子どもたちのために
CPTによる、少し感傷的な、けれども、懸命に目を背けようとしなければ日本にもそのままあてはまるような、イラクの光景。
子どもたちのために
トム・フォックス
2005年6月29日
Electronic Iraq 原文
私は同僚の一人と、注文したものを取りに店に行った。店主は、イラクで治安とインフラ危機が続いており、とても落ち込んでいると語った。彼女は、多くのイラク人と同様、事態はよい方向にではなく悪い方向に向かっていると感じている。自分の生活には一日9時間週6日間働く以上の意味はないかのように感じ始めていると彼女は語った。一緒に働いている人は、状況をめぐる彼女の判断に反対はしなかったが、よりよい未来への期待を諦めないよう熱心に説いた。さらに、よりよい未来が実現するための一助となるよう働くのを決して諦めないことがさらに重要である、と。一緒に働いている人は、最後に次のように語った。「おそらく私が生きている間には事態は改善されないでしょう。けれども、私は、私たちの子どもたちのために、事態をよりよくするために働き続けます」。
私たちのアパートは、公園から通りを挟んだ逆側にある。夕方、夕食のために集まっている頃、頻繁に、一人の母親と3人の子どもが私たちのリビング・ルームの窓の外を歩いて通る。西日が、母親と3人の子どもの顔を照らす。彼女は疲れて見える。たくさんの、とてもたくさんの人が、ここイラクでは、とてもとても疲れている。彼女はまた、少し恐れているようでもある。今日という日が、ゲリラが公園の近くで自動車爆弾を爆発させる日になるのだろうか? あるいは、イラク国家警備隊の若い男たちが、ピックアップ・トラックの後ろにカウボーイよろしく乗って、発砲する気分になり、彼女と子どもたちを撃ち始める日になるのだろうか? けれども、毎日毎日、私は彼女が子どもたちを公園に連れていくのを目にする。疲労と恐れの下に、私は、彼女の心にある希望と勇気を感じる。その希望と勇気は、沈みゆく夕日がそばを流れるチグリス河を照らすように、子どもたちを照らし出している。この破壊された地で、生活の圧倒的な困難に立ち向かう勇気を、彼女は私に与えてくれる。彼女は、いまこのとき、危険と見通しのなさを完全に知りながら生きており、それでも希望を捨てず、絶望に屈さず、銃や爆弾を持った男たちにより身を隠すことを選ばない。彼女は私の今日しである。私に、今日の恐怖を全面的に意識して行きながらもなお約束される平和ですばらしい将来を想像する方法を教えてくれる。私は、どこにいようろ我々全員が「子どもたちのために」生きるよう祈る。
クリスチャン平和構築チームは全教会が参加する暴力削減プログラムで、歴史的な平和教会を起源とする。訓練を受けたチームのワーカが世界中の紛争地域に住んでいる。CPTは2002年10月以来イラクにいる。CPTについてのさらなる情報はhttp://www.cpt.orgを参照。CPTプロジェクトの写真はhttp://www.cpt.org/gallery。
投稿者:益岡