女性への隠れた戦争(II)
アメリカ合衆国軍がイラクを占領する中、女性に加えられている様々な犯罪。長いので二つに分けます。本日は、第二部、これで完結です。
女性への隠れた戦争(II)
ルス・ローゼン
2006年7月13日
ZNet 原文
路上での性的テロリズム
一方、戦争が引き起こしたカオスにより、監獄の壁の外でも、女性への誘拐と強姦が激増している。ヒューマンライツ・ウォッチは、2003年7月、強姦や拉致の犠牲者と目撃証人にインタビューし、また、イラク警察と保健専門家やアメリカ合衆国軍事警察や文民問題担当官僚とインタビューして、「恐怖の雰囲気:バグダードにおける女性と少女への性的暴力と拉致」という報告書を発表した。バグダードがアメリカ合衆国軍の手により陥落してから数カ月のうちに、すでに、イラク人女性が強姦および/あるいは拉致されたという信頼できる主張を25件以上も手に入れていた。同報告書は、「警察官は性的暴力や拉致の申し立てを重視せず、警察には十分な体制もなく、性的暴力の犠牲者たちは、イラクの法執行担当者たちから無関心や性的差別の目に晒された」と書いているが、それも驚くべきことではない。それ以来、カオスと暴力と流血沙汰がイラクでエスカレートしたため、事態は悪くなる一方だった。
アメリカ合衆国軍がイラクを侵略してから、バグダードでは地元のギャングたちが街を徘徊しはじめ、道を行く少女や女性を拉致しはじめた。人権を調査している人々のインタビューから、恐ろしい話がわかっている。9歳の「サバ・A」に起きたことは典型的である。彼女は、自分が住む建物の階段から拉致され、放置されて人の住まない建物に連れ込まれて強姦された。強姦された直後にサバ・Aを目撃した、家族の友人は、ヒューマンライツ・ウォッチに次のように語っている:
「彼女は、階段のここに座っていました。午後4時でした。どうやら、男は彼女の後頭部を銃で殴り、[近くの]建物に連れ込んだようです。彼女は15分後に戻ってきましたが、[女性器のところから]血を流していました。[2日後にも血が止まらなかったので]私たちは彼女を病院に連れていきました」。
サバ・Aの治療をしたアメリカ合衆国軍属医師による医療報告は「女性器周辺への殴打と、女性器後部裂傷、処女膜の破損があったと述べている」。
2005年、アムネスティ・インターナショナルも、拉致された女性たちにインタビューした。若いエンジニアである「アスマ」の身に起きたことは典型的なものだった。母親と妹、そして親戚の男と買い物をしていたとき、武装した6人の男たちが彼女を車に無理矢理連れ込み、郊外にある農家に連れ去った。男たちは繰り返し彼女を強姦した。翌日、そのうち一人が彼女を自宅のそばまで来るまで連れていって、車から投げ出した。
2006年6月になって、地元のNGO「女性の権利協会」の広報を担当しているマヤダ・ザーイルは、「この4カ月、特に首都で、性的な虐待を受けたり強姦される女性の数が増えていることがわかっています」と述べている。
拉致された女性の中で、戻ってくることのなかった女性がどのくらいいるかは誰にもわからない。イラク警察のある捜査員が証言するように、「ギャングの中には少女たちを拉致することを専門にしている者もいる。彼らは女性を湾岸諸国に売り飛ばす。戦争前にもそうしたことは起きたが、今の状況はもっとひどい。彼らはパスポートなしで国を出入りできる」。ヒューマンライツ・ウォッチのインタビューによると、そうした女性の売買は、アメリカ合衆国による侵略の前には起きていなかった語る人々もいる。
アメリカ合衆国国務省が2005年6月に出した女性売買に関する報告書によると、現在の混乱した状況ではイラクでのこの問題の規模を「はかることは難しい」としながら、数はわからないものの、女性たちが、性的搾取のためにイエメンやシリア、ヨルダン、ペルシャ湾岸諸国に送られたと述べている。
2006年5月、ブライアン・ベネットは『タイム』誌に、「バグダード北部にあるカダミヤ女性刑務所」を訪問して「すぐに拉致と遺棄の話をいくつか知った」と書いている。「とても美しい18歳のアムナという名で呼ばれる黒髪をポニーテールにして後ろで束ねた女性は、アメリカ合衆国軍による侵略直後に孤児院から武装ギャングにより連れ去られ、サマラ、シリア国境のアルカーイム、そして北部のモスルの売春宿に送られ、その後、カダミヤの聖職者事務所を爆破するために、自爆ベルトを付けられ薬を飲まされてバグダードに送り返されたが、彼女はそこで警察に出頭した。判事は彼女に禁固7年を言い渡したが、それはギャングから彼女を守るためでもあったと、刑務所の所長は述べている」。
ベネットは、「家族や裁判所は、普通、娘の失踪[そしておそらくなされるだろうとされる強姦]にとても恥じ入り、そうした拉致を報道しない。そして純血を傷つけられた結果、汚名を着せられるために、失踪した女性が再び姿を現したとしても、家族は彼女を受け入れようとしないこともある」。
女性を失踪させる
そうした危険を避けるため、数え切れないほど多くのイラク人女性が、自宅に閉じ込められる状況になっている。歴史家のマージョリー・サルキーは、女性反戦組織コードピンクの2006年報告書で、この状況を「包囲されたイラク人女性」と呼んでいる。戦争前は、教育を受けたイラク人女性の多くが、仕事に当たり前に従事し、公的な生活にも参加していたと彼女は指摘する。けれども今や、そうした女性たちの多くがほとんど外出しない。拉致と強姦を恐れてのことである。アメリカ合衆国軍とゲリラとの交戦に巻き込まれることを恐れ、セクト的な報復を恐れ、また「きちんと身を覆っていない」と脅迫したり殴ったりする戦闘的イスラムを恐れている。
「英国が占領している南部では、ムクタダ・アル=サドルのマフディ軍が大きな勢力を誇っているが、女性たちは、状況は最悪であると語る」と英インディペンデント紙でテリ・ジュッドは述べている。「ここでは女性たちは家の中で暮らすことを強いられ、外出できるのは、スカーフで顔を隠し、夫や父親の後ろに隠れながらでしかない。スボンをはくことさえ反抗的な行為と見なされ、死をもって処罰されるかも知れない」。
目に見えない女性----イラクの原理主義イスラム指導者の一部にとって、これは夢が現実になったものであろう。たとえば、イラク内務省は、最近、女性だけで外出しないよう警告する布告を出した。「イラクはムスリム国家であり、女性の謙虚さに対する攻撃はすべて我々の宗教的信仰に対する攻撃でもある」と内務省上級官僚のサラ・アリは言う。スンニ派シーア派を問わず、モスクの宗教指導者たちは、礼拝の際、ほとんど男性からなる人々に向けて、女性は家で働かせるよう説得する。「女性が虐待される事件は、私たちが以前から言っていたことを証明しています」とバグダードのあるモスクのイマームであるサラ・ムジディン導師は語る。「仕事を探すのではなく、女性は家にいて、子どもたちと夫たちの世話をするのがイスラムでは女性の義務だということです----とりわけ、現在のように安全がない状態では」。
1970年代前半、アメリカ合衆国のフェミニストたちは、強姦の概念を再検討し、強姦は性的欲望によりなされるのではなく、別の人に対する力を示す願望からなされるものだと述べた。彼女たちは、強姦を、すべての女性を公共権をめぐる権利から遠ざけておくためのテロリズム行為であると論じた。アメリカ合衆国がイラクを侵略して以来、イラクの女性たちに起きていることは、まさにこれである。性的テロリズムが宗教的熱狂とあいまって、女性が公共生活で自らの場所を主張する権限を奪い去ってしまった。
これは、無謀なイラク侵略が引き起こした、無用に引き起こされた苦しみの、隠された部分である。新聞に報じられる毎日の爆発や交戦のさなかに、性的テロリズムがうずまいている。その規模が正確にどのくらいでかは知る由もなく、ここアメリカ合衆国では誰も気づきさえしないが、この性的テロリズムもまた、ブッシュ政権が「民主主義」を輸出し、「対テロ戦争」を戦うという名目で解き放ったものなのである。
ルス・ローゼンは歴史家でジャーナリスト。米国カリフォルニア大学バークレー校で歴史と公共政策を教え、またロングビュー・インスティチュートの上級フェローでもある。彼女の新刊「 The World Split Open: How the Modern Women's Movement Changed America (Penguin, 2001)」の新版が、新たなあとがきを加えて2007年に刊行される予定。
本記事の初出はTomdispatch.com(「主流派メディアに対する定期的な解毒剤」)に掲載された。このサイトは、トム・エンゲルハートが運営するネーション・インスティチュートのブログで、トム・エンゲルハートは「アメリカン・エンパイア・プロジェクト」の共同設立者であるとともに、「The End of Victory Culture, a history of American triumphalism in the Cold War」の著者。
ブッシュへの申し入れ署名、締め切りが7月末となっています。どうかできるだけ大きく広めて下さいますよう。
投稿者:益岡