてくれと泣いていました。」

准将によれば,米軍が子どもや女性のアブ・グレイブでの拘束を開始したのは2003年半ば。年少者の拘束事由については,准将は語っていない。

また准将は,この聞き取りにおいて,諜報部職員が,記録を取らずに拘束を行なう合意を成立させていた(had worked out an agreement)と語っている。

ペンタゴンは,対象者が敵性戦闘員であり,したがって戦争捕虜保護の資格は与えられないとの原則に基づいて,いわゆる「幽霊収容者(ghost detainees)」を拘束していることを認めている。

カルピンスキー准将は,米軍司令官は収容者を解放することを嫌がっていた――准将はそれを指して「解放恐怖(releasophobia)」と言っている――と述べている。また准将は,2003年の夏に当時イラクの米陸軍ナンバー2であったウォルター・ウォジャコウスキー准将から,たとえ無実であろうともこれ以上収容者を解放してはならないと言われた,と語っている。

カルピンスキー准将によれば,ウォジャコウスキー准将は「無実の民間人を15000人収容していたって私は構わない。我々は戦争に勝利しつつあるのだ」と述べたという。

ACLUは,米軍施設で拷問された(were tortured)というイラク人4人とアフガニスタン人4人に代わって,ラムズフェルド国防長官を告訴している。長官は,自分も補佐官も虐待(abuses)を黙認したりオーソライズしたりしたことはない,と述べている。

アブ・グレイブでのスキャンダルについての米軍軍事法廷では,兵士7人が有罪判決を受けた。残る2人の裁判は現在も続いている。


ACLUの国防長官告訴については,3月2日のニュース記事(TBSのもの:Googleのキャッシュ)を少し引用しておきます:

 イラクのアブグレイブ刑務所などで起きた虐待事件などに絡み、アメリカの人権団体が、「拷問を容認していた」として、ラムズフェルド国防長官を 告訴しました。

 「ラムズフェルド長官を告訴するのは、彼の承認した政策と、拷問や誤った尋問方法をとったこと、それに彼が拷問や虐待を止めなかったことによる」(人権団体のルーカス・グッテンターグ氏)
 
 告訴したのは「アメリカ自由人権協会」など、2つの人権団体で、イラクのアブグレイブ刑務所やアフガニスタンなどで、アメリカ兵によって拷問・虐待を受けた8人の訴えに基づき、調査を進めていました。

……中略……

一連の虐待・拷問事件に絡んで、ラムズフェルド国防長官という軍のトップがアメリカ国内で告訴されたのは、これが初めてのケースです。(2日 9:01 )


具体的には,長官がグアンタナモ(キャンプXレイ)における「圧迫を加える」尋問方法の容認文書に署名し(2002年12月),グアンタナモでの拷問が発覚してからも「それを黙認する態度を続け」たことについて,「法に基づき適切な処罰を受けるべき」というのが告訴理由。

一方で,BBCには,3月8日に米軍が重傷を負っている収容者を蹴ったり,死体の腕を振らせたりしている様子をビデオに撮影していたという記事が出ています。これについては別に改めて。

投稿者:いけだ
2005-03-14 21:54:08