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2005/05/01

マーラ・ルジカのしてきたことは、実際にはどのような「意味」を持つのか。

※日本語の使い方がわからなくなりそうなのですが、上記タイトルで言いたいのは、「意味」であって「意義」ではありません。

4月29日、Znet掲載、ノーマン・ソロモン記事。

イラク:戦争、援助、そしてパブリック・リレーションズ
Iraq: War, Aid and Public Relations
April 29, 2005
Norman Solomon
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?
SectionID=15&ItemID=7752


4月16日にバグダードでマーラ・ルジカが死んだ後、アメリカのマスコミは広範囲の――そしてほとんどが賞賛する内容の――ニュースを流した。大胆不敵な精神を持ち、かつ広大無辺な献身をしてきたこの人道支援活動者は、イラクにおける戦争によって傷つけられた一般市民の存在を知らせ、彼らへの補償を得ようとする上で、幅広い層の人々からの支持を集めていた。

ルジカが固く決意していたのは、イラクの犠牲者/被害者たちを、誰かに愛されていた人々を、助けることだった。彼女は「彼らの悲劇は、私たちの責任なのです」と語っている。故郷のカリフォルニア州レイクポートで営まれたルジカの葬儀では、友人や同じ活動をしてきた人々が、モラルの力に突き動かされて大きなリスクをとり、そして28年の人生であんなにも多くを成し遂げたひとりの女性を追悼していた。それは心動かされるものだった。

みなが異口同音に、彼女はすばらしい人であり、彼女の影響で自分も動いたのだと言う。しかし、葬儀を後にしてからは、メディアの並べ立てる美辞麗句や各種の賞賛の言葉が、私にはどうにも気になって仕方がなかった。私たちはマーラ・ルジカの生を、彼女の仕事を、彼女のメッセージを祝うよう仕向けられていた。しかし――今も続く戦争というコンテクストにおいては――彼女のメッセージとは何だというのか?

死ぬ何日か前にルジカが書いたことばほど、当を得た簡潔なまとめはなかろう。彼女の死後、USAトゥデー紙に、バグダードの日付で掲載された記事である。「こちらでは米軍将校と関わる機会がありますが、そういうときには彼らは、一般市民に死んだり負傷したりしている人が出ていることに、後悔と良心の呵責を抱えていることを示すのです。一般市民死傷者の数がシステマティックに記録され、公に発表されれば、生き延びた被害者達が自分たちの生活を再び立て直すための助けとなるのです。」

死ぬ前の2年間の間に、ルジカは米軍と折り合いをつけていた。それまでの反戦活動とはまったく対照的に、彼女はイラクでの米国の戦争に反対しなかった。「私は戦争について特定の立場を取らないことにしました。そうではなく、人道にかなったことをしていきたいのです」と、ルジカは2003年12月にサンフランシスコ・クロニクル紙に語っている。段々と、彼女はペンタゴンとの共通の地盤を見つけていくようになった。

人道の原則と正義は、確かに、負傷者のため、また死者の家族のための「補償」を要求する。そのような方法は、モラル的には、正しい――しかし惨めなほどに不十分だ。奪われた生命のため、本当の補償をすることなど、不可能なのだということを、私たちは決して忘れてはならない。負傷させたり殺したりすることがストップしなければ、解決などない。悲劇が起きるたびに金銭的な義務を果たす、というだけでは解決などしない。

米国では、主流メディアでのマーラ・ルジカの取り上げ方は、もしも彼女がこの2年間、米国の軍事占領についてはっきりと反対していたとしたら、このように好意的なものとはならなかったであろう。ルジカはバグダードの米軍の高官やワシントンの政策決定者にかわいがられたが、それは彼女の性格の暖かさや魅力のためだけではない。彼女の仕事は、戦争遂行のために、プラグマティックな面で助けとなると理解されるようになった、ということもまた、現実である。

ルジカが死んで5日後、フィラデルフィア・インクワイアラー紙のコラムニストであるトゥルーディ・ルービンが「一般市民死傷者は、イラクの解放というストーリーラインの上の、不都合な汚点である」と書いている。このコラムはさらにこう続く。「ルジカは、一般市民で犠牲になった人たちを助けることは正しいことであるだけでなく、軍事的に必要不可欠なことでもあるということを、理解していた。」イラクの一般市民がペンタゴンの火器で死ぬと、その死が感情を掻き立てる。そしてそれが「若い男たちが米兵を攻撃してやろうかと考えるきっかけとなる」。

ルジカの葬儀の後、ロサンジェルス・タイムズ紙は、「彼女の努力は、パトリック・レーヒー上院議員(バーモント州選出、民主党)によって議会に持ち込まれ、被害者への支援として3000万ドルが拠出される結果となった。これは前例のない金額である」と書いた。しかし議会は、戦争パイプラインにさらに800億ドルを投入することを可決したばかりであり、また、そのような追加的資金で近々実施される見込みのものは、ほかにもたくさんある。今日、死亡したり負傷したりといった影響を受けているイラクの人たちへの「補償」をするために数百万ドルが出され、――そしてイラクの人たちを殺し傷つけ続けるために数十億ドルが出されるというのが、現実の方程式なのだ。

この春、彼女の死の前も後も、ルジカの仕事がきっかけとなって、米軍がひそかに、ペンタゴンの軍隊によって引き起こされたイラクの一般人死者の多くの記録を取り続けているという事実を――ワシントンは長くそのようなことはしていないと主張してきていたのだが――白日の下にさらされた。この情報が明るみに出たことは、正しい方向への第一歩なのだろうか? そうだ。しかし同時に、メディアの情報操作によって、イラクでの米国の戦争は常に温情あふれるものとなりつつあり、生を肯定しているものとなりつつあるのであるという幻想がばら撒かれている。今でもさらにまだイラクの人々を負傷させ殺している米国のものすごい規模の軍事作戦にとっては、そのようなストーリーラインがパブリック・リレーションズとしては適格なのだ。
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ノーマン・ソロモンは最新刊、"War Made Easy: How Presidents and Pundits Keep Spinning Us to Death"が初夏に出版される予定である。コラムなどの記事は、www.normansolomon.com で読むことができる。


マーラ・ルジカの死の第一報としては、マスコミではなく在バグダード(当時)のNGOワーカーのウェブログの記述を日本語にしてあります。また、かなり個人的な文章もあります。

いけだ