.comment-link {margin-left:.6em;}

teanotwar - mirror/archive (Japanese fonts required)

Official mirror site of our blog, for those who can't access it, http://teanotwar.blogtribe.org, due to the technical problems, firewall setups, etc. http://teanotwar.blogtribe.org/のミラーリングを目的としています。記事部分に何も表示されていない場合は下までスクロールしてください。個別記事へのリンクは,記事の投稿時間のところをクリックすれば表示されます。

2005/08/04

CIAの訓練を受けた「さそり」たち

2002年2月か3月にブッシュ大統領がサインした書類でゴーサインが出されたCIAの別働隊――イラク人で構成され,バグダード,ファルージャ,カーイムなどで煽動や破壊活動を行なった「さそり」という名の準軍組織――について。

8月3日,米ワシントン・ポスト記事。

戦争前にCIAが米国を支援させるためにイラク人を訓練していたとの報
Before the War, CIA Reportedly Trained a Team of Iraqis to Aid U.S.
By Dana Priest and Josh White
Washington Post Staff Writers
Wednesday, August 3, 2005; A12
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/02/AR2005080201579.html

イラク戦争開始前にCIAがイラク人を集め,反乱(rebellion)を煽動し破壊活動を行ない,バグダードなど各都市に入ったCIA準軍組織が建物や個人を標的とするのを支援するよう,「スコーピオンズ(さそり)」というコードネームの準軍組織として訓練していたことが,3人の関係者により判明した。この3人は「スコーピオンズ」のことを知っている元情報部員および現情報部員。

CIAが「スコーピオンズ」に費やした費用は数百万ドル単位で,その存在はこれまで秘匿されていた。CIAは彼らに旧ソ連のハインド・ヘリコプターを共与してさえいる。しかし戦争前のこのユニットの任務のほとんどは――壁にスプレー缶で落書きをするとか,電気の供給を経つとか,あるいはひとりが述べたように「混乱の種を蒔く」といったもの――訓練や計画がお粗末なものだったために遅れたりあるいはキャンセルされたりした,と,情報部員らは述べた。侵攻が短期で進んだために,彼らの任務のほとんどの必要性がなくなったのだという声もある。

バグダード陥落後,CIAはスコーピオンズを使って反乱勢力への浸透工作を試み,また,尋問に手を貸し,さらに時には「汚い仕事」をした,と,情報機関高官は述べる。

あるケースでは,覆面をかぶり棍棒やパイプを持ったスコーピオンズのメンバーたちが,CIAと軍人の見ている前でイラク人の将軍を殴打したと,本紙が閲覧した調査書類にある。またこれは,複数の国防および諜報機関高官も証言しているところである。

本紙がこのケースについて調査を行なったことで,CIAは米上院の情報委員会でこのユニットについてのブリーフィングを行なうこととなった,と数名の国会議員および2名の国防省高官が述べている。

……中略……

CIAのスポークスウーマンであるジェニファー・ミラーワイズは,このユニットについてはノーコメントとしている。国防総省のスポークスマンらは,このユニットについてのコメントはCIAに聞いてほしいとしている。取材を受けたすべての政府関係者(現職および元職)は,スコーピオンズの性質上,匿名でならということで取材に応じている。

2002年2月か3月にブッシュ大統領によって署名された大統領認定(presidential finding)によって許可を与えられたスコーピオンズは,イラクにおける「政権交替(regime change)」の政策の一部であった。秘密工作のメンバーは,多くがクルド人によってリクルートされた亡命者で,標的の特定や爆発物・小火器の扱いの訓練を,ヨルダンにある秘密の基地2箇所で受けた,と米国政府関係者は語る。

戦争前に彼らは秘密裏にイラクに送り込まれ,バグダードやファルージャ,カーイムといった都市で,反乱が起こりつつあるとの印象を与え,軽度の破壊活動を行なった,とは,国防総省筋2名と情報筋3名(現職および元職)の話である。

「彼らは〔ターゲッティングのために〕建物などにXの印をかいた」と,元情報部員は述べている。

戦争開始後の第一段階の戦闘が終わると,CIAはこの準軍ユニットを通訳として使い,また危険が増大してCIAの情報部員たちがグリーンゾーンの中に留まることがほとんどとなったイラクで,物資の受け取りやインフォーマントとの接触に彼らを使った,との話である。

イラクでのカオスが拡大する一方で,このユニットに対するCIAの掌握は弱まった。「彼らは私たちによって作られたのだが,私たちの目が行き届いているとはいえなかった」と,ある情報関係者は語る。

「どのようにしてこうなったのかは本当にはっきりしないのだが,ある時点で彼らが尋問にも使われるようになった……地域のことばをしゃべるからだ」,そしてスコーピオンズが拘束した人々を手荒く扱っている現場が押さえられた,と,米軍調査官のカーティス・E・ライアンは,コロラドの軍事法廷に語った。この法廷では米兵4名が,2003年に起きたアビド・ハミード・マウフーシュ少将(Maj. Gen. Abed Hamed Mowhoush)死亡事件について訴追されている。

この準軍組織のメンバーの多くが英語はしゃべらなかった。侵攻後にスコーピオンズがイラクに入ったときには一般市民の服装をして一般市民の車を使ったので,しばしば反乱勢力と間違われた。幾度かは米兵が知らずにこのチームを反乱勢力として追跡し,彼らが米国と協力しているということがわかるまでは,米兵が彼らの公式な隠れ家を軍事標的と考えた,ということもあった。


この記事の最後の方に出てくる,2003年のイラク軍少将の死亡事件については,同じくワシントン・ポスト記事(同じく8月3日)を参照。

Documents Tell of Brutal Improvisation by GIs
Interrogated General's Sleeping-Bag Death, CIA's Use of Secret Iraqi Squad Are Among Details
By Josh White
Washington Post Staff Writer
Wednesday, August 3, 2005; A01
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/02/AR2005080201941_2.html

※一部だけ:

イラク軍のアビド・ハミード・マウフーシュ少将は米軍に拘束されたが頑として口を割らなかった。執拗な殴打を加えられ,工夫を凝らした尋問タクティクスを用いられても,少将は意志を貫いた。2003年11月26日の朝,米陸軍の尋問官と憲兵が緑色の寝袋を持ってきて少将をその中に入れ,外から電気コードでぐるぐる巻きにして床に転がし,そのまま仕事に出かけた。これが初めてのことではなかった。

イラク西部,カーイムの砂漠にある第6尋問室の床に転がされ,この寝袋の中で,56歳の少将は最後の息をした。肋骨は砕けていた。

その2日前,秘密裏にCIAの支援を受けたイラク人準軍組織が,少将がほとんど感覚を失うまで,拳や棍棒,ゴムホースなどで殴打した。彼らは米軍の尋問に協力していた――以上は機密扱いの文書から判明したことだ。

軍事法廷の文書によると,寝袋というアイディアはある兵士の思いつきだった。その兵士は昔,兄に寝袋に押し込められたことがある。そのときの心細さや怖さを,兵士は覚えていたのだった。カーイムにある施設の責任者だった上官たちは,そのような「閉所恐怖症的テクニック」は情報を引き出すために認められる方法であると信じていた。軍規ではこれは「恐怖(fear up)」タクティックというものだ。


記事は大変に長いのですが,このすぐ後の数段落は,要旨としては次のようなことが書かれています(正確な訳ではありません)――

この事件は,CIAの秘密ユニット「スコーピオンズ」の存在を世に知らしめた。彼らは戦争前に反乱(rebellion)を煽動し,戦後の反乱(insurgency)においてはいくつかの尋問に関与した。

カーイムでこの事件が起きたとき,アブ・グレイブでも後に広く知られることとなった拷問/虐待が起きていた。ああいったことはアブ・グレイブだけで起きていたのではなく,カーイムでもアフガニスタンでもグアンタナモでも起きていた。この時期,米軍の尋問担当者は,口を割らせるために独自の方法を考案しつつあった。そして彼らは,それが軍の実地マニュアルにあるfear upだとかpride and ego downだとかfutilityとかいったものを論理的に解釈したものであると考えていた。アブ・グレイブでの手法の一部はグアンタナモで拘束されている囚人の1人に対して行なわれていたものがイラクにも持ち込まれたものだ。犬をけしかけるなど,ペンタゴンの公式ガイダンスにかかれている特定の手法と関連するものもある。


マウフーシュ少将の死亡事件では,コロラド州フォート・カーソンの部隊に所属する陸軍兵士2名が起訴されているそうですが,その裁判の文書(機密扱い)をワシントン・ポストが入手し,さらに情報や軍関連の人に取材するなどして書かれたのが,この記事です。

記事では,殴打された後で寝袋に詰め込まれて死んでいたこのイラク軍(旧)将校がどういう人物だったのか,どのようなもので殴打されたのか,なども含めて詳細な記述がされています。

本当に短くまとめると,マウフーシュ少将はサダム・フセイン政権下の共和国防衛隊でかなり血なまぐさいことをしてきた人物で,カーイムの米軍施設には米軍に捕らえられて入ったのではなく,息子の身柄の解放を確実にするために自ら出向いた。(2003年11月の状況がどうであれ,自ら出向いていった彼は,法的には「戦争捕虜」ではないだろう。そこに何かあるような気もしなくもない。)

彼は反乱勢力を指揮していたと米国は考えていたので(実際にその旨供述しているとのことだが),米軍施設にやってきた彼を拘束し,情報を聞き出そうとした――はじめは穏やかに,しかし米軍が本当に知りたい情報については何も得られず,尋問方法は苛烈なものとなった。

有名になったアブ・グレイブとの関連では:
In the months before Mowhoush's detention, military intelligence officials across Iraq had been discussing interrogation tactics, expressing a desire to ramp things up and expand their allowed techniques to include more severe methods, such as beatings that did not leave permanent damage, and exploiting detainees' fear of dogs and snakes, according to documents released by the Army.

Officials in Baghdad wrote an e-mail to interrogators in the field on Aug. 14, 2003, stating that the "gloves are coming off" and asking them to develop "wish lists" of tactics they would like to use.

要旨:2003年8月,つまりマウフーシュ少将の拘束の数ヶ月前に,イラク全土の軍事情報部員で尋問手法について検討が行なわれ,もっと厳しい方法をも含めることが望ましいということになった。


なお,記事は2つともワシントン・ポストで,全体のロジックや語の使われ方などは「いつものワシントン・ポスト」です。

※この記事は,Raed blogの8月3日記事のコメント欄から見つけました。この記事のリンクをはってくれたどなたか(名無しさん)のおかげです。

投稿者:いけだ