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2005/12/13

イラクにおける米国の戦略

 
『ファルージャ2004年4月』著者の一人ラフール・マハジャンによる、イラクにおける米国の戦略をめぐるコメント。

イラクにおける米国の戦略
2005年12月5日
ラフール・マハジャン
EmpireNotes原文

ブッシュの新たな「イラクで勝利するための国家戦略」は、実際のところ、むちゃくちゃなものの寄せ集めである。この戦争に関するブッシュの雄弁な戦略は、外国の地を訪れた時代遅れの合州国人観光客に似ている----「トイレはどこ?」と聞いて、誰もわからなかったと見るや、大声でそれを繰り返す:「トイレだってば」。

ところで、リベラル派は嘲笑しているが、実際にイラクですでに一定の成功を収め、これからさらに成功しそうな米国の戦略が存在している。

ブッシュが繰り返し述べているにしても、それは依然として本当なのである:その戦略とは、米国が対ゲリラ戦を行わなくてよいように、代わりに対ゲリラ戦を行なってくれるイラク治安部隊を創設することである。当初、イラク治安部隊は戦おうとしなかった。2004年4月、最初のファルージャ攻撃のとき、この地域にいたイラク市民防衛隊兵士たちの8割は脱走した。

ジェームズ・ファローズは、今月の『アトランティック』誌に掲載された重要な記事の中で、よりよい訓練法によってその問題はおおむね解決し、さらにそれらの方法は新たな兵士の群を安定して作り上げているというデーヴィッド・ペトラウス中将の言葉を引用している。

一方、民主党の政治家たちは、そのイラク人部隊に「訓練が不足している」として嘲笑し続けている。

実際、事情に通じているとされるペトラウスも、悲しいまでに事情をしらない民主党員たちも、本当のポイントを逃している。ポイントは訓練ではなく意志である。最初のうち、ほかのイラク人と戦う理由を持つイラク人を見つけることが問題だった----中には金のために参加する者もいたが、戦いたがりはしなかった。

2004年4月、スンニ派もシーア派も含め、広い範囲で、イラクのアラブ人は、ファルージャ攻撃は集団的懲罰という不道徳な行為であると非難し、とりわけ女性や子供をはじめとする非戦闘員を頻繁に撃っていることについて激しく非難した。人々はファルージャのレジスタンスを正当で、実際、英雄的なものと見なしていた。そのために、イラク治安部隊兵士の多くは戦いたがらなかった。戦った者もいたが、私がこの目で目撃したように、逆の側に立って戦っていた。

今や、ペトラウスが言うように、給与が欲しいだけでなく戦いたがっている人々がとぎれなく続いている。セクトの分断が着々と広まっているのがその理由である。2004年の早いうちでさえ分断は存在していたが、その当時は、イラク人ゲリラは占領に対するレジスタンスと見られていた。シーア派の多くは特にそれに共感していたわけではないが、正当なものとは見なしていた。それからまもなくして、ゲリラは繰り返しアブ・ムサブ・アル=ザルカウィの顔と結びつけられたレッテルを張られることになった。それは、一つには、とりわけ恐ろしい出来事----断首のビデオや民間人への大量爆撃----をメディアが強迫的に報道したためであり、また一つには、思うに、おおむね非政治的だったスンニ派ゲリラにザルカウィの過激なセクト主義の影響が強まったためである。

その暴力が十分長いこと続いたあと、シーア派の人々は2005年始めに反撃を始めた。その結果、セクト的暴力----それまでは政治的であっても個人的ではなかった----が個人的様相を帯び始めた。同時に、イラク政府と結びついた民兵たちが、しばしば米国から訓練と助言を受けつつ、主としてセクトを基準に、「死の部隊」式殺人を行い始めた。

その結果、スンニ派ゲリラと戦いたいという理由で軍に参加するシーア派が今ではたくさんいる。現在姿を現しつつある米国の戦略は、セクト主義に依存しているだけでなく、セクト的ダイナミズムをさらに推し進める:シーア派兵士がスンニ派のアル=アンバル州をパトロールし作戦を実行し、クルド人民兵ペシュメルガが(新たな制服を着て)トルクメン人が多数を占めるタルアファルで作戦を実行する。

これは、以前の戦略と比べて、イラクにとって遙かに危険である----イラク人が米軍兵士さらには米国人を憎むとして、その憎悪の焦点は占領を終わらせることで取り去ることができる。イラク人がお互いを----根深い個人的なレベルで----憎むようし向けられるならば、解決を見込むことはできない。分割さえも答えにはならないだろう。多民族のバグダードは、1990年代における多民族のボスニアと同じ位置に置かれるだろう。

米国政府と軍にはこの戦略をすっかり白状する意図はない。彼等は、少数のスンニ派アラブ人が軍に参加し、バグダードで自らの同盟者SCIRI[イラク・イスラム革命最高評議会]がやっている拷問所を侵入捜査しさえしたことを、大きく吹聴している。一つには、この事実上の戦略がイラクにおけるイランの影響----米国が最も望まないこと----を強めているためである。

しかしながら、認めようと認めまいと、事態はこのように進んでいる。このダイナミズムを阻止するわずかな唯一のチャンスは、どのセクト集団も圧倒的な軍事的優位を保つことがないように米国が撤退し、すべてのグループが相互の交渉で事態を解決する誘因を持つことである。

投稿者:益岡