バグダードのモルグは日々溢れている
『ファルージャ2004年4月』著者の一人、ダール・ジャマイルが伝えるバグダードのモルグの状況。
バグダードのモルグは日々溢れている
ダール・ジャマイル
2005年4月15日
ZNet 原文
DahrJamailIraq.com
バグダード発4月15日(IPS)。イラクで分離主義的な殺害が増え続けている中、バグダードの中央モルグは、日々運ばれてくる遺体の処置に追いつけない状況になっている。*
このモルグには、少ない日でも、一日60人の遺体が運び込まれ、ときには遺体の数は100を超えると、匿名を条件に、モルグの職員がIPSに語った。
「平均は、おそらく85遺体を超えるだろう」と、この職員は、4月12日の朝、述べた。この日の朝、愛する家族が遺体となっていないか確認するために、何十家族もが、モルグの前に並んでいた。
2月16日にイラク警察に連れ去られたアシャラフという名の男性の家族は、モルグの中にあるデジタル写真を心配そうに調べていた。そこで、探しているものが見つかった。
「アシャラフが連れ去られたとき、二人の息子も殺された」と50歳の叔父アジズは言う。「アシャラフは煉瓦積み工で、ただ自分の仕事をしようとしていただけだった。この新しい民主主義とやらの中で、彼に何が起きたか、今、私たちは知っている」。
アジズは、アシャラフの遺体がイラク警察により2月18日にモルグに運び込まれたことを知った。連れ去られた2日後である。遺体の写真は、頭に銃で撃たれた痕があり、顔中に棒で殴られた痕があった。腕は二本ともおられていたようで、胸には数多くの穴があけられていたため、ずたずたになっているように見えた。
2004年10月29日に英国の医学誌『ランセット』に掲載されたレポートは、「控えめな仮定のもとで、われわれは、2003年のイラク侵略以来、10万人あるいはそれ以上の、過剰な死者がいると思う」と書いている。
そのアップデートとして、この報告の第一著者であるレス・ロバーツは、今年2月8日、侵略以来のイラク人民間人死者は30万人にのぼるかも知れないと述べている。
この死者数は、IPSがバグダードのモルグで得た情報と一貫している。
モルグの職員によると、15日経っても身元のわからない遺体は、埋葬当局に送られて記録され、それから、ナジャフの墓地に埋葬のために運ばれる。彼がこの話をしているときに、イラク警察のピックアップ・トラックが3台、それぞれに10人の遺体を載せてモルグに到着した。
埋葬当局では、職員がIPSに「2月1日から3月31日までの間に、われわれは、バグダードから2576人の遺体を埋葬した」と語った。
バグダードのモルグの管理官の話を聞きたいというIPSのリクエストは、「治安上の理由」により却下された。
一連の調査が、多数の民間人死者が出ているのは、米軍主導の占領の結果であると指摘している。
内務総裁ガジ・アル=ヤウィルの政党に属する人道グループであるイラキユンは、昨年7月12日、米国のイラク侵略以来、12万8000人が暴力的に死んだと述べている。同グループは、この数値は、親類が確認した死だけを数えたもので、ただ失踪して探しようのない多くの人々については考慮していないと語っている。
ピープルズ・キファーという別のグループでは、数百人の学者とボランティアが「イラクの墓堀人たち」と協力して行われた調査に参加している。このグループは、また、「病院の情報を手にし、米軍の発砲によりイラク人が殺された事件の目撃者数千人と話をした」という。
このプロジェクトは、調査団の一人がクルド人民兵に捕まり、米軍に引き渡されたあとで、中断された。誰も、それ以来、彼の姿を見ていない。それにもかかわらず、2カ月弱の仕事を通して、同グループは、2003年10月までに暴力的な死を遂げた民間人3万7000人の情報を記録した。
バグダード中央モスクだけで、1年に約3万人の遺体を受け入れている。バスラやモスル、ラマディ、キルクーク、イリブル、ナジャフ、カルバラなどの都市にあるモスクに運び込まれるたくさんの遺体に加えてこの数である。
さらなる記事やコメント、写真等は、dahrjamailiraq.comにあります。
投稿者:益岡