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2005/06/28

情報が流れないようにという圧力――そしてバクバ近くとカーイムで起きていること(Jamail, 23 June 2005)

トルコのWTI最終セッションに証人として加わったダール・ジャマイルが,現地の大手新聞記者から聞かされた米国筋の圧力と,イラク内部からのメール。6月23日記事。

検閲
Censorship
Dahr Jamail, 23 June 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000256.php
またはhttp://electroniciraq.net/news/2019.shtml

とうとう,「イラク世界民衆法廷(the World Tribunal on Iraq)」の最終セッションを迎えた*1。証人が証言を行なうのだが,私も他の証人の方々と同様に,多くのメディアから取材を受けている。今日受けた取材のひとつが,トルコで最大規模の新聞のひとつ,Yeni Safak紙の記者による取材だ。

記者の名前は伏せておこう。その理由は読んでいただければおわかりになると思う。

この新聞は,私のさまざまな記事,とりわけ,11月のファルージャの殺戮に関する記事を,トルコ語に翻訳して掲載してきた。

今日私にインタビュー取材を行なった記者が私に話してくれたのだが,以前駐トルコ米国領事を務めていたエリック・エデルマン(Eric Edelman)は,トルコの首相に対し,私の記事をあまりたくさん掲載しないよう,この新聞にかけてほしいと告げたという。

「元領事はなぜそんなことを」と私は記者に尋ねた。

「氏が言うには,間違ったニュースだからとのことで」と,記者は軽く笑いながら私に言った。

エデルマンは,ロバート・フィスク【→参考URL】やナオミ・クライン【→当ウェブログ過去記事,2004-11-14など】の記事についても,Yeni Safak紙にあまり頻繁に掲載しないようにしていただきたいと告げたということもわかった。

私が思案をめぐらせている間,記者は私に向かって微笑んだ。そして微笑みを返して私は言った。「うれしい話ですね。それはつまり私がジャーナリストとしての務めを果たしているということですから。」

私たちはともに心から大笑いした。同席していたみなも心から大笑いした。

時々私のところに来る頭の鈍いヘイト・メールを思い出す――こういったメールは,私がちゃんと仕事をしているということの証だ。この手のメールにはいつも苦笑させられる。

というわけで,米国政府は外国に対し,その国でのニュースを検閲するよう圧力をかけている。こういった行為は米国の傲慢さの極みであるが,そればかりではない。大規模商業メディアに頼っている多くの米国人が,イラクで起きていることについて誤情報を与えられ,あるいは情報を与えられていないのはなぜなのかを,極めてはっきりさせているではないか。米国政府が外国でのニュースを検閲しようとしているのであれば,本国で米国で政府が何をやっているかは想像に難くない。

ファルージャの殺戮やアブ・グレイブの惨状のような出来事は,それぞれつながりのない出来事ではない。エデルマンのような人たちは,米国民にそれを知ってもらいたくないのだから。

エデルマンのような人たちは,バクバにいる私の情報源が今日伝えてきたことも,人々に知らせたくなかろう。

バクバからのメールには次のようにある。

「バクバ(Baquba)【→バグダードの北,地図】の南5キロのところにあるブフレズ(Buhrez)の町の近くで,米兵の乗った2台のハンヴィーが破壊されるということがつい最近ありました。その後で米軍とイラク軍兵士がブフレズにやってきて,すべての電話を切断し,水道を止め,医薬品が町に入るのを止めて,町の人々が『テロリストども』を引き渡さない限りは,この出入り禁止措置(embargo)は続く,と告げました。」

この出入り禁止措置が始まってもう1週間になるという。メールは続く。

「米軍は今もまだ,ブフレズに一切の医薬品や消耗品を入れさせません。人もまったく出入りさせません。市内の人たちへの水や食料や医薬品などの支援を組織した(ムクタダ・アル=)サドル支持者たちでさえ,町に入ることは許可されていません。ジャーナリストでさえ入れないのでニュースが出せませんが,状況は極めてひどいです。米軍は町の人々に対し,町の反対側で2台のハンヴィーを破壊した者たちを引き渡すよう再三再四要求していますが,町の人々はあの攻撃を実行したのが誰なのか,知る由もありません。」

それから,エデルマンのような人たちは,最近アル=カーイムやハディサ(Haditha)【→バグダードの西,240キロ】で米軍が攻撃していることについても,人々に知らせたくない。ファルージャの殺戮と同じくらいにひどいとイラクの人たちが言っている攻撃のことについても。

ハディサとアル=カーイムについて,昨日イラク人医師から送られてきたメールにはこう書かれている。

「聞いてください……この国の西部地域での犯罪を,あの畜生どもがハディサやアル=カーイムで行なったことを,私たちは目撃したのです。あれは犯罪でした。あれらの場所で,また最近のファルージャで,実に大きな犯罪を私たちは目にし,映像におさめました。この国の西部地域は大きな助けを必要としています。医師たちには緊急の援助を必要としています。お願いです。これはこの国の西部地域の病院(複数形)からの,緊急の人道にかかわる要請です。私たちの病院の1軒を,米軍がいかにして破壊したか,イラク西部地域の医薬品の蓄えを丸ごといかにして彼らが燃やしたか,病棟にいた患者のひとりをいかにして彼らが殺したか【死なせたか】……私たちがアル=カーイムの人々を助けることを,彼らがいかにして妨害したか。,私たちには明々白々たる証拠があります。これは急を要する人道上の要請です。イラク西部の病院(複数形)は,緊急支援を求めています……私たちは大きな人道的惨状にあり,医療の状態は最悪です……」

エドルマンのような人たちは,ファルージャにおいて同じ戦術が米軍によってとられたことを,一般大衆に知ってもらいたくない――町中いたるところに狙撃兵を配置して動くものは何でも撃ち,救急車を標的にし,医療を妨害し,あるいは事態に関係のない一般市民を大量に拘束する。

畢竟,ファルージャはモデルなのだ。ファルージャは私たちのゲルニカだ。そして今,ハディサとアル=カーイムもリストに入れられる状態になり,バクバとブフレズが破壊されつつある。

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訳注:
「イラク世界民衆法廷(the World Tribunal on Iraq)」については公式サイト参照。バートランド・ラッセル法廷(←ご存じない方は検索してみてください)の流れに位置する取り組みである。このWTIの「最終セッション」が,6月23~27日の日程で,トルコのイスタンブールで行なわれた。
http://www.worldtribunal.org/main/?b=44
http://www.h3.dion.ne.jp/~nowar/wti/last.htm←日本語

インディペンデント・ジャーナリストとしてイラクに入り取材を重ねてきたダール・ジャマイルは,イスタンブール最終セッションで証人として証言を行った。


おそらくはもう多くの人々の記憶から薄れているのではないかと思いますが,2004年4月のファルージャ包囲攻撃のきっかけとなったのは,傭兵たち(私営軍事企業社員・元ネイヴィーシールズなど米軍人)が襲撃を受けて殺され,死体が損壊された事件でした――米軍は「犯罪者を法の裁きにかける」ために攻撃するのだと“説明”していました。もちろん,傭兵たちを殺した殺人犯が捕まったという話は,その後一切聞きません。

現在,ブフレズ(Buhrez)から報告されていることの経緯は,2004年4月のファルージャによく似ています。犯罪が発生→米軍が町を包囲し完全に封鎖,というパターン。けれども2004年4月のファルージャよりも,状況は悪いように思えます。

ファルージャとゲルニカについては,下記の記事などもご参照ください。
Jonathan Steele and Dahr Jamailによる記事(2005年4月27日,ガーディアン)←日本語化済み@当ウェブログ
ミラン・ライによる記事(2005年5月4日)←同上
ソール・ランドーによる記事(2004年11月)←同上

投稿者:いけだ