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2005/09/29

サマラ攻撃開始は間近か&タルアファル

タルアファルの「権利の回復作戦」の次はサマラ(サマッラ)だろうという記事は見てはいましたが,サマラ攻撃がそう遠くない時期に開始されそうです。EI掲載のIRIN記事。

予定されている攻撃を前に,一般家族がサマラから避難
Families flee Samara ahead of planned offensive
原文:http://electroniciraq.net/news/2167.shtml

SALAH AL DIN/BAGHDAD, 27 Sep 2005 (IRIN) ―― 高官らによると,イラクの都市サマラからは数百単位で一般家族が避難を開始している。サマラは首都バグダードの北120キロに位置する都市で,既に国防大臣が,同市に身を隠している反乱勢力に対する連合軍の攻撃の準備が開始されたと述べている。

Salah al-Din州のHamad al-Kashty知事は月曜日に,これまでに500世帯近くがサマラから避難したと述べた。現在,多くが外周部,特にバグダードのal-Dur, al-Salam地区周辺や,ティクリット市近くの無人の学校や行政関係の建物に身をおいている。

また知事は,「日々その数を増やす反乱勢力にとって,サマラ市が重要な場所となっていることは承知している。しかし政府は慎重に行動し,私たちの町でファルージャやタルアファルで起きたような恐ろしい状態にしないようにすべきである」と述べた。

知事は,市内では,特に反乱勢力諸グループが軍や政府によって武器を与えられている集団に属し,職を辞していない者は,誰であろうとも標的とみなすと宣言して以降,治安が極度にひどくなっていると説明した。反乱勢力によるこの宣言により,数十単位のイラク人が,家族が報復されないようにと職を離れた。

イラク内務省のスポークスパーソンは,イラクから武装勢力を一掃するためにこのような作戦は継続されると述べた。

内務省高官のAhmed Diarは,「Salah al-Din州もまた,イラクの反乱の憂慮すべきスポットとなっており,私たちはイラク人に対し安全と安心を与えるために情勢を掌握しなければならない。しかし現在作戦の日取りは確定しておらず,みなさんには私たちからの告知を待ってから非難していただきたい」と述べた。

サマラの住民たちは,反乱勢力がマシンガンをかついで自由に歩き回っており,自分の家に閉じこもっておらざるを得ない状態であると語る。

サマラで商店を経営するMuhammad Bakr(42歳)は,「閉店しました。この反乱を政府がどうしてくれるのかがわかるまで,開けないつもりです。家族を連れてこの無人の建物に来ましたが,バグダードのどこかに住居を見つけられるまではここで過ごします」と語る。

しかしイラク赤新月社は,先のタフアファルでの対反乱勢力攻撃のため5000世帯近くが避難せざるを得なくなったと述べ,イラク政府に対し,サマラでの作戦を進めないよう強く求めている。

イラク赤新月社のスポークスウーマン,Ferdous al-Abadiは,「赤新月社では,タルアファルから逃げてきた人々を助けるために全力をあげています。ここでまた作戦があれば,イラク人に対しますます不正義と痛みがもたらされるだけです。私どもの倉庫は空っぽですから,タルアファルへの援助も届けることが難しかった。ここでまた作戦が行われたら,もっとひどい状態になるでしょう」と述べる。

避難を開始した住民たちは,先週の宣言の後,市内にはイラクおよび連合軍が集結していると語っている。

3人の子の父で,市内から外周部に逃れたMahmoud Tikrit(56歳)は,「家族を連れて町から逃げるのがよいと考えた。タルアファルの兄弟たちがあんな大変なことになって,うちも同じになるかもしれないと思った。市内では米軍とイラク軍の数が増えているのがわかって,命を保証するには避難するのが得策と判断した」と語る。

また高官らは,サマラでの作戦は10月15日に予定されている新イラク憲法についてのレファレンダムにも影響するかもしれないと述べている。スンニ派の指導者らは憲法を支持しないようにと呼びかけているが,少数のスンニ派の人々が投票することを望んでいる。サマラでの作戦はこれを妨げるということだ。

9月21日,イラク赤新月社は,タルアファルに潜む反乱勢力を一掃するための作戦を連合軍が終結させた後,避難していた一般家族1500世帯近くが,タルアファルに戻ったと述べた。市内に戻った人々は,何十という一般家屋が完全に破壊されていると述べている。

帰還した人々がいる一方で,数千人規模の避難者たちは今でもキャンプ生活を送り,いくつもの人道組織からの支援で生き延びている。戦闘のために学期も中断されてしまっており,市全域で学校が遅れていると住民たちは述べている。

米軍3800人とイラク軍5000人が参加したこの(タルアファルでの)作戦では,テロリスト153人が殺され,187人が捕らえられたが,一般市民の死傷者は一切ない,と米軍筋では述べている。


タルアファル攻撃についても相当情報が少なかったですが,サマラはもっと少なくなっているように感じます。昨年11月のファルージャ攻撃は,情報の量はこんなに少なくなかった。それはファルージャがずっと,ある意味注目の的だったからかもしれません。ファルージャの後で大規模な作戦が行われたカーイムでの作戦(オペレーション・マタドール)も情報は少なかった

というか,サマラはこれまでにも何度も攻撃(米軍から,あるいは反乱勢力から)がなされてきたのですが,Googleで「サマラ」で検索しても,同音異義語が多いからですかね(ロシアの地名でもあり,人気映画の登場人物の名でもある),検索結果の中から「イラクの都市のサマラ」を探すのが大変なくらいです。「サマッラ」なら情報が絞り込めますが。あるいは「サマラ イラク」で検索するとか。

タルアファルでは28日,女性が自爆しました。これは,読売新聞は「イラクで異例!女の自爆テロ、国軍施設前で7人死亡」などと「!」つきの(まるでスポーツ新聞のような)見出しで報じています。共同通信の報道もありますが,私が見つけた日本語の記事はそれらだけで,どちらにしても短すぎてよくわかりません。

BBCによると,タルアファルでの28日の自爆は,9月の作戦が終わった後で立ち上げられたイラク軍のリクルート・センターの開所初日に起き,アル=カーイダ・イン・イラクのらしいメッセージがネット上に出ているとのこと。自爆した女性はアバヤを着ていたようです(Islamic dressとBBCには書かれている)。負傷したイラク人は「若い女が人混みをかき分けて進んでいった。そして爆発が起きた」と証言しています。(アルジャジーラ記事も見ましたが,「アル=カーイダ・イン・イラクのメッセージ」が本物かどうか疑わしいということがBBCよりはっきり書かれているのと,このセンターが前にも標的となったことが書かれている点が,BBCと異なります。)

なお,共同通信の記事に「内務省報道官は、旧フセイン政権の崩壊後、イラクで女性による自爆攻撃が伝えられたのは初めてとしている」とありますが,BBCでは,2003年4月(戦争中)に2人の女性が連合軍の検問所で乗っていた車を爆発させ,兵士3人を殺したことが書かれています。(そのときの記事を探してみました。→こちら。BBCで2003年4月5日付け。シリアとの国境から130キロの,ハディサ・ダムのところで起きたそうです。この「自爆」は,“戦争中”におけるフセイン政権崩壊前の自爆としては2例目。最初の例はナジャフで。)

投稿者:いけだ

拷問は米国の政策であって逸脱行為ではない

 
「今米軍が撤退したらどうなるか? 無責任だ」といった、歴史の分析も現状の把握も何もない、完全に空疎な非=言葉がたれ流される中、米軍による拷問は善意の中の逸脱ではなく体系的な政策であることを、グアテマラで拷問により殺された夫を持つ米国人弁護士が論ずる。

拷問は米国の政策であって逸脱行為ではない
法的責任はトップにまで至る

ジェニファー・K・ハーベリー
2005年9月27日
Counter Punch 原文

国連がイラクでの拷問をめぐる調査をさらに熱心に進めている中、多くのアメリカ人が怒りと混乱を感じている。

こんなことがどうして起きたのだろう?

真相は、カトリーナの大災害を生むこととなった現実の中に見つけだすことができる。この惨劇は新たなものではなく、はるか以前から続く根深いものである。

アブグレイブの拷問写真に、私たちの多くは寒気のするデジャ・ヴーの感覚を引き起こした。ラテンアメリカで拷問を生き延びたり、「死の部隊」に愛する人を殺された者ならば誰でも、アブグレイブで使われた拷問テクニックを、思い起こすだろう。

私たちはまた、米国が関与していたことも思い起こす。米国政府の指導者たちは、最近起きた虐待は少数の「腐った林檎」----若い逸脱した軍事警察官----の行為だと言い張るが、それに対しては首を振るしかない。以前にも、まったく同じ事を耳にしてきた。米国の若い兵士たちが命令に従ったために禁固刑を受ける一方、拷問を承認し命令した者たちは、何一つ処罰を受けないまま、合州国の法律を犯し続けている。どうしてだろう?

次から次へと異例なまでに拷問の出来事が暴かれ、イラクからアフガニスタン、グアンタナモのすべてで米国が同じ拷問手段を使っていることが確認されている状況で、「腐った林檎」のせいだとする自己保身は好意的に言っても弱々しいものに過ぎない。かくも多くの兵士たちが、まったく同じ拷問技術を偶然、無から同時に考え出したなどということはあり得ない。ここに見られるのは、公式政策であり、個々人の個別行為ではない。法的責任はトップにまで至る。

私たちはまた、この恐ろしい行為が発明されたのは、「対テロ戦争」の時期ではないことを思い起こしておかなくてはならない。ラテンアメリカ全土で、秘密裡に拘束された捕虜たちは、怒り狂った犬に攻撃され、耐えがたい姿勢を強要され、水に溺れる寸前までつけられ、長時間睡眠と食料を剥奪され、大音量の攻撃を受け、恐ろしい脅迫を受けてきた。

こうした拷問における米国の責任は、資金提供や軍の「死の部隊」に対する訓練にとどまるものではない。多くの場合、米国の諜報工作員は監房を訪れ、瀕死の捕虜を観察し、何か言ったり質問をしたりしていた。人間的な扱いをすべきだと主張するかわりに、これらの工作員は、捕虜を拷問されるがままに放置したのである。

さらに悪いことに、悪名高い拷問者の多くはCIAに密告者として雇われていた。私はそれを知りすぎるほど知っている。マヤ人のレジスタンス指導者だった私の夫は、そうしたCIAの「資産」として活動していたグアテマラの士官たちに2年間にわたり残忍な拷問を受けた。アフガニスタンで使われたとされる「水の穴」テクニックは夫の拷問記録にもあった。結局、私の夫は、ヘリコプターから突き落とされたか、手足を切り取られて殺された。彼が拘束されてから6日のうちに、CIAは自分たちが雇った者の手に彼が拘束されていることを知ったが、拘束者たちへの支払いを続け、米国議会からさえこの出来事を隠していた。そうでなければ、夫の命は助かったかも知れない。

こうした策略は、何十年もかけて発展させられてきたものである。アブグレイブの捕虜の象徴的な写真----フードをかけられワイヤーを付けられて小さな箱の上に立たされた----は、諜報要員には「ベトナム」として知られる姿勢なのである。

こうした拷問技術が政策としてあることははっきりしており、その多くは一つ一つを取り上げて承認されたものであることを考えると、米国の上級政府関係者が訴追されていないのはどうしたわけだろう? ジュネーブ第四条約は破壊活動家やゲリラを含む非戦争捕虜の保護を規定している。そうした人々が裁判にかけられ投獄されることはあっても、拷問されてはならない。米国の刑事法は、海外で捕虜の拷問を企てることを重罪としている。

私たちは、繰り返し、私たちの国家安全保障を維持するために拷問を許可しなくてはならないと諭されてきた。そうだろうか? 専門家は、拷問からは信頼できる情報を得ることができないという点で意見の一致を見ている。拷問の犠牲者は苦痛を逃れるために何でも言うからである。警察という立証済みの方法のほうがはるかに良い結果をもたらす。さらに悪いことに、ジョン・マッケイン上院議員(アリゾナ州選出共和党)やコリン・パウエル元国務長官のような軍事関係者が言うように、拷問禁止という保護規定を捨て去ることで、米国の兵士男女も大きな危険に晒される。

アメリカ人に対する怒りと憎悪を引き起こすことで、米兵たちはブーケのかわりに爆弾に直面している。怒りが増大すれば、ここ米国が攻撃される危険性も劇的に高まる。ここは私たちの国で私たちが責任を負っている。袖をまくって家を掃除するときがすでに来ている。

ジェニファー・K・ハーベリーは「Truth, Torture and the American Way」および「Searcing for Everardo」(『エヴェラルドを探して』新潮文庫)の著者で、ユニテリアンユニヴァーサリスト・サービス委員会の「拷問の永久廃止」キャンペーンの委員長。

ハーベリーは米国の弁護士で、夫のグアテマラ解放軍戦士エヴェラルドは1992年に行方不明となった。その後激しい拷問を受け、殺された。ハーベリーは米国で抗議行動を起こした。『エヴェラルドを探して』はその経緯をハーレクィン・ロマンス風の味付で記録したもの。

ラテンアメリカにおける米国要員、米国組織のエージェント、米国が訓練した軍や「死の部隊」による拷問について、もう一つ、ブラジルで拷問を受けたフレッド・モリス牧師(フロリダ教会委員会の委員長で、米国キリスト教会全国委員会のラテンアメリカ・カリブ関係局代表)の言葉。

1974年9月30日、私はブラジルのレシフェに住んでいた。11年近く当地で統一メソジスト教会の使節として働いていたのである。私はブラジル軍の治安部隊により自宅から誘拐され、続く17日間、拷問部屋に押し込められ、その後、「国益に有害」として国外追放処分となった(『タイム』誌1974年11月18日号および『ハーパー』誌1975年10月号を参照)。1974年に私に加えられた拷問技術は、イラクで米軍兵士が用いている技術とほとんど同じだった。顔にかぶせるフード、ケーブル、屈辱を与えるための残忍な手法。

拷問は、拷問を受けた者だけでなく拷問者にも、そして他の人々が拷問を受けたことで脅迫を受ける人にも、そして拷問が存在するという事実を無視しようとする人々にも、残忍な仕打ちを与え非人間化する。

拷問は、人間以下の扱いを加え、多くの場合人間以下の感情を持つよう強制し、しばしば人間以下の行いをするよう強制することで、拷問を受ける人々を非人間化する。拷問によりある人にむりやり友人や仲間、家族を裏切らせるならば、拷問の結果しばしばもたらされる永続的な肉体的ダメージとは別に、心理的・精神的ダメージは修復不可能かも知れない。

拷問は、拷問を行う者も非人間化する。拷問を実行する者の中で誘発され展開される精神病理に加え、どのような理由であれ拷問に訴える個人や政府は、同胞の人間との間で交わされた社会契約を裏切り、結果として人間社会から離脱することになる。

拷問は、それにより脅迫を受ける人々をも非人間化する。恐怖から福音を全的に謳わない教会聖職者、恐怖から真理の探究を止める学生、報復を恐れて真実を人々に伝えないジャーナリスト、報復を恐れて自らの利益を守るために組織化できない労働者、独立した良心に基づく行為が導く結果を恐れ独裁政権の抑圧的提案に印鑑を押すだけの政治家。これらすべて、そして人類のコミュニティ全体が拷問により引き起こされた非人間化を被る。

拷問は、「内政問題だ」とか一過的なものだとしてそれを無視しようとする人々も、非人間化する。そのような無関心は人間の共感や思いやりの泉を枯渇させ、人類家族の全員に関する世界コミュニティとの社会契約を破ることになる。文明と自由は、無関心な態度をあたりまえとする人々により育まれたのではないし、そうした人々によって維持されることもない。

イラク攻撃に加担すること、イラク攻撃への加担を黙認することは、拷問に加担したり黙認することでもあります。日本の首相に、こうしたことについて見解を表明したい場合には、ご意見箱などがあります。

投稿者:益岡