CPTのトム・フォックスさん。
遺体発見の数日前、拉致から100日を経過したすぐ後にアルジャジーラで「人質ビデオ」が放映されたのですが(詳細はリンク先のコメント欄参照)、そのビデオにトム・フォックスさんだけ姿がなく、安否がわからない状態でした。
BBCやアルジャジーラ、ガーディアン(<URL控え忘れ)などによると、遺体は毛布に包まれビニール袋に入れられて、マンスール地区(バグダードの高級エリア)のゴミ集積場の段ボール箱の山の中に置かれていたそうです。警察が発見したその遺体が西洋人であったため、イラク治安当局から米軍に引き渡され、米軍からご家族に連絡が行ったそうです。身元はすぐに確認されたようです。
遺体は両手両足を縛られており、銃殺されていたとのこと。背中に殴打の後があり、また「銃殺される前に拷問を受けていた」と書かれている記事もあります。
CPTのステートメントは取り急ぎ内容だけ、「拉致から100日」の記事のコメント欄に入れてあります。
以下はCPTのメンバーとしてイラクでトム・フォックスさんと一緒に行動していたジャスティン・アレクサンダーさん(英国籍:関連過去記事)の追悼文@ジャスティンさんのブログと、トム・フォックスさんのブログの最後の記事です。
Goodbye my friend
Saturday, March 11
原文:http://www.justinalexander.net/2006/03/goodbye-my-friend.htm
トム・フォックスのことはこれからもずっと、大切な友人として、僕は記憶し続ける。僕が出会う可能性のある人の中で、トムほどにキリストのような非暴力のモデルとなる人、手本にしたいような人はいない。イラクの混沌とした状況のさなか、ストレスにさらされつつも、トムは常に穏やかさを保ち、一貫した信仰を守り、上品なユーモアのセンスを失うことがなかった。僕が、イラクで僕たちの周囲で起きていた何かについて恐れたり心配したり怒ったりして、脈拍が1分に100回になっていても、トムと話をすればひんやりとした池で泳いでいるような気分になり、すべての不安は徐々に消えていった。下の写真は2005年1月に撮影した。そのとき僕はシカゴでCPTのトレーニングを受けていて、そこでトムと初めて会った。その年の大半を、僕たちは一緒にイラクで過ごした。4月20日に僕個人を特定した殺すぞという脅迫があることを知ったときも、トムは僕と一緒にいた。彼は祈り、そして僕がどうしたらいいのか決める上で、相談相手になってくれた。一番恐ろしいときに最も大きな力を持っていたのは、トムからの支えだった。
彼の死は、僕たち全員にとっての喪失だ。けれども彼はそれを無駄とは考えないはずだ。さまざまな危険のことは彼は重々承知していた。というのは、最初にイラクに滞在したのが2004年の秋で、当時は拉致が多発していて、CPTの友人たちもたくさん連れ去られていたからだ。トムは自分の死で彼自身に注目が集まるのではなく、占領が作り出した混沌の中に閉じ込められている2500万人のイラクの人々の苦しみに注目が集まることを望むだろう。彼の後に続いて、何千という人々が非暴力の道を選ぶことを僕は望んでいる。それは高い代償を伴うものかもしれないにせよ。
報道によると、トムが殴打され拷問された証拠があるという。苦痛の中にあって、彼は、キリストのように、自分をそんな目に遭わせている人々への許しをと叫んだだろうか。トムを殺した人々は、トムを非人間化していたに違いない。「アメリカ人」だとか「人質」だとかいうふうに。けれどもトムは、そういう人たちのことを大切な神の子として尊んでいた。彼が11月25日、つまり拉致される前日に書いた「私たちはなぜここにいるのか」というストレートな省察を読むと、考え方がわかる。
「ここイラクで全景を眺めていると、非人間化というのは人を互いに結びつける有効な方法なのではないかと思えてくる。米軍は『テロリスト』を追い、殺すことに邁進しているが、この非人間化のことば(=『テロリスト』)の結果として、『テロリスト』だけでなく、イラクの多くの町や村で、何もしていないイラク人たち――男性も女性も子供も――をも殺している。暴力への道の第一歩は、私がある人を非人間化するところから始まるように思われる。……同胞たる人間に対し、非人間化するレッテルを貼り付けることでその人の人間性を奪うやいなや、最終的には拷問、負傷、死といった結果になりかねないプロセスを、私は始めることになる。『私たちはなぜここにいるのか?』私たち内部に存在する非人間化のありとあらゆる側面を根絶するために、私たちはここにいる。抑圧者によって非人間化されている人々とともに立ち、その非人間化に反対して立ち続けるために、私たちはここにいる。私たちは、自分自身も含めて人々に、神の子供たちを誰一人として非人間化することのないようにするために、ここにいる。他人を非人間化する者がいかに自身のたましいを非人間化していようとも。」
僕がこれこそがトムだと思う写真は、オレンジ色のジャンプスーツを着て、ムスリム・ピースメイカー・チームズのシーア派イラク人同僚たちと一緒に、破壊されたスンニ派の都市、ファルージャの通りを掃除しているときに撮影された一枚だ。2005年5月の撮影。コミュニティ間の和解を求め、占領によってもたらされた破壊を修復しようとしているイラク人の同僚たちを支持して、少しでも身体を張って動こうというトムが、ここにいた。
トムの死に際しての、CPTのステートメント
トムのブログの抜粋
(11:51 PM)
トム・フォックスさんのウェブログは:
Waiting In the Light
http://waitinginthelight.blogspot.com/
2005年11月8日、ファルージャからの「ことばなど何もない」というエントリが、最後になっています。この後、25日に、ジャスティンさんの記事にもあるCPTの定期レポート(だと思う)の文章、Why are We Here?を書いて、26日に拉致されました。
2004年10月に「バグダード初日」で始まったブログの最後のエントリは、ファルージャ訪問記です。(これをお書きになったときには、これが最後のブログ更新になるとは思いもしていなかったでしょう。)
私なりの祈りと感謝を示すため、これを日本語に。
Tuesday, November 08, 2005
There Are No Words
原文:http://waitinginthelight.blogspot.com/2005/11/there-are-no-words.html
「ファルージャの人たちの抱えている現実の問題はあまりに大きく、どのような言葉でもそれを的確に表すことはできません。」米軍主導の攻撃から1年後、いまだこの街から拭い去ることのできない苦難を語るファルージャの宗教者のことばである。
「このモスクにいた男性たちはすべて私の近隣の人たちでした。彼らはテロリストではありませんでした。」ある若い男性のことばである。彼が、負傷者と家を失った男性ばかりの部屋を後にした30分後に米軍がモスクを急襲した。そのモスクは、床に横たわる非武装の男性を米兵が射殺している様子をおさめたビデオで知られているモスクである。【訳注:モスクでの射殺については当ウェブログ過去記事@2005年5月をご参照ください。】
「1月にイラク政府が変わってからというもの、家屋を建て直す費用がまったくもらえなくなってしまいました。」CPTメンバーにいまだ破壊されたままのエリアを案内しながら、ファルージャの市民のリーダーが語ったことばである。
ことばなど何も出てこない。アメリカ人と多くのイラク人によって、「テロリストの町」ということばによって悪魔化された都市。住民たちが「モスクの町」と呼ぶ都市。住民ですらも検問所を通らねばならず、通過に1時間かかることもしばしばという都市。そして、まさにその検問所によって、経済的に窒息死させられつつあるひとつの都市。
昨年11月、米軍が1500人と推定するテロリストたちを掃討するために、米軍はこの人口30万の都市を攻撃した。CPTとムスリム・ピースメイカー・チームズのメンバーは、友人や連絡係と会い、この悲惨な出来事を記念する行事か何かの予定があるかどうかを確認するために、ファルージャにやってきた。
私たちへの返事は、記憶と抵抗と復活のエネルギーのことばだった。宗教者は、何人もの市民のリーダーが1周年を記念した行動の提案を持ってきたと語った。彼らの提案とは、パキスタンの地震の被災者たちのための救援活動に寄付する資金を作ろう、というものだった。宗教者は、イスラームのおしえでは、自分自身への支援を求める前に、ほんとうに支援を必要としている人に目を向けなさいとしているのですよ、と言った。
最近、別の中東の国を訪れたというその宗教者は、訪問中にリビアの宗教者に会ったのだそうだ。リビアの宗教者は、彼の町などリビア各地で、生まれた女の子が「ファルージャ」と名づけられていますよ、私の町だけで800人以上のファルージャちゃんがいます、と語った。
ことばでは不足だ。けれども私たちにはことばしかない。現在のファルージャでの生活の状態については、「集団懲罰」とか「ゲットー化」といったことばが浮かぶ。
毎日ファルージャの人々が直面している大きな傷を癒すことのできることばや行ないなどあろうか。この日の午後、私たちが行った先ではどこでも、幼い男の子たちがわたしたちのことばに耳を傾け、私たちが会いに行った人たちのことばに耳を傾けていた。1年前の出来事とそれによる傷を追体験しながら彼らは何を思っているのだろうか、と私はずっと考えていた。彼らが大きくなるにつれて、これらの出来事はどのような影響をこの子たちに及ぼすだろうか。
ことばなど何もない。
posted by Tom Fox @ 1:33 AM
トム・フォックスさんはもちろん信仰心のあついクリスチャンです(クエーカー)。その彼が、記事の中で何度も繰り返しwordsと書き、それと同時にThere Are No Wordsとことばで書いているのをたどって、安直ですが新約聖書のとても有名な部分を連想しました。
はじめに言葉があり,言葉は神と共にあり,言葉は神であった。
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
-- ヨハネによる福音書
出典:http://www.cozoh.org/denmo/John.htm
http://ebible.org/web/John.htm#
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CPTのサイトに、トム・フォックスさんの写真のページがあります。パレスチナの「壁」での写真、シリア国境地帯での写真など。
また、CPTの人々が寄稿してきたElectronic Iraqでは、トム・フォックスさんの特集のページがあります。ご自身のブログの記事でEIに寄稿されたもののほか、CPTのSheila Provencherさん、Joe Carrさんの文章、シンディ・シーハンさんがトム・フォックスさんのご家族に宛てた文章など。
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■当ウェブログの関連過去記事
今日、バグダードはかなり静かな一日だった
トム・フォックス(2005年5月23日)
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-cb5d7018f57935aac6201612ea0e6ffa.html
またはhttp://teanotwar.blogspot.com/2005/05/blog-post_25.html
子どもたちのために
トム・フォックス(2005年6月29日)
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-5ebf90b1be50593c517408dc9ca90a3f.html
またはhttp://teanotwar.blogspot.com/2005/07/blog-post_04.html
銃弾とお菓子と
Matthew Chandler, 10 May 2005
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-b4d59d399ec477e630cd54239cebece2.html
またはhttp://teanotwar.blogspot.com/2005/05/cpt.html
CPTメンバー拉致の件(2005年12月2日)
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-6e917400015cd360d8996778ccd48c5f.html
またはhttp://teanotwar.blogspot.com/2005/12/cpt.html
CPTメンバー拉致から100日。(2006年3月6日)
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-e12d5ec3d0f727f0cfe86eb0f22f4e9e.html
またはhttp://teanotwar.blogspot.com/2006/03/cpt100.html
■パキスタン地震
ウィキペディア
「オバハン」こと督永忠子さん@「日・パ旅行社」さん(パキスタン)の支援活動の日記
日・パ・ウェルフェアー・アソシエーション(現地責任者は督永忠子さん)
■トラバ先:
P-navi Infoさん「日記:トム・フォックスさんの記事」
投稿者:いけだ
■――追記
この記事だけでなく、メノナイト派の牧師さんでいらっしゃるPeter Poohさんのブログの3月19日記事、「CPTワーカー、トム・フォックス兄の召天の連絡に接して」もお読みいただければと思います。
http://blog.so-net.ne.jp/peterpooh/2006-03-19