モスクでの戦争犯罪
3月26日、米軍がバクダードのシーア派モスクを襲撃し、22人を虐殺しました。少し古いものですが、関連記事を二つ紹介します。
モスクでの戦争犯罪
米軍兵士がバグダードのモスクで22人を虐殺
パトリック・コックバーン
CounterPunch原文
2006年3月27日
イラク・アルビル
東バグダードのモスクで米軍兵士が22人を殺し8人を負傷させた。これにより、シーア派コミュニティとのあいだで緊張が高まるだろう。警察によると、米軍は発砲を受けて報復したという。
ビデオ映像によると、アル=ムスタファ・モスクだとされる場所のイマームの住む場所の床に、銃による傷を受けた男たちの遺体が山となっていた。5・56mmの薬莢が床に落ちていた。これは米軍兵士が使用する銃弾のタイプである。白いアラブのローブを着た男性が泣きながら遺体のかたわらを歩いているのが撮されていた。
首相イブラヒム・アル=ジャファリの政党であるダーワの事務所で、ダーワの上級職員ハイダル・アル=オバイディは次のように述べた。「イラク人の命は安くはない。アメリカ人にとってアメリカ人の血が貴重だというならば、私たちにとってイラク人の血は貴重である」。
米軍はこの事件について認めることも否認することもしていないようだが、この1週間、イラク駐留米軍は、イラク人民間人を殺しておいて、それから殺されたのはゲリラだとか戦闘に巻き込まれたとか嘘をついたことで大きな批判を浴びている。
今回の射殺事件が起きたのは、民族主義的聖職者ムクタダ・アル=サドルのメフディ軍民兵が支配する地域で、殺された中には彼の運動に参加していた者もいるかも知れない。サドル地区の職員サラーム・アル=マリキは、負傷者が運び込まれた病院は、それから米軍に包囲されたと語った。
サドル氏の側近ハジン・アル=アラジは次のように言う。「米軍兵士たちは、祈りの最中にムスタファ・モスクに侵入し、20人以上の礼拝者を殺しました。米軍は礼拝者を縛り付けた上で射ったのです」。
この殺人により、米軍とイラクのシーア派コミュニティ----イラク人口の6割を占める----との関係がもう一歩悪化することになるかも知れない。シーア派の指導者たちは、昨年12月15日、シーア派連合が275議席のうち130議席を獲得した選挙の成功を米国が剥奪しようとしているのではないかと恐れている。さらに人々の怒りを引き起こすかのように、米軍は、また、昨日、シーア派の支配下にある内務省の建物に侵入捜査を行った。そこが拷問センターとして使われていると誤って考えたためである。実際にそこにいたのは、スーダン人17人で、いずれも、居住法違反で法に則って拘束されたものであり、虐待を受けてはいなかった。
米国は、イラクが分離主義内戦に突入するのを回避するために挙国一致政府を作らせようとイラクの政治家たちに圧力をかけている。イラク駐留米国大使アルマイ・カリルザッドは、イラクの指導者たちに「イラクを分断する恐れのある争いを乗り越え」るよう求めた。バグダードとバクバでは、昨日、40人の遺体----中には首を切り落とされていたものもあった----が見つかった。長いあいだ政府を構成できずにいることは、シーア派・スンニ派・クルド人を分断する裂け目が深いことの現れであり、挙国一致政府が効果を持つ可能性はあまりない。昨夜の事件が起きる前から、シーア派連合は、米英の支援を受けたジャラル・タラバニ大統領による、ジャファリを首相から取り除くキャンペーンに対して怒りを表明していた。米英は、新政府の中に、イヤド・アラウィそしてスンニ派の政治家を入れたがっている。
「米英は、シーア派連合が選挙で躍進したことにショックを受けている」と政府結成交渉に参加したある人物は述べる。「それ以来、米英は、シーア派連合の分裂を期待していた。けれどもシーア派諸政党はジャファリのもとにまとまり続けた・・・・・・大アヤトーラ、アリ・アル=シスタニとハウザ[シーア派の宗教階層]がシーア派の団結を支持しており、イランもシーア派の団結を望んでいる」。
昨年1月30日の選挙後に結成された現政権は、シーア派とクルディスタンの連合である。あるクルド人オブザーバは次のように言う。「クルド人にとってすれば、スンニ派およびイヤド・アラウィの側につくのは自殺行為である。というのも、彼らは人口の6割を除外するだろうから」。
拷問センターの疑いのある場所に侵入捜査をするのなら、アブグレイブや米軍基地、グアンタナモ収容所や米国内の監獄を襲撃するというのも論理的には妥当な選択肢ですが・・・
モスク虐殺への怒り
シーア派は米軍に矛先を向けるかも知れない
パトリック・コックバーン
CounterPunch原文
2006年3月28日
イラク・アルビル
暴力が激化しつつあるの中、モスルで、自爆攻撃により40人の軍リクルートが殺された。37人が殺されたというモスクに対する米=イラク共同侵入攻撃に対してシーア派指導者が激怒していたときのことである。バグダード市内と周辺では、さらに21人の遺体が発見された。中には首に縄を巻かれた遺体もあった。
昨日、自爆攻撃が起きたのは、イラク=米共同軍事基地に近いリクルート・センターで、いつもながら、軍での仕事を求めて順番待ちをしていた失業中の若者たちが殺されるという悲惨な結果を生んだ。
ムスタファ・モスクでの虐殺----米軍は16人の「ゲリラ」を殺したと主張し、シーア派は37人の非武装礼拝者が殺されたと述べている----は、3年にわたるイラク危機の転回点になるかも知れない。スンニ派アラブ人が占領に抵抗していたのに対し、人口の6割を占めるイラクのシーア派は、これまで、おおむね米軍の占領に協力してきた。けれども、シーア派は、自分たちの連合が選挙で勝利を収めたにもかかわらず、米軍はシーア派に権力を持たせないようにしているとますます強く考えている。
シーア派指導者は、昨日、米軍は治安のコントロール全般をイラク政府に手渡すべきだと要求した。イラク首相イブラヒム・アル=ジャファリの上級報道官であり同盟者でもあるジャワド・アル=マリキは次のように述べた。「[シーア派]連合は、治安問題(のコントロール)をイラク政府の手に速やかに戻すよう求める」。ジャラル・タラバニ首相が「モスク攻撃を調査するイラク=米委員会を結成する」ことに米国が合意したと発表する中、シーア派は新政府結成交渉をキャンセルした。
モスクでの殺害を批判する人々の中には、イラク政府の最有力メンバーもいる。「シーア派のムスタファ・モスクに侵入し、礼拝者たちを殺すのは罪であり、恐ろしい侵害だと私は思います」と、内務相バヤン・ジャブルは、アル=アラビヤ・テレビに語った。「夕方の礼拝を捧げるためにモスクの中にいた罪のない人々が殺されたのです」。
米国は今や、イラクのシーア派1500万人の抵抗に直面している。バグダード市長フセイン・タフアンは、バグダードの評議会は米軍および外交使節団との関係を断絶したと述べた。「アル=ムスタファ・モスクへの卑劣な攻撃が理由です」と彼は言う。
米軍報道官は、モスクに侵入したことを否定したが、現場を訪れた記者団は、虐殺の場所はシーア派モスク敷地の中だったと語っている。地元警察は、最初に米=イラク共同パトロールに対する発砲があったが、それはモスクの中からではなかったと述べた。彼らは、シーア派指導者の言うように、死者の全員----警察は犠牲者を22人としている----全員が、夕方の礼拝のためにモスク敷地の中にいた人々であり、銃を持っていた者は一人もいなかったことを確認している。
米=イラク特殊部隊は、民族主義的聖職者で多数の信奉者を持つムクタダ・アル=サドル師への忠誠が強い地域をパトロールしていた。あるイラク人政治学者は次のように言う:「今回のモスクでの事件は、アメリカ人がムクタダ・アル=サドルの力を弱めようとしてやったものだ。アメリカ人たちは、地上で最も強いのは自分たちだということを示したがっている。けれども、これによりイラク人のサドル師支持が促されるだろう」。
米軍は2004年にサドル師の民兵と2度戦っているが、それはサドル師の人気を高めただけだった。
シーア派は、選挙の結果に反する構成の挙国一致政府をシーア派に受け入れさせようとしている米国に、すでに疑念を抱いている。アラウィの政党は、275議席の議会でたった25議席しか獲得しなかったにもかかわらず、米英と湾岸のアラブ諸国は、イヤド・アラウィをイラク政府の有力な位置に置きたがっている。米国は、今や、シーア派----イラク軍と警察のほどんどはシーア派コミュニティ出身である----の敵意に直面する見通しである。
投稿者:益岡