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2005/09/08

占領が私たちを分断する

 
「米軍が撤退したらイラクは内戦になる」といった言葉がまことしやかに囁かれている。そうしたシナリオはかなりの部分プロパガンダにすぎず、また、分断があるにせよ、それを引き起こした大きな要因は占領であるにもかかわらず。

占領が私たちを分断する
ウィリアム・ヴァン・ワグネン
2005年9月2日
Electronic Iraq 原文

水曜日(8月31日)にイラクで起きた悲劇的な出来事は、この国イラクがゆっくりと分解していく様を示している。自爆攻撃が起きるという噂が、イマーム・ムサ・アル=カディムの死を悼み追悼するためにカディミヤの廟に集まった約100万人のシーア派のあいだにパニックを引き起こした。群衆が驚いてどっと逃げ出したために、800人以上が押し潰されたり、橋からチグリス河に落ちて溺れたりして死亡した[1]。シーア派に起きたこの悲劇とともにスンニ派にも悲劇が起きた。米軍戦闘機がイラク西部のスンニ派の町に爆弾を落とし、45人を殺したのである。その多くは、女性と子どもだった[2]。

一方では反対勢力が、他方では米軍とイラク軍が民間人に対して犯す残虐行為は、セクト的緊張の火を煽り続けており、これまでは暴力沙汰に至らなかったイラク社会の分断を深めている。米国の占領を拒否する多くのスンニ派は、シーア派イラク人を「協力者」したがって「不信心者」と見なし始めている。シーア派が、米国が据えたイラク政府に参加したからである。一方で、多くのシーア派は、スンニ派をテロリストと見なし始めた。各種のゲリラグループを構成しているのはスンニ派だと思われており、その中には自爆や自動車爆弾を民間人に対して爆発させるグループも含まれているとされているためである。

けれども、現在のイラク内紛が宗教・民族間の全面的なセクト的紛争になだれ込むことを止めようと奮闘している多くのイラク人がいる。最近スンニ派の拠点ファルージャを訪れたとき、私は、地元の導師、そしてナジャフ出身のシーア派人権活動家に会う機会があった。二人はいずれも、シーア派とスンニ派が平和的に暮らすことができることを示すことに献身している。彼らが言ったことの一部を以下にあげよう。

ナジャフ出身のシーア派

「占領は人々のあいだに多くの障害を作り上げました。[米国人たちは]道徳など何もないシーア派警察官を[スンニ派の都市ファルージャに]据えました。・・・・・・これは、内戦の種を蒔くためになされたことです。アンバル州[スンニ派の地域]とクルド人地域、そして南部[シーア派の地域]出身の平和構築家たちは誰もが、内戦をするのではなく米国人に抵抗することで合意しています。誰がイラクをこうしたか、私たちは知っています。シーア派とスンニ派双方の聖職者を殺す闇の勢力です。占領が、私たちを分断しようとしているのです」。

ファルージャ出身のスンニ派

「サダム支配下の状況と今日の状況とを対比するお話を一つしましょう。それでイラクが独裁政権下で団結していたことがわかるでしょう。1999年4月27日、私の友人の一人が[政府の治安部隊に]拘束され、ジャララーの監獄に連れ去られました。私たちはタクシーを拾って彼を監獄に訪ねようとしました。タクシー乗り場に来たとき、多くの人々が待っていて、タクシーは一台もありませんでした。サダム・フセインの誕生日を祝うために車が全部出払っていたのです。そのため、タクシーに乗るために通常の10倍の料金を払うと言わなくてはなりませんでした。ジャララーに着いたとき、私たちは監獄への行き方を知りませんでした。そこで長い時間探し回ったため、余計にかかった分をタクシーに払って私たちの金はすべて底を尽きました。とても困りました。とうとう友人を見つけて彼を訪問し、それから家に戻ろうとしました。ジャララーのタクシー乗り場でも事情は同じでした。たくさんの人。車は一台もなし。私たちが待っていると、突然車が近づいてきました。運転手が言いました。『皆さん、バクバに行くのですか? 一人3000ディナールです』。私たちにはまったくお金がありませんでしたが、車に乗りました。私は不安でそわそわしていました。運転手がそれに気づきました。『どうしたんだい?』 そこで私は友人を訪問した話をし、金を全部使ってしまったと言いました。運転手----クルド人でした----は『心配しなくてもいいです。車から放り出しはしません。お望みならファルージャまでお連れしましょう』と言ってくれました。占領前のことです」。

「占領後、ラマディ出身の知人がいました。3カ月前、バグダードの病院に自分の兄を連れていった人でした。兄は心臓発作を起こしており、病院で死にました。この人物が帰宅するためにタクシーを拾おうとしたところ、タクシーの運転手は彼にどこから来たかと尋ねました。ラマディ出身だと答え、兄を病院に連れてきたが死亡したと答えました。運転手は彼を乗せるのを拒否し、『車から降りてくれ。あんたはテロリスト都市の出身だ』と言いました。この出来事は、占領前と現在の違いを示しています・・・・・・」。

[1] More Than 700 Die in Iraq Stampede, Al-Jazeera, August 30th, 2005.

[2] Scores killed in Iraq Air Strikes, Al-Jazeera, August 30th, 2005.

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クリスチャン平和構築チームは全教会が参加する暴力削減プログラムで、歴史的な平和教会を起源とする。訓練を受けたチームのワーカが世界中の紛争地域に住んでいる。CPTは2002年10月以来イラクにいる。CPTについてのさらなる情報はhttp://www.cpt.orgを参照。CPTプロジェクトの写真はhttp://www.cpt.org/gallery


投稿者:益岡