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2005/01/23

もう少し,「写真」について。

先ほど,ジャマイルの記事2点を投稿しましたが,それに関連して「写真」について……イラクの写真が見られるURL(少しだけですが)のリストと。

1月21日のElectronic Iraqに,Omar KhanによるNotes on a Photographic Messageという記事があります。

今は読むだけでいっぱいいっぱいで,日本語にすることができなくて申し訳ないのですが,ニューヨーク・タイムズ紙の1面に掲載された,「バグダードの街角のポスター」(選挙を呼びかけるもの)を撮影した報道写真をめぐる文章です。



この「街角に貼られている投票呼びかけのポスターの写真」と,15日ジャマイル記事(バグダードのヤルムーク病院のモルグでの写真)や,20日ジャマイル記事(昨年11月に米兵が身元確認のための資料として撮影した写真)とを立て続けに見て,私の頭はぐるんぐるんしています。

いずれも,「そこにあるものを写し取った」という点では,「真実の写し(mere images of the truth)」(Sontag)です。現実に,こういう図柄のポスターがあり,そのポスターを壁に貼る人がいた。現実に,病院のモルグには腐敗しつつある死体がたくさんあった。現実に,ファルージャではたくさんの死体があって,それに番号札を添えてカメラにおさめた。

あれもこれも,実際にあった/あるもの。

文章がうまく書けなくて申し訳ないのですが,いくつか箇条書き形式で,写真が見られるURLを掲載しておきます。ソースはすべて,英ガーディアン。

■2004年11月,ファルージャの戦士たち:
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,1346911,00.html
撮影者:Ghaith Abdul-Ahad(これらの写真に対応する記事はこちらです)
※なお,Ghaithは,昨年9月のハイファ・ストリートの記録もしています→当該記事

■2005年1月11日,ゴーストの町(ファルージャ):
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,1387763,00.html
英チャンネル4で放映されたニュース・フィルム(→当ウェブログでの記事フィルムのスクリプト

■2005年1月18日,選挙(バグダードなど):
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,1393185,00.html
アラウィの顔の一部のどアップの写真のポスターの前に,黒覆面にカラシニコフの男性がいる写真がありますが,この黒覆面は,キャプションによると,イラク警察の人だそうです。
蛇足ですが,私はこれに非常によく似た写真を見たことを思い出しました……北アイルランドのベルファストで,ボビー・サンズというIRA活動家(獄中でハンスト死)の似顔絵を描いた壁の前にいる,黒覆面のIRAテロリスト,という写真。

■2005年1月,英軍「拷問/虐待」:
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,1393803,00.html
※多忙のためフォローできてないのですが,南部のバスラの収容施設で英軍the Royal Regiment of Fusiliersの兵士が,拘束されているイラク人を「拷問/虐待」したことで,ドイツで開かれている軍事法廷に提出された証拠写真。米軍がアブ・グレイブで撮影していた写真のうち表に出たものよりえげつない(としか言いようがない)ものもあります。

それから……Faizaさんが撮影したバグダードも。(最近投稿されているのは,滞在先のシリアやヨルダン,エジプトのものです。次の写真は,2004年5月に撮影されたもの。バグダードのカフェにて。)


投稿者:いけだ
2005-01-23 03:59:10

戦争の顔(ジャマイル,1月20日)

ダール・ジャマイルのウェブログ,1月20日の記事。最近,順番が崩れててすみませんが,15日の記事とのつながりで……。

なお,15日のジャマイル・ウェブログの日本語訳と同様,このエントリにも,記事の最後に,ジャマイルのギャラリーのキャプチャ画像(縮小)をつけておきます。

ギャラリーそのものを見ても大丈夫かどうかを判断してから,ギャラリーへのリンクをクリックしていただけるようにという趣旨で,ページをキャプチャして縮小した画像ですが,それでも,こういった画像がものすごく苦手だという方はブラウザで画像をオフにしてからスクロール・ダウンしてください。

戦争の顔
The Face of War
Dahr Jamail, January 20, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000176.php

ここでご紹介する写真は,2004年11月19日にファルージャにおいて,米軍の兵士が撮影したものである。これらの写真は,死者の身元を特定する目的で撮影されたが,後にファルージャ市内で遺体が埋葬されたときにどこに埋葬されたのかを追跡するためにも用いられた。

死者の身元確認のために撮影された数百枚の写真のなかから,私は,戦争の顔を示すために,これらの写真を選び出した。西洋ではほとんどのマスコミは,イラクの酸鼻をきわめる画像を示さないことを続けているため――負傷したり死亡したりした兵士や一般民間人や戦士たちの画像は見せられていない――,私はこれらの写真を自分のウェブサイトに掲載することにした。

私がこのようなことをするのは,戦争とはどのように見えるのかを,人々が目で見て知ることが重要であると確信しているからである。

軍によって撮影されたこれらの写真のすべてが,男性の写真である。イラク赤新月社が,軽く2000を上回ると考えられているファルージャの犠牲者のうち,控えめに見ても6割が女性や子ども,高齢者,武器を持たない民間人であると発表しているという事実と照らし合わせると,男性の写真ばかりというのは興味深いことである。

前もって警告しておきますが,これらの写真は極めて凄惨なものです。

では,ここをクリックしてご覧ください。

Posted by Dahr_Jamail at January 20, 2005 07:14 AM




【画像】
ジャマイルのギャラリー(米兵がファルージャで撮影した写真の紹介)のキャプチャ画像:



投稿者:いけだ
2005-01-23 03:53:10

イラクの「津波」(ジャマイル,1月15日)

ダール・ジャマイルのウェブログ,1月15日の記事。バグダード市内の病院の遺体安置所を訪問。

なお,リンク先の写真(「photo」と記してリンクしてありますが)は,いずれも非常にショッキングです。

ダール・ジャマイルは,12月にもファルージャ市内で放置されていた遺体の写真を紹介していますが(当該の過去記事),この12月の写真は「身元が確認できるように」という,記録というか何というか,そういう性質のものであり,さらにジャマイル自身が目撃した光景ではなく,他の誰かが撮影した写真をジャマイルが写真に撮ったものでした。

今回は,ジャマイルがその目で見て,そして臭いを感じて,同じ空間に身を置いています。そういう写真です。

私は引き込まれるようにして見てしまいましたが,正直,あとがきついです。これまでにないきつさがあります。

以下は,ジャマイルのウェブログから訳しましたので文章だけですが,Electronic Iraqのサイトに掲載された同じ記事(←クリックして出てくる画面に凄惨な写真があります)は,文章だけでなく写真も添えられています。

また,あまり写真だけを一覧できる方法としては,ジャマイルのギャラリーがあります。

このギャラリーのページを開いた状態のキャプチャ画像を,このエントリの一番下に付け加えておきます。縮小してはありますが,こういった画像が苦手だという方は,ブラウザで画像表示をオフにしてください。

イラクの「津波」
The Tsunami of Iraq
Dahr Jamail, January 15, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000169.php

バグダードの各病院の遺体安置所(モルグ)は収容数いっぱいになっている。バグダード中心部にあるヤルムーク病院(Yarmouk Hospital)では,3台の冷凍設備から腐敗してゆく遺体の臭いがしている。気温は低いのにもかかわらず。

ドアが開くと悪臭が一気に私たちに押し寄せてくる。私は,ネパールの火葬場で遺体の燃える臭いをかいだことがあるが……これは違う。この臭いは……どうやったら説明になるだろうか。とにかく,その臭いは,病院を後にしてずっと時間が経っても,私にまとわりついている。

遺体( photo)の多くは,ファルージャから運ばれてきたものだ。路上に放置されていたもののようだ。一部は犬に食われている(photo)。ファルージャから運ばれてきた遺体は,奇妙に色を失った肌(photo)をしているというのが典型だが,他にも普通ではない点がある(photo)。

第一冷凍室を出ると,金属の柱がある。私がそこで茫然自失していると,アブ・タラットを含め,同行していたうちの2人が,大丈夫かと声をかけてくる……柱があることさえわかっていなかった。次の冷凍室に進もうとしたら,いきなり行く手を阻まれた。それが柱だったというわけだ。

遺体は冷凍設備の中に積み上げられている(photo)。ほとんどの遺体には覆いはかけられていないが,かけられているものもある。どうにも私の頭から離れなくなってしまっているイメージは,遺体の目だ(photo)。

一緒にいた医師は,遺体のほとんどは銃で撃たれていると言う……そしてそれらはファルージャから運ばれてきたものではない,と。イラク人に対する暴力は留まるところを知らず続いている……日に日にひどくなっている。

私は私の仕事をする……これまで見たことのないような恐ろしい光景を,次から次へとカメラに収める。遺体の多くはすでに古くなっていて,縮んでいる。

最後の冷凍室を見て,私たちはその場を後にした。こびりついた臭いを引き離そうとして,私は唾を吐き続けた…アブ・タラットは遠くへ目を漂わせている。私が吐き気を催すと,冷凍室を案内してくれた病院職員が,香水の入った小さな瓶を持ってきてくれ,私の鼻の下の部分にそれをあてがってくれた。

「シュクラン・ジャズィーラン(どうもありがとうございます)」と私がその職員に言うと,彼はアブ・タラットのところに行き,同じことをして,そして歩いていった。

ふらふらと歩きながら,私たちは医師ともっと話をした。「どこの病院も,遺体安置所には毎日ご遺体が運ばれてきていっぱいになっています。ほとんどは兵士に射殺されたご遺体です」と彼女は言う。「それだけでなく,犯罪や事故で亡くなった方のご遺体もあります。一般市民がこんなにも,死んでいるのです。」

私たちは病院を出て――歩いて出たというより,ふらふらになってやっと出たという感じだ――車へ向かった。

「これまでこんなに恐ろしい(photo)ものを見たことはないよ」と,私はアブ・タラットに言った。

車に乗り込んで,ただ走らせる。

「どうしたらいいのだろう」と私はアブ・タラットに言う。「きみは何をしたい?」

彼は両手を空中に上げ,俺にもわからないよというしぐさをする。「とにかく車を進めようか」と私は言う。

「そうだな,俺もとりあえず車を走らせようとしてるよ」と彼は答える。

医薬品をいくらか買いに行こう……鼻の下でいい匂いをかがせてもらったけれど,腐敗していく遺体の臭いを思い出してしまい,なんとか平常心を保とうとして私はそう考える。

昼食時だからというだけの理由で昼食を買う。腹が空いていて当然の頃合でもある。それからホテルに向かって車を走らせる。

私の頭はくらくらしている。アブ・タラットも同じだ。「ショックきついな」と私は彼に言う。「そうだな,俺も頭がくらくらしてる」と彼は答え,それから「シャワーを浴びたいな」と言う。

「体の内側から洗いたい気分だ」と私は言う。

「外から洗うのはとても簡単だ」と彼は静かな声で言う。「でも,内側からどうやって洗うんだ?」

私たちは私の部屋に入った。私は書き始める。さっき買った昼食は,袋に入ったまま,カウチに置かれている……アブ・タラットは「イスラームでは,死体に触ったら,あるいは死体を見ただけでも,シャワーを浴びなければならない」とバスルームへと歩きながら言う。

ふと足をとめ,窓の外をぼうっと見つめながら彼は私の身体を抱きしめる。「おい,考えないようにしろよ。つらいことだけど。」私はゆっくりと目を上げて彼を見る。「俺にはあんたよりきついよ。俺はイラク人だからな。もう,ボロボロだよ」と彼が言う。

部屋のバスルームに彼は入ってゆき,シャワーを浴びる。私はこの原稿を書く作業に戻る。

亡くなった人たちが誰なのか,知る者はいない。冷凍室は満杯だ。他の病院でも,冷凍室は満杯だ。

アブ・タラットがシャワーを終えた。私がシャワーを浴び始めると,彼は祈り始める。私はとにかく洗い落とそうとする。少しはましになる。

けれども,あの目( photo)。あの目にやられた。そしてあの目は,どうしても脳裡から離れない。
Posted by Dahr_Jamail at January 15, 2005 12:36 PM




【画像】
ジャマイルのギャラリーのキャプチャ画像:



投稿者:いけだ
2005-01-23 03:52:02

集団懲罰(ジャマイル,1月14日)

ダール・ジャマイルのウェブログ,1月14日の記事。送電停止,道路封鎖,そして,倒されるナツメ椰子の木。

集団懲罰
Collective Punishment
Dahr Jamail, January 14, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000168.php


ここイラクでは,これは新しい戦術ではない。米軍がこれをやりだしてから軽く1年になる。昨1月3日,バグダード郊外部のアル=ドーラ地区にある農園を私は訪ねた。アル=ドーラ地区は都市化されておらず,ナツメ椰子とオレンジの樹がチグリス川の岸に沿って立ち並んでいる。私が訪ねた農園には,占領軍が迫撃砲を数発撃ち込んでいた。

米軍はこのエリアから戦士たちの攻撃を受けたのだと主張した。一方で地元住民は,レジスタンス戦士(resistance fighters)に場所を提供している(harbor)などということは一切知らないと反駁した。

不発の迫撃弾(photo)でいっぱいの畑に立って,ある農民は「なぜ私たちの家や畑が爆撃されたのか,わかりません」と言った。「私たちはアメリカ人に抵抗したことは一度もありません。この地区を通っていく外国人戦士はいます。アメリカ人が捕らえたいのは外国人戦士でしょう。ならどうして私たちを爆撃するのでしょうか。」

当時,米陸軍のマーク・キミット准将は記者たちに対し,この地域での「鉄の支配作戦(Operation Iron Grip)」は,「RPGだの迫撃砲だのを発射した結果を心配することなくバグダードを走り回れるなどと考えている者に,極めて明確なメッセージ」を送っていると語った。「イラク人の一般市民または連合軍を傷つけたいと考える者に対しては,それが誰であれ,迅速に反応することができるのだということが示されている(in the air)。」

畑のこの小さな区画で,そこらに(into the air)突き刺さっている9発の迫撃弾の尻尾を,私は数えた。

私はこの家族に,米軍に不発弾を除去するよう要請してあるのかどうかを尋ねた。

シャクルさん(Mr. Shakr)はとても困惑した様子で,私にこう言った。「最初に除去をお願いしたときは『わかりました,この件については我々が処理しましょう』と言いましたが,結局来ませんでした。2度目にお願いすると,レジスタンス戦士を引き渡さない限りは不発弾は除去しない,と言いました。彼らは『あなたがたがレジスタンス戦士をひとり我々に引き渡さないのなら,我々は爆弾を除去するために行くことはありません』と言ったのです。」

シャクルさんは空中に手を挙げて「けれど,私たちはレジスタンス戦士なんて一人も知らないんです」と言った。

昨冬,サマラで軍によって家屋が破壊されていること(photo)も,私は報じた。当時一貫していたパターンは,占領軍に対する攻撃があった場合はいつでも,近くの家屋/建物/畑が軍によって強制捜査を受けるか破壊されるというものだった。これには,村および/または市の電力停止というおまけもついていた。

今日バグダードのアル=ドーラ地区を再度訪問してわかったことだが,そのパターンは現在も変わらないように見受けられる。

7週間前,そのエリアはイラク人レジスタンスによる多くの攻撃で打撃を受けていたが,さらに軍がナツメ椰子の果樹林を踏み荒らし,ガソリンスタンドを戦車で爆破し(photo),電力を停止し(現在でもダウンしている),都市化されていない農耕地帯の道路を封鎖した。

チグリス川に平行して続いている細く曲がりくねった道を,農耕地帯へと車を走らせていると,1匹のオオカミが道路をとことこと横切った。カーブを曲がると,ブルドーザーで倒されたナツメ椰子の木がたくさん視界に入った。木は積み上げられて大きな山となっており,燃料をかけられ燃やされていた(photo)。

「米軍ははこの畑から攻撃されて,ここまで戻ってきて木を全部倒し始めました」と,この地域に在住するメカニックのカリームが説明する。「私たちのなかには,戦士など知っている者はいませんし,戦士は米軍を攻撃することが目的で,他の地域からここに来ているとしか知りません。でもこれで被害を受けるのは,私たちです。」

道路の反対側にも,また別の,倒されたナツメ椰子の木の山がある。

15歳の学生,モハメドは,自宅の側に立って自分の見たことを語る(photo)。「ブルドーザーで潰されたおばあさんの墓があります。」そして近くの道路を指差して,「米軍が柵を壊してしまったので,家畜を襲うオオカミが出没しています。農作業に使う機械もたくさん破壊していきました。あと最悪なのが,電気を止めたことですね。」

「毎晩彼らはここに来て,武器を発射して僕たちを脅かすんです」と,モハメドは地面のMRE(米軍用携行食)を指し示して言う(photo)。ブルドーザーを使った兵士たちの残していったものだ。

「畑に水をまくポンプを動かすのには電気がないと」とモハメドは言葉を続ける。「今は川からバケツで水を汲んできてますが,大変です。彼らは状況を改善すると言ってますけど,ますます悪くなってる。サダムのほうかこれよりかはまだましでした。うちの親戚が3人サダムに処刑されてますが,それでも。」

モハメドの母親,ウム・ライード(photo)は,電気について話し始めると止まらない。

「爆弾があるのなら,どうして私たちの家を攻撃するんでしょう」と彼女は訴える。「攻撃してくる奴らを追っかけないのはどうしてなんです? どうして私たちの家族のところに来るんですか? 私たちに今必要なのは電気ですよ。電気があれば水のポンプが動かせます。家は必要ではありません,でも水は必要なんです。今は植え付けの時期なんですから。」

17歳の学生のイフサン(Ihsan)も,ブルドーザーに倒された樹木の近くでの会話に加わる。「アメリカ人に殴られたんです」と彼は言う。「誰が攻撃してきたのか教えろと言われたんですが,そんなの僕は知りません。うちは捜索を受けて家具は壊されて,おじのひとりが逮捕されました。」

ウム・ライードは彼に,電気のことをもっと言ってちょうだいと言って,それからこう付け加える。「昨日の夕方の5時半に彼らがここに来て,15分の間,でたらめに銃を撃って,それからいなくなったのよ。」

彼女が話している間に地面に目をやると,50口径銃の薬莢がある。「誰も彼らを攻撃してない。なのにどうしてこんなことを? どうぞ来て探してくださいと言いましたけど,それもしなかった。ただ銃を撃って,いなくなったんですよ。」

空中に腕を掲げ,彼女は訴える。「お願いですから,電気がないと生活できません。うちはポンプも2台壊されました。彼らは壊したポンプを川に投げ込んでいったんです。」

20歳の農夫,ハリードが私たちが話をしているのを見て,こちらに歩いてきた。「ここ2ヶ月近くになりますけど,畑を踏み荒らされてからずっとですね,電気がまったく来ないんです。ポンプなしでどうやって畑に水をやれと? 電気がなくちゃ水もないんです。彼らは毎晩ここに来て銃を撃っていきます。うちなんか,窓ガラスなしですよ。」

ウム・ライードの家に目をやったが,壁にはぽつぽつと銃痕がある。

「毎晩パトロールにやってきては,どこかまわず撃つんです」とハリードが言った。

55歳の目の不自由な農夫(photo)が,杖をついて私たちの方にやってきた。彼は会話を聞いていたが,自分のことも話し始めた。「今の問題は,機械を動かす燃料がないことだ。戦車でガソリンスタンドを撃っていった(photo)」と彼は私の肩越しを見るようにしながら言う。「この木は数百年の樹齢なのに,奴らが切ってしまった。なぜだ?」

「フェンスもそりゃもうたくさん壊された」と彼はさらに言う。「家畜がオオカミに襲われている。食料の配給で食いつないでいるが,ほかには何もない。この惨状をストップしないとどうにもならない。」

他の人々も彼の話に耳を傾けうなづいている。彼はさらに続ける。「毎日夜になると奴らが来ては撃っていくのが聞こえる。最初のうちは,家宅捜索をやっても盗みはしなかった。今は彼らは盗んでいく。最初のうちは私たちを傷つけはしなかったが,今はこんなにも傷つけている!」

道路を少し歩いていくと,38歳の農夫,アハメドが話しかけてくる。アハメドは2003年8月13日に家宅捜索をされ,そのときに身柄を拘束された。

「どうして自分が逮捕されたのか,さっぱりです」と,10ヶ月にわたって軍の拘置施設を転々と回ったことを語る。彼はその間に,処刑の真似ごとをされたり,何日も連続で縛られて頭を覆われたままにされたりといった扱いを経験していた。真夏の高温の中を,バスラ【注:イラク南部で酷暑の地。最高気温の世界記録保持都市でもある】の近くのキャンプに拘束されていた経験もある。

アハメドは「あのキャンプでは,私たちのいるところには『動物園』という看板がかかってました」と言う。彼の話では,自宅も農作地も捜索され,武器は一切発見されなかった。10ヶ月の拘束の間,彼は拘束されている人々の性的辱めや常態的殴打を目撃した。

「黒人の米兵たちが裸のイラク人女性を独房に入れておいてから,その独房に入るのを見ていました。兵隊たちがその女の人を強姦している間,叫び声が聞こえました。」

よい身なりをした中年の男性,シャイフ・ハミードがこちらにやってきて,パトロール隊が来てまた銃撃を始めるとあれですので移動をしたほうが,と言う。

道路から移動すると彼は「あれは私たちの祖父の代の木ですよ」と言う。「英国もサダムも,このような振舞いはしなかった。これは私たちの歴史です(photo)。彼らが1本の木を切るとき,それは私たちの家族の1人を殺しているようなものです。」

シャイフ・ハミードは,従兄弟のうち3人がサダム・フセイン政権によって処刑されたのだと言い,それから「アメリカ人の自由など欲しくはない」と言う。「彼らは私たちの家を襲い(raid),常に私たちを脅かしている。私たちは恐怖(terror)のなかに暮らしている。アメリカ人は毎日ここで銃を撃ち爆弾を撃ち込む。家族は他所の土地で暮らすよう送ってしまった。」

道路が封鎖されていると言われたので,もう少し先までチグリス川沿いに車を進めてゆくと,爆発のために道路にあいた深い穴から大きなコンクリートのブロックが4つ上に伸びていた(photo)。

私たちに同行していた男性たちのひとりが,ナツメ椰子が倒されたのと同じときに道路が封鎖されていたと語る。最初は軍が道路を爆破し,それからこれよりは小さなコンクリートのバリアを置いたのだ,と。

道路が封鎖されている地点から自宅まで歩いていく(photo)ことに,人々は疲れ果ててしまい,農耕作業用のトラクターを用いて,コンクリートのブロックをどかして道路を再び開通させた。が,昨日,軍はより大きなバリアを運んできて,道路は再び,封鎖されてしまっている。

食料の入った袋をいくつか持った80歳の男性(photo)が,恐る恐るバリアの間を抜け,足を引き引き自宅へと向かって道路を歩いてゆく。

道路が封鎖されている地点を過ぎたところで,50歳のサクランボ農家,ハムード・アビド(Hamoud Abid)と会う。私は彼に,道路封鎖について兵士たちはどんなことを言っていましたか,と尋ねる。

「わたしらが話しかけても,兵士たちは礼儀もへったくれもない」と彼は言う。「このブロックをいつどけるかは話しちゃくれませんので,今はみなが徒歩ですよ。」

彼の話では,兵士たちはかつては畑の捜索をしたいのだがと彼のところに来て頼み,それを彼は許可し,さらに兵士たちが捜索をしている間にオレンジを兵士たちにあげていた。「うちの畑を10回も捜索したんですがね,もちろん何も見つかりゃしませんでした。しかし,ついこのあいだ,一番最後に来たときに,うちの壁を壊してしまったんです。わたしの木を倒し出しましたときに,兵士たちのブルドーザーからトレッドが脱落しましてね(photo),それで行ってしまったんです。」

だが,彼らは立ち去る前に,ハムードの家の正面の門を破壊し,来たという目印としてコンクリートのブロックを置き去っていった(photo)。

私たちが帰り支度を始めると,ハムードは,このひどい状況にも関わらず,陽気にこう言った。「ゆっくりしてってくださいよ。魚を焼きますんで。夜はうちにお泊りください。」

私たちは辞退したが,ハムードはじゃあちょっと軽く食べていきませんかとか,お茶でもどうですかと引き止める。しかし私たちはゆっくりはしておられないのだ。

細く曲がりくねった道を帰宅の途についたが,3台のハムヴィーから成るパトロール隊が2隊,私たちが来た方向へと飛ばしていった。その直後,2機のヘリコプターが同じ方向へと低空を飛んでいった。

バグダードの軍の報道局に電話をかけ,現地の複数の住民から聞いたのだが,道路封鎖や銃撃を行なっていること,ナツメ椰子を倒していることや,アル=ドーラのアル=アラブ・ジュボール(Al-Arab Jubour)村の電気を止めていることの理由についての情報をいただけないかと尋ねた。

報道官は,私には名前を告げず,そのようなことはまったく知らないが,アル=ドーラ地区では保安作戦が進行中である,と答えた。

Posted by Dahr_Jamail at January 14, 2005 07:19 PM


米軍がナツメ椰子を切っているという報道は,たとえば2003年10月にPatrick Cockburnが英Independentに書いた記事,"US soldiers bulldoze farmers' crops"(リンク先ではアーカイヴされているので閲覧は有料)があります。検索をしてて見つけたのですが,Riverbendのウェブログを紹介してるページに,いくつかこの件についてのリンクがあります。Riverbendのウェブログでは,2003年10月13日の記事(原文=英語日本語)。1文だけ,引用します。

Historically, palm trees have represented the rugged, stoic beauty of Iraq and its people.

歴史的に、椰子は、イラクとイラクの人々にとって、質実で禁欲的な精神の美しさの象徴であった。(翻訳 池田真理さん)




※本記事中の写真は,ダール・ジャマイルのウェブログ本文にリンクされているものの一部です。キャプションに相当するものを,独自につけました。

投稿者:いけだ
2005-01-22 20:37:39

「予想されたほどの混乱はなく」(ジャマイル,1月13日)

バグダードに戻ったダール・ジャマイルのウェブログ,1月13日の記事。「予想ほどの混乱はなく」は「混乱はなく」と同義ではない。

落ち着きの感じられぬ平穏
A Restless Calm ...
Dahr Jamail, January 13, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000167.php

すぐ近くの「グリーン・ゾーン」で迫撃砲が炸裂しているなか,私はキーボードをたたいている。迫撃砲は簡単にそうだとわかる――発射されるときに高いピッチの音(thunk)がする。それから間を置いて,静かな夜を貫いて轟音(boom)が響く。遠くでつんざくようなサイレン音が鳴り響き,同時に散発的な銃声がする。バグダード中心部のこの地域では,日が落ちるとともに動きが生じるようだ――つい昨晩も,私の部屋の窓の外で,多くの銃声が,ぱらぱらとしていた。

今日はバグダードのアル=アダミヤ地区に行ったのだが,同地区にある米軍基地は迫撃砲を8回撃ちこまれた。私たちが通りに面した食堂で大きな皿に載ったケバブを食べ終えたところに,迫撃砲の音がした。食事を終えたあとに,私たちのテーブルに年老いた女性がやってきて,残った食べ物をいただけませんか,と言った。

ビニール袋を2枚取り出して,私たちが手をつけてあったサラダと,余ったパンをその中に入れ,女性は私たちにありがとうございます,神の祝福をと言い,そして足を引き引き立ち去っていった……アブ・タラットと私は急いで女性に追いつくと,ディナール札を少し渡した。私たちは,それについては何も話をすることなく,車へと歩いて戻った。

最近みながバグダードは平穏だねと言っているが,おかしなことだ。選挙が近づけば事態は悪化すると予想していたのだ。予想していたよりはましだということだ。もしこれが平穏であるならば……。

平穏とは,軍が毎日攻撃を受けた回数を発表しないことらしい。最後に発表された数字では,認められているだけで1日あたり70だった……おそらく実際はこれよりも多い。

銀行の警備員4人を乗せたヴァンが破壊され,警備員たちを焼き殺すことも,平穏ということらしい。アル=アンバール州(ファルージャと読みかえる)でまた米兵が1人殺されたということも,サマラでイラク兵4人が殺されたことも,デュリュイヤ(Duluiya)ではイラク兵が検問所で車に乗っているイラク人一般市民3人を殺戮した(slaughter)ということも。このほかにも,ラマディの西にあるHiytではロケット弾の攻撃で米軍車両2台が破壊された。やはりラマディの西にあるハクラニヤ(Haqlaniya)では,路上爆弾がパトロール隊のそばで爆発し,米軍車両2台を破壊した。どちらの攻撃についても死傷者数はまだ一切述べられていないが,目撃した人たちは,Hiyt近くの攻撃現場からは血まみれの兵士たちがヘリで搬送されるのを見たと報告している。

Hiytもハクラニヤも,位置的に,ファルージャに近い。

平穏とは,毎日バグダードじゅうで散発的に迫撃砲攻撃や銃撃があることを言うらしい。平穏とは,今日はモスルで自動車爆弾が2台爆発したことを言うらしい――1台はヴァンに積んだ爆弾での自爆で,米軍の車列に当たり損ねて,一般市民(人数はわかっていない)を殺した。もう1台は乗用車に積んだ爆弾での自爆で,イラク兵士2人を殺した。

そして平穏とは,ガソリンの給油を待つために6マイルも並ぶ(photo)ことを言うらしい。

バグダードでしばらく車を走らせれば,必ず給油待ちの列に出くわす。幹線道路(photo)や脇道(photo)に車が列をなし,人々は車から出て外に立って待ち(photo),聖なるガソリンスタンドに向かって列がほんの数メートル動くたびに,人力で車を押す。イラクの失業率は70パーセント,イラク人にとって最も一般的なフルタイムの仕事とは,ガソリンを手に入れることだ。

今よりさらに多くのガソリンスタンドが閉鎖され,闇市でも供給が途絶えるようになったらどうやって仕事をしようかと考えつつ,また渋滞にはまっていたときに,私はアブ・タラットに「ロバが使えないかなあ」と言ってみた。「きみは車を運転する。僕はロバの背中に乗って,ノートに書いたり写真を撮ったりする。」

「なるほど,そりゃ確かに選択肢としてはありだね」と彼は笑う。「ガソリンを運ぶタンクローリーを盗もうとするよりは,絶対まともなアイディアだし。」

前にそれを考えたことがあるけど。

今日は,前政権の諜報機関にいた男性に話を聞いた。その人は私に,ファルージャに行きたいかと訊いた。

「いや,やめておきます,今は」と私は言った。小さなテーブルを挟んで向かい合って座り,ミランダというオレンジジュースを飲みながら,私はその男性と話をしていた。部屋はカーテンを閉めているので暗い。男性は名を明らかにしないという条件で,私に話してくれている……私の衛星電話は彼に渡してあり,さらにその電話はこの建物の別な場所に置かれている。

「通話中でなくても衛星電話は場所がわかるので」と,男性は私に説明した。「SIMカードを抜かない限りは,どこにあるのかがわかってしまう。」

役立つ情報だ。自分がそれを活用することがなければいいが。今のイラクでは,こんなに興味深い話が続々と出てくる。

男性は,ファルージャについて知っていることを,ざっと話してくれた。軍が市へ入るメインのチェックポイント2箇所と,破壊され尽くしたたファルージャの残された部分を隔てている主要な道路を管理している。「今もまだ,占領者に対抗する現地のムジャヒディーンから,1日に25回の攻撃がある」と彼は言う。「レジスタンスは今日に至るまでファルージャの大きな面積を掌握している。」

これがどの程度正確なのか,だれにもわからない。ファルージャの周囲は軍の警戒線で囲まれ,それが本当なのかどうかを確認することは,今はほぼ不可能である。

男性の話では,攻撃の期間に殺された人々のうち,戦士はわずか3パーセントであり,残りは一般市民であるという。これは少々低すぎると私は確信しているが,米国側の,死者2000人のうちの1200から1300人が戦士であったという推定よりは,真実に近いことは確かだ。そしてファルージャで殺された人は一人残らず戦士であったというアラウィの声明よりは,絶対に,真実に近い。イラク赤新月社のメンバーでさえも,遺体の過半数,少なくとも60パーセントは,女性と子どもと老人のものであった,と述べているのだから。

男性は突然「ということで,これで終わりです」と言い,インタビューは終了。

私たちは男性にお時間をどうもありがとうございましたと礼を述べ,通りに戻る。

バグダードのそこかしこで,上空に,白い軍事偵察バルーン(photo)が浮かんでいる。

ピックアップ・トラックの荷台に間に合わせのマシンガンを持って乗り込んでいるイラク軍(この前まではイラク国家警備隊Iraqi National Guardという名称だった)のほとんどが,黒いフェイスマスクを着用している。てっぺんに50口径銃を据えつけ,ロケットランチャーを背負った兵士たちが乗り込んでいるハムヴィー【注:Humvee,米軍の多目的車両】と比べると,イラク軍はおもちゃを持った子どもに見える。米兵たちの顔はヘルメットとゴーグルで隠されている。

この「平穏な」時間も,バグダードは落ち着きは感じていない。1月30日に向けて時計が時を刻んでいくにつれて,何かを待っているような雰囲気が感じられる。あたかも,私たちはみな,今にも爆弾とか激しい戦闘が始まるのを待っているかのようである。あるいは,選挙後までそれは起こらないかもしれない……誰にもわからない。

今日の午後,幹線道路で車を走らせていると,1台のヴァンが通り過ぎていった。そのヴァンに乗っていた男性が,車に向けて拳銃を振っていた……車は道を空け,そのヴァンはスピードを上げて進んでいくことができる。

こっちもつられて笑ってしまうほど,腹の底からゲラゲラと笑って,「これが俺たちの文明」とアブ・タラットが言い,そしてものすごくきつい「ゴールド・シール」のタバコにまた火をつける。

ここでは,笑わなければ,精神状態はあっという間に崩れてしまう。

Posted by Dahr_Jamail at January 13, 2005 06:16 PM


投稿者:いけだ
2005-01-22 20:34:00

イラク人レジスタンスからのメッセージ

ジョージ・W・ブッシュの原理主義的・侵略主義的演説が日本のニュースでも流れました。イラク人レジスタンスの声を紹介します。

私たちが9/11をやったのではない
イラク人レジスタンスからのメッセージ
2005年1月17日
ギャリー・ラップ
CounterPunch原文

1月13日ロイター通信とケーブル・ニュース・ネットワークはイラク発の大変興味深い短いビデオについて報道していた。このビデオは「世界中の人々へ」向けられたものであった。私はこれをantiwar.comからリンクされているInformation Clearing Houseから2004年12月19日に既にオンラインで見ており、これは重要だと考え以下の草稿を書いていた。これがニュースに値すると判断するまで主流派メディアで3週間もかかったのは何故か不思議である。

このビデオは「イスラミック・ジハード軍」と呼ばれるグループの「メディア部隊」により英語でエレガントに作られている。冒頭の軍楽とともに現れる書かれたメッセージから、イスラミック・ジハード軍がイラク・イスラム軍とイスラミック・ジハード旅団とが合体してできたものであり、軍は他の9組織及び「様々な支援細胞」とともに「ムジャヒディーン共同司令部に報告する」組織であることがわかる。

このビデオがこれからも長いこと入手可能であるとは思えないので、関心のある方はサイトをただちにチェックしてほしい(サイトは、http colon slash slash informationclearinghouse dot info slash article 7468 dot htmである)。

メッセージの書き起こし原稿もこのサイトにあるので、お望みならば、印刷して友人にそれを回覧することも可能である。もちろん、私は皆さんにそうするよう示唆しているわけではない。テロリズムに「物質的援助」を与えることを禁ずる法律があり、もし私がこの資料(米国政府がテロリストと判断しているグループが作成した)を回覧するよう求めるならば、私は定義上、支援していることになるからである。同様に私はこのビデオのプレゼンテーションについて「妥当な」とか「感動的な」といった形容詞も使わない。ただ無感情にまとめるだけにする。

このビデオはレジスタンス運動を「恐怖よりも原則を選び取った単純な人々」によって行われているものとしている。この選択は、侵略だけでなく国連の「制裁----それを私たちは真の大量破壊兵器と考えています----」からももたらされている。

ビデオは侵略を地政学的な言葉で説明しており、単細胞的にイスラムと西洋の戦いだとか、阿呆みたいに神と邪悪の戦いだとか言ってはいない。語り手は、「私たちは大洋と海を越えて英国や米国を占領しに行きはしませんでした」と宣言する。「また私たちは9/11を行なってもいません。これらは、成長しつつある中国と強固に統一する欧州の前で、世界のエネルギー資源を統制しようという真の計画を隠蔽するために犯罪者たちが持ち出した嘘の一部なのです。この大規模で増大しつつある対立の中で、世界中でまどろむ人々のために、イラク人がその被害を一手に引き受けなくてはならないというのはアイロニカルなものです」。

ビデオは暗に、イラク人レジスタンスを帝国主義的グローバル化に反対する国際運動と結びつけており、「英国でと米国でとを含め、この戦争とグローバリズムに抗議して路上に出たすべての人々」に感謝している。ビデオは戦争に対して「賢明でバランスの取れた」立場を維持したことについてフランスとドイツに感謝し、アメリカ合州国の人々に対しては「終わりなく再生される恐怖」により「全体的に苦しめられている」として同情を表明している。

ビデオは世界中の人々に、「戦争と制裁に反対する世界的な前線を作るよう」呼びかけている。ここでメッセージは少し不思議なものとなる。この戦線は「改革と秩序をもたらす」「賢明で思慮深い人々により統御され」、「現在の腐敗したものに代わる」「新たな機構」を創生するものであるべきと述べているのである。けれどもメッセージは同時に現実的で具体的でもある:「米ドルの仕様をやめ、ユーロや他の通貨を使いましょう。英米製品の消費を削減するかやめるかしましょう。シオニズムが世界を終わらせる前にシオニズムを止めましょう」。

死亡した外国兵士のおぞましい写真とともに、ビデオは次のように語る:「私たちは、彼らの真の敗北を世界に見せるためにもっとカメラを沢山もっていればと望んでいます」。ビデオでは敵は「敗走」しうち倒されていると述べ、同時に、侵略者たちの苦しみに同情を示している。もし「皆さんが武器を捨てるならば」、「私たちは皆さんを守り、イラクを脱出させるでしょう。皆さんの前に何人かに対してしたように」とも語っている。

恐らくは米国が「外国人戦士たち」がイラクに入ってきて[!]ゲリラの中でかなりの役割を果たしていると非難したことに対する応答として、「私たちは武器や戦士を求めません。というのも、既に沢山あるからです」と述べている。

最後に、話してはなめらかで自信のある声で、侵略してきた敵に向けて、「家へ、家族のもとへ、愛する人々のもとへ帰りなさい」と促している。これはあなたの戦争ではない、またあなたたちはイラクで真の大義のために戦っているわけではない。そしてジョージ・W・ブッシュに対しては、「あなたは私たちに『かかってこい』と言いました。そこで私たちはそのようにしました。他に挑発はあるのでしょうか?」と問うている。

グループの名前に反して、語り手はイスラム主義を政治的ドクトリンとして宣伝してはいない。彼は神にも宗教にもまったく言及していない。例外は、米軍兵士に対して、皆さんは「私たちとともに圧政と戦うのを選ぶことができます」と言い、「私たちのモスクや教会、家に避難することができす」と言っているときを除いては。そして、一度も、ただの一度も、彼は「私たちは皆さんの自由を憎んでいます」とは言っていないのである。

ギャリー・ラップはタフツ大学の歴史学教授で、比較宗教学の兼任教授。「Servants, Shophands and Laborers in in the Cities of Tokugawa Japan」「Male Colors: The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan」「Interracial Intimacy in Japan: Western Men and Japanese Women, 1543-1900」の著書がある。彼はまたイラク・アフガニスタン・ユーゴでの冷酷な戦争の年譜である「Imperial Crusades」に執筆している。メールはgleupp(atmarkhere)granite.tufts.edu.

「至高の国際犯罪」である侵略をイラクに行い、人口30万人の都市に化学兵器による空襲を加えて数千人を殺し町を廃墟にし、政府自身が拷問を許可する覚え書きを配布して、収容所に押し込んだ民間人を含む多数の人々に体系的に拷問を加え、石油を略奪し、農家には自家製の種子を使わせず米国大企業の遺伝子組替種子の利用を強制する。

これら政策を行なってきたジョージ・W・ブッシュは、「自由」と言う言葉を就任演説で、四十数回も用いたとのことです。侵略の自由、略奪の自由、空襲による無差別殺人の自由、国際法に違反する自由、拷問・強姦・殺人・略奪の自由。

日本のメディアの多くは、犯罪者の声を大本営発表として流し続けています。

投稿者:益岡
2005-01-22 12:16:38

イラク・津波・拷問・ファルージャ

コンドリーザ・ライスの発言とアブグレイブ拷問、ファルージャ、侵略戦争などについて、「デモクラシー・ナウ!」の報道を紹介しつつ。

ライスはアブグレイブの囚人虐待を拷問と呼ぶことを拒否
2005年1月19日
デモクラシー・ナウ!原文

コンドリーザ・ライスは、国務長官への就任聴聞で、アブグレイブ収容所での出来事を拷問と述べることを
拒否した。彼女はまた、アルカーイダに関係している個人にジュネーブ条約は適用されないとも主張した。
聴聞の抜粋を紹介し憲法専門家デビッド・コールの見解を聞く。


ブッシュ大統領が国務長官としてコリン・パウエル将軍の後継者に指名したコンドリーザ・ライスは米国上
院外交関係委員会で9時間半以上の質問を受けた。ライスの就任聴聞初日は夜までかかることとなった。終
わったときには、委員長でインディアナ州選出共和党のリチャード・ルガールとコンディ・ライス、そして
11月の選挙で上院議員に復帰したばかりのジョン・ケリー上院議員だけが残った。イリノイ州選出バラッ
ク・オバマが上院に姿を現した最初の大きな出来事でもあった。

ライスと民主・共和党上院議員のやりとりのほとんどは社交的であまり対立的ではなかった。拷問と国際法
、イラク侵略前に政府がイラクに大量破壊兵器があると主張したことについて、またベネスエラと大統領ウ
ーゴ・チャベスについてライスがしたコメントについて厳しい質問が浴びせられた場面もあった。民主党を
代表して攻撃の中心となったのはカリフォルニア州選出上院議員バーバラ・ボクサーだった。もう一人のカ
リフォルニア州選出上院議員ディアンヌ・ファインシュタインが質問開始の際にライスを紹介したことを考
えると興味深い。ボクサーは、ブッシュ大統領の勝利に関する選挙委員会の確認に対する疑問に署名した民
主党上院議員でもある。以下ではボクサーとライスが交わした政府によるイラク侵略正当化をめぐるやりと
りを聞くが、ますはボクサーがライスに行なった拷問についての質問を紹介する。

  • バーバラ・ボクサー上院議員(カリフォルニア州選出民主党)が2005年1月18日拷問について国
    務長官に指名されたコンドリーザ・ライスに質問する。
  • デビッド・コール:ジョージタウン法律学校教授で「Enemy Aliens: Double Standards and Constitut
    ional Freedom in the War on Terrorism」の著者。



以下は粗い書き起こし。無料であるが、募金をいただけると我々のTV番組に聴覚障害者
のための字幕をつける一助となる。ありがとうございます。
募金:25ドル50ドル100ドル
もっと

エイミー・グッドマン:これからボクサーとライスが交わした政府によるイラク侵略正当化をめぐるやりとりを聞きますが、ますはボクサー上院議員がライス博士に行なった拷問についての質問を紹介します。

バーバラ・ボクサー上院議員:2004年7月1日、アブグレイブでの虐待についてコメントしたときあなたは、そのまま繰り返しますが、アブグレイブ収容所で行われたことは米国を表しているわけではないと言いました。我らが国は自由を信ずる情け深い国で、米国政府は起こったことについてとてもすまなく思っているなどなど。これらは極めて妥当だと思います。さて、先週木曜日、上院が満場一致で米国人諜報要員による極端な尋問方法の利用を制限する修正案を採択したとき、私たちは、あなたがボルトン氏とともに議会委員会のメンバーに手紙を書き、その文言を最終法案から削除するよう求めたことを知りました。不幸にして、あなたの求めに応じて委員会メンバーは削除してしまったのです。さて、[私に見えるようにそれをもってきてもらえますか?]、法案からあなたが削除したがり削除された文言を読み上げたいと思います。「一般に」----ちなみにこれはジョー・リーバーマンとジョン・マッケインが書いたものです。ジョン・マッケインは拷問の何であるかを知っているので、ジョー・リーバーマンとともにこれを書いたのです----「一般に、いかなる囚人に対しても、合州国憲法、法、合州国が批准した条約で禁止されている、拷問あるいは残忍、非人間的あるいは品位を傷つける扱いあるいは懲罰を行なってはならない」。とても明確で、スマートで、民主共和の党を問わず満場一致で上院で採択されたものです。それから手紙が来て、新聞によると、あなたの求めで、そしてホワイトハウスの要求で、議会の担当者たちが米国の諜報要員に極端な尋問方法を用いることを禁止する新たな制限となるはずだったこの法的手段をスクラップにしてしまったのです。10月に送られホワイトハウスが先週水曜日に公開した議員に対する手紙の中で、国家安全保障顧問コンドリーザ・ライスが議会が採択した法律に反対を表明しています。その理由を引用すると、この法律は「適用されるべき法律と政策のもとで現在は受ける資格のない法的保護を外国人囚人に与える」からだと言っています。私が理解するところでは、今回の法律は法律を再確認したものだったのですが。

コンドリーザ・ライス:私ども政府の見解では、なによりもまず、その点は大統領がご署名なさった防衛承認法で取り扱われています。

バーバラ・ボクサー上院議員:これは軍にではなく諜報に関わることですから、防衛承認法の対象範囲ではありません。

コンドリーザ・ライス:第二に、でもこの法はすべての政府機関を対象としています。

バーバラ・ボクサー上院議員:諜報要員だけに関することです。続けて下さいな。

コンドリーザ・ライス:すべての政府機関が防衛承認法で対象とされていますから、諜報も対象となっています。

バーバラ・ボクサー上院議員:そんなことはありません。

コンドリーザ・ライス:私どもの見解では。第二に----私たちはこれまで----一定の保護を、これらの保護を受けていなかった人々にこれらの保護を適用したくはありません。そして、ジュネーブ条約はアルカーイダのようなテロリストに適用されるべきではありません。適用できません。適用すればジュネーブ条約の拡大解釈になります。

エイミー・グッドマン:コンドリーザ・ライスが国務長官就任聴聞でバーバラ・ボクサー上院議員に質問を受けているところでした。今ジョージタウン法律学校のデビッド・コール教授と電話がつながっています。コール教授は「Enemy Aliens: Double Standards and Constitutional Freedom in the War on Terrorism」の著書があります。デビッド・コール、ようこそ。コンドリーザ・ライス博士が送ったこの手紙とその問題について説明していただけますか?

デビッド・コール:もちろんです。エイミー。2002年8月、法律諮問局(Office of Legaul Counsel)が誰もが注目した覚え書きを書きました。これは、できるかぎり拷問の定義を狭め、CIAの尋問員が強制的手段を使うことができるようにしたものです。例えば「水板」といったものを、個人に対して。そして、彼らはまた、「水板」といった手段を具体的に承認する機密覚え書きCIAに出していたのです。それを明らかにするものです。これらの覚え書きは公開されていませんが、それについての報告はなされています。基本的に、現在は公式の政策が一方で、もう一方で秘密の非公式の政策がある状況です。ライス氏がこの新たな法律に反対しているのは、それが私たちの公式の単一の政策に全員が従わなくてはならないことを求めているからです。したがって、彼女が求めているのは、我々は拷問に反対すると口でいいながら、まあまあ、CIA要員には世界が拷問であると理解している手法の行使を認めようではないか、何と言っても我々がそれを拷問ではなく冷酷で非人間的で品位を傷つける処遇と定義したのだから、そして我々はジュネーブ条約でカバーされてないふりをすれば人々にそれをできるのだから、という偽善を続けたいということです。

エイミー・グッドマン:彼女は、返答の中でとても率直です。ジュネーブ条約はアルカーイダのメンバーには適用されないと言っています。

デビッド・コール:実際、アルカーイダのメンバーにはジュネーブ条約は適用されないと言う真面目な法的議論があります。しかしながら、実際の所、ジュネーブ条約は米国が戦争を行なってきた多くの対象に適用されないという法的議論もあるのです。それにもかかわらず、我々は、人々をジュネーブ条約で保護されているかのように扱うと主張して来ました。つまり、拷問や残忍、非人間的および品位を傷つける扱いを誰に対してもしないと言ってきたのです。ジュネーブ条約に署名した国家のもとで組織された軍であるかどうかにかかわらず。ですから例えばベトナムでは技術的にはジュネーブ条約で保護されているとは言えない非正規軍と闘ってきました。彼らはジュネーブ条約に署名していなかったのです。彼らはジュネーブ条約に従いませんでしたが、我々は彼らの扱いに関してジュネーブ条約を拡大適用したのです。今回の戦争まではその立場を保っていました。そして今回政府はジュネーブ条約をアルカーイダやタリバンの人々には適用しない、というのも強制的な尋問技術を使いたいからだと決めたのです。それがこの坂を滑り落ちてしまった理由です。アブグレイブの写真で明らかになったような。

エイミー・グッドマン:デビッド・コール、ありがとうございます。ジョージタウン法律学校教授で「Enemy Aliens: Double Standards and Constitutional Freedom in the War on Terrorism」の著者デビッド・コールでした。

興味深い言説の事例なので、紹介します。アブグレイブの拷問スキャンダルが明るみにされたとき、いくつかのレベルで奇妙な議論がなされました。一つは、それが「虐待」であって拷問ではないとの主張があったこと。もう一つは、我々米国はこの拷問により道徳性を失ってしまったとの主張があったこと。

それに対して、イラクでは少なからぬ人々が、アブグレイブ・スキャンダルが明るみに出されたのは、当時ファルージャで米軍が行なっていた体系的な民間人の虐殺や射殺から世界の目を逸らすためではないかとの疑念を提起していました。

アブグレイブをはじめイラクの様々な収容所で米軍が被拘留者(その多くは恣意的に拘留された民間人です)に対して犯した行為は、以下の定義に完全にあてはまる、そして法解釈上も拷問とされているものです:

ICC[国際刑事裁判所]規程7条2項
拷問とは、身体的であるか精神的であるかを問わず、抑留中または被告人として統制下にあるものに対し、厳しい苦痛または苦悩を意図的に加えることを言う。ただし拷問には適法な制裁からのみ生じ、それに固有のもしくはそれに付随する苦痛もしくは苦悩は含まれない。

拷問禁止条約第1条 84年採択・87年発効
第1条:この条約の適用上、拷問とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず、人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人もしくは第三者から情報もしくは自白を得ること、本人もしくは第三者が行なったかもしくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人もしくは第三者を脅迫しもしくは強要することその他これらに類することを目的としてまたは何らかの差別に基づく理由によってかつ公務員その他の公的資格で行動するものによりまたはその扇動によりもしくはその同意もしくは黙認の下に行われるものを言う。拷問には合法的な制裁の限りで苦痛が生ずることまたは合法的な制裁に固有のもしくは付随する苦痛を与えることを含まない。

一般に国際人権法では拷問の執行者を公的立場にあるものとしており、国際人道法では公的であるかないかを問いません(が人権法と人道法の概念は次第に接近してきています)。

第二点目。インタビューを受けたデビッド・コールも何ら歴史的証拠を挙げずに「これまで米国はジュネーブ条約を誰に対しても適用してきた」と述べていますが(ジュネーブ条約の適用範囲をめぐる法的解釈の曖昧性についてを脇に置いても)この発言は全く事実に反しています。南ベトナムで民間人を「戦略村」(強制収容所)に収容し、恣意的な殺害を政策として行なってきたことは明らかにされていますし、ソンミ村虐殺が孤立した事件でなかったことも証拠とともに明らかにされています。

さらに米軍やCIAが直接でなくても米州軍事学校で拷問手段を体系的に教えてきたこと、また例えばウルグアイのダン・ミトリオーネのように公的立場から拷問を専門に行なってきた人物なども多々おり、ジュネーブ条約や国際人道法・国際人権法を遵守してきたとは言えません。

第三。2005年11月ファルージャ。1945年8月広島・長崎等、米軍は大規模な空爆により、民間人を含めた無差別殺害を犯してきました。国際法の立ち後れにより、しばしばないがしろにされていますが、膨大な人的犠牲を生み出してきたものです。以下の言葉はそれを的確に表現しています。

「街や都市、村の無差別破壊」は以前から戦争犯罪であったにもかかわらず、飛行機による都市の空爆は処罰されないばかりか、実質的に非難の対象にすらなってこなかった。これは、現代国際法のスキャンダルである。このことを忘れてはならない。空爆は、国家テロリズムであり富者のテロリズムである。過去六〇年間に空爆が焼き尽くし破壊した無辜の人々の数は、反国家テロリストが歴史の開始以来これまでに殺害した人々の数よりも多い。この現実に、なぜかわれわれの良心は麻痺してしまっている。われわれは、満員のレストランに爆弾を投げこんだ人物を米国の大統領に選びはしない。けれども、飛行機から爆弾を落とし、レストランばかりでなくレストランが入っているビルとその周辺を破壊した人物を、喜んで大統領に選ぶのだ。私は湾岸戦争後にイラクを訪れ、この目で爆撃の結果を見た。「無差別破壊」。イラクの状況を表わす言葉はまさにこれである(C・ダグラス・ラミス 政治学者)。


第四。ニュルンベルク原則に照らせば、「侵略戦争を始めることは、ただの国際犯罪ではない。すべての悪をその内部に蓄積しているという点において、他の戦争犯罪とは区別される至高の国際犯罪である」。米国によるイラク侵略は、ナチスのポーランド侵略や日本の中国侵略、米国のベトナム侵略などと同様、至高の国際犯罪です。それを忘れたかのように「米国はジュネーブ条約を遵守してきた」(してこなかったのですが)という前提で今回のことを異例であるかのように語るのは、たとえて言うと、殺人犯について殺人そのものの罪を問わずに、殺害方法が人道的であったか残忍であったかという技術的問題だけがポイントであるかのように考えることと同様、倒錯していると言わざるを得ません。

コンドリーザ・ライス氏は、スマトラ大地震の際、次のように述べています:

[F]irst of all, I do agree that the tsunami was a wonderful opportunity to show not just the U.S. government, but the heart of the American people. And I think it has paid great dividends for us.


何よりもまず、今回の津波が、米国政府にとってだけでなく米国民の心を示すための素晴らしい機会だという点にまったく同意します。津波は私たちに大きな恩恵を与えてくれました。

自己顕示欲と自己満足のためだけに他人の不幸を喜ぶこの性根は、展開して、他人の不幸がない場合にはまず自分たちで作ろう、それを救うために、という振舞いに至っています。


投稿者:益岡
2005-01-21 22:34:54

「なぜ発砲したの? 武器なんか持ってなかったのに」

タルアファルでの出来事。米兵パトロールによる「誤って」の民間人射殺。

「なぜ発砲したの? 武器なんか持ってなかったのに」
2005年1月20日
インディペンデント紙原文
タルアファル発
クリス・ホンドロス

日課となっている徒歩でのパトロールだった。我々が大通りに向かっていたとき、遠くに、我々の方に向かってくる車が見えた。自動車爆弾の可能性から身を守るために、米軍の徒歩パトロールは近づいてくる車両を停止されることが当たり前のこととなっていた。とりわけ、暗くなった後では。

「自動車爆弾がやってくる」と交差点にたどり着いたときに誰かが叫んだ。約100メートル先に車が見えた。車は近づいてきた。高いエンジン音で、スピードを緩めているというよりは速めているような音だった。50ヤード程先までせまってきていた。「車を止めろ!」と誰かが叫んだ。ほぼ同時に誰かが警告発砲のような音に聞こえた発砲を行なった----とぎれとぎれの発砲音。

車はこちらに近づいて来続けた。それから、恐らく1秒とたたないうちに、不快な発砲音が聞こえた。混乱して折り重なる騒音の発砲。車は惰性で交差点に入って来、発砲が車を貫きずたずたにしていた。ついに発砲が止まり、車は当てもなく回転した。誰もハンドルを握っていないことは明らかだった。それから縁石のところでとまった。米兵たちが用心深く車に近づいた。子どもの泣き声が車の中から聞こえた。私は車に近づいた。頭を覆った十代の少女が後部座席から現れ、泣き叫んで激しい身振りをしていた。彼女の後ろから少年が一人、座席から地上に転げ落ちた。既に血だまりが出来ていた。

「民間人だ!」と誰かが叫び、米兵たちが駆け寄った。さらに多くの子どもたち----結局全部で6人だった----が車の中から姿を現した。泣きながら、顔には長い筋となって流れる血をつけて。米兵は全員を近くの歩道に連れていった。



その頃にはほとんど真っ暗になっていた。ライフルの先についた灯りだけで、軍の医療担当が子どもたちの怪我をチェックし始めた。体を手でなぞって、傷を捜した。

信じがたいことに、怪我をしていたのは手を切った少女と背中に切り傷を負った少年だけだった。少年の傷からはひどく血が出ていたが、命にかかわるほどではなかった。医療担当者は、少年を壁に向けてかがませ、ただちに傷口を縫った。

歩道から、銃弾だらけの窓ガラスをはっきりみることができた。運転手の男性を多くの弾丸が貫いており、頭が砕けていた。体は恐ろしいまでに歪んでいた。助手席の女性も死んでいた。ムスリムの服に包まれており、見にくかった。

その間、子どもたちは嘆き叫び、壁にかたまって、傷口を縫ったり慰めようとする兵士たちに取り囲まれていた。軍の通訳は後になって私に、この人たちはトルクマンの一家で、十代の少女は「何で我々を撃ったの? 武器なんか持っていなかったのに! ただ家に帰ろうとしていただけだったのに!」と叫び続けていたという。装甲車が来て準備ができるまで待ってから、車列はタルアファルの総合病院へと向かった。

兵士と十代の姉が小さな子どもたちを運び込んだ。背中に傷を負った少年だけがさらなる処置を必要とした。軍の医療担当とイラク人医師が予後について短い話をし、少年の傷は簡単に治るだろうとの見解で一致した。軍は、恐らく全面的な調査を行うことになるだろうと私に語った。

クリス・ホンドロスはゲッツィ・イメージズの写真家で米軍に軍属している。

自動車爆弾が各地で爆発する中、あまり伝えられないけれど、やはり日常的に起きている出来事。

投稿者:益岡
2005-01-20 23:23:01

イラクの現状(マハジャン, 1月18日)

ファルージャ2004年4月』著者の一人ラフール・マハジャンがイラクの現状を簡潔にまとめる。

イラクの現状
ラフール・マハジャン
2005年1月18日
EmpireNotes原文

イラクの人々は耐えがたい状況のもとにいる。そして、ホワイトハウスの楽観的公式見解とは反対に、状況は着実に悪化している。

1月30日に予定されている国連権限下の「選挙」は歴史上最も奇妙なものの一つとなるだろう。「秘密投票」の概念をさらに一歩進めて、大多数の候補者が暗殺を恐れて名前を公表していない状況である。候補者はどんな政策を支持しているかについて全く人々に知らせていないばかりでなく、自分が誰であるかさえ言っていないのである。イラク国営テレビで自分のメッセージを伝えることができるわずかな数の候補者は巨大なアドバンテージを有している。

モスルでは、選挙のためのインフラは崩壊しつつあり、アル=アンバル州----ファルージャやラマディといった一触即発地域でと同じくらい、モスルでの選挙は疑問である。

石油の生産・流通インフラに対する攻撃は大きな成功を収めている。11月には10月比で36%の石油輸出収入の減少が見られ、1月上旬の輸出量はさらに低くなって通常量の半分未満であった。

米国が据え付けたアラウィ政府はその残虐さで名を果てている。イラク国家警備隊に対する多くの苦情が出ており、米軍兵士の振舞いよりも悪辣なのではないかと考えるイラク人もいるほどである。報道の自由に対する制限は厳しい。アルジャジーラは今でも実質上禁止されており、他のメディア支部も日常的に嫌がらせを受けている。国家警備隊はスンニ派聖職者と礼拝者を意図的に標的として侮辱して恐怖の雰囲気を広めている。

イラクのエスニック的分断は1991年のイラク・インティファーダ後以来最も大きくなっている。当初から深刻な問題だったクルド人とアラブ人の分断は悪化し、シーア派とスンニ派の分断はこの6カ月で爆発した。そして選挙がさらにその分断を深めることとなっている。

再建は何も達成していない。公式報告では電力供給能力が増大したとされているが、実際には後退しており、停電時間は長くまたより頻繁になっている。16カ月前に議会が割り当てた予算を実際に使い始めようと言う計画は治安契約企業の懐を潤す以外には目に見える結果をほとんど出していない。経済制裁が終わりを告げてから長いこと経っているのに、大多数のイラク人は政府の食料割り当てに依存している。過去2年の石油価格急上昇がなかったら、イラクは長期的な再建など及びもつかず毎日の支出だけで深刻な財政危機に直面していたことだろう。

米軍の作戦はさらにいっそう暴力的で侵略的になっている。ファルージャでは11月に何千人もの人々が殺されたがその正確な数はわかっていない。そして米軍は現在、ファルージャを基本的には巨大な集中キャンプにしようという計画を持っている。さらに米軍兵士たちは現在、大規模な掃討作戦をモスルで進めている。

そして、『ランセット』紙に発表された調査によると、2004年9月の時点でサダム以後の本来死ななくてもすんだ人々の数は10万人に達している。これは11月のファルージャ攻撃とこの数カ月での状況の全体的悪化の前の数値である。今となっては、その数は12万5000人に達しているかも知れない。

さらに、米国はレジスタンスを支援する住民たちを恐怖に陥れるために「死の部隊」の創設を検討している。これは恣意的拘留、拷問、外出禁止令の後に論理的に続く手段である。

これらすべてが「体制変更」を起点としている。すべてを直接米軍が引き起こしたわけではないが、容易に予測できたこうしたダイナミクスを起動したのは米国であった。レジスタンスの政治的評価を擁護することはできないが、巨大で強力なプロの軍隊に対して軽武装の民間人が武装レジスタンスをする際には常にこうした結果は引き起こされる。占領軍による弾圧は「秩序」回復の口実でいつも正当化されてきた。

真に責任を問われるのはどこかについてはほとんど疑問の余地はない。米軍がこの破滅を引き起こし、アブグレイブからファルージャに至る米軍の残忍な振舞いがあらゆるところで破滅をさらに悪化させた。

それにもかかわらず不思議なことに、これらすべてが無意味な選挙で矯正されるとされている。占領軍を助けそれに賛同しておりまたイラクを警察国家に変える政策を継続する候補者しかいない中の無意味な選挙によって。ジョージ・ブッシュはつい最近、米国大統領選の結果は米国が自分の対イラク政策を「承認」したことを示していると述べた。イラクの選挙結果についても、誰が選ばれるにせよ、それと同じことが言われるのは確実である。けれども、この「選挙」はイラク占領の暴虐を何一つ変えないというのが真実である。

ラフール・マハジャンは帝国ノートの著者。最新の著書Full Spectrum Dominance: U.S. Power in Iraq and Beyondには、米国の対イラク政策、大量破壊兵器をめぐるイカサマ、ネオコンの計画、ブッシュの新たな帝国主義政策が書かれている。メールはrahul(atmarkhere)empirenotes.org。



投稿者:益岡
2005-01-20 00:26:33

ファルージャでの奇妙な出来事(ジャマイル, 1月18日)

米軍がファルージャで使った化学兵器等の痕跡を消そうとしているようだ。『ファルージャ2004年4月』の著者の一人ダール・ジャマイルの記事。

ファルージャでの奇妙な出来事
ダール・ジャマイル
Electronic Iraq
2005年1月18日

「ファルージャで兵士たちが奇妙なことをしている」。私が連絡を取っているファルージャの一人がこう述べた。彼はファルージャで自宅の状況を調べ、今日の夕方バグダードに戻ったばかりだった。

匿名を条件に彼は続けた:「ジュラン地区の中心街で、米兵たちは爆撃を受けなかった家々をすべて撤去しているんだ。一方、爆撃を受けた家のほとんどはそのまま残されている。なんでそんなことをしているんだ?」

彼の言うところによると、同じことがナザール地区でもムラウメーン地区でもジュバイル地区でもシュハダー地区でも行われており、軍はイード(イスラムの大祭)のあと、つまり11月20日以降にこれを始めた。

彼は米軍がブルドーザを使って土を堆くかき集めトラックに積んで運び去るのを見たんだと私に語った。これが行われたのはファルージャのジュラン地区とジムーリヤ地区で、むろんのことそれらの地区はファルージャ包囲攻撃の際に最も激しい戦闘が行われたところであった。レジスタンスが最も激しかったところである。

「少なくとも2キロ分の土が運び去られた」と彼は説明する。「侵略の際激しい戦いがあり米軍が特殊兵器を使ったバグダード空港でやったのと全く同じことをしているんだ」。

彼は、米軍が「特殊弾薬」を使った一部の地域では、爆発地点一つ一つの周囲200平方メートルの土が運び去られたと語る。

さらに、彼の友人の多くが彼に語ったところでは、米軍は放水タンカー・トラックで道路を一掃していたと言うが、彼自身はその光景を見ていないという。

「兵士たちはすべての家で放水車から放水した」と彼は続ける。「まるで水を使って化学兵器の証拠を隠蔽しようとしているみたいに。だけど、米軍はそれをジュラン地区とかそこの市場とかいったいくつかの地域でやっているだけだ」。

彼がそれを最初に見たのは12月20日以降である。

これもまた、私がファルージャの難民何人かから聞いた物語にマッチしている。

昨年12月、ファルージャ出身の35歳の商人バウ・ハマッドが私に、米軍による包囲の中で彼がまだファルージャにいたときに経験したことを語ってくれた。

「夜通し途切れなく米軍戦闘機がやってきて、ファルージャの至る所を爆撃した! 一瞬たりとも爆撃を止めることはなかった! 米軍が爆撃の標的を見つけられないときには、人々と子どもたちを恐怖に陥れるために音響爆弾を使った。町中が恐怖に包まれた。誰もがどれだけパニックに陥っていたか、説明さえできないくらいだ」。

「毎朝、ファルージャは空っぽだった。まるで人っ子一人住んでいない町のように」。彼はこう語った。「ファルージャでは毒ガスさえも使われた。米軍はあらゆるものを使ったんだ。戦車、大砲、歩兵、毒ガス。ファルージャは爆撃で灰塵と化した。何も残されていない」。

ファルージャのすぐ郊外にあるアミリヤート・アル=ファルージャという小さな町では、ファルージャから来た医師たちの多くが人々の治療を行なっていた。ファルージャ総合病院で治療ができなかったためである。そこでも、似通った話を聞かされた。

先月、この小都市の病院に来たばかりのある難民が、米軍が水タンカー・トラックを持ち込んでファルージャの道路に放水していたのを目撃したと語った。

「米軍はどうしてそんなことをしているのだろう?」とアフマド(安全のため仮名を使っている)は語った。「ファルージャをきれいにするため? そうではない! 私の町で使った恐ろしい兵器の痕跡を隠蔽しているんだ」。

昨年11月にはまた、ファルージャのジュラン地区出身のもう一人の難民アブ・サバーが私に、「奴ら(米軍)はキノコ雲のような煙を出す奇妙な爆弾を使った。それから長い煙の尾を引いた小断片が空中を広がった」。

彼の説明によると、これらの爆弾の断片は爆発して大きな火となり人々の皮膚を燃やして水をかけても燃え続けるという。これは白燐兵器やナパームの特徴である。「これらの爆弾で人々はひどい苦しみを被りました。民間人も戦士も同様に」と彼は語った。

友人のスティール(安全のため仮名を使っている)は、11月末ファルージャ入りを許可されたイラク赤新月社の援助車列に参加していた。

自分の目で目撃した破壊された街について、彼女は「米軍がファルージャで悪辣なことを行なったのは確かですが、誰がそれを見いだしてそう言うことができるでしょう?」と説明する。「米軍は私たちをジュラン地区をはじめとする激しい戦闘が行われた地区にに入れさせませんでした。そうした場所で忌まわしいことが行われたのは確実です」。

「ナパームが使われたと皆が言っている地区に、米兵たちは私たちを立ち入りさせませんでした」と彼女は続ける。「ジュラン地区をはじめとする激しい戦闘が行われた地区です。誰もそこへの立ち入りは許されなかったのです」。

11月30日、米軍は援助車列のファルージャ入りを阻止した。援助車列はイラク保健省が送ったものであったが、APによると、検問の米兵たちは車列に「8、9日経ったら戻ってこい」と言ったのである。

その救援チームに同行していたイブラヒム・アル=クバイシ博士はその当時記者団に対し「ファルージャでは恐ろしい犯罪が進行中であり、米軍はそれを誰にも知らせたくないのだ」と語っている。

ファルージャ入りする人々を米軍が厳しく統制している中、どんな兵器が使われたかに関する真実を明らかにするのは困難である。

その間、ファルージャの別の地区に住む人々も、次々と同じ話を伝えている。

毒ガス。米国がサダム・フセインに提供し使わせた毒ガス。あれだけ騒がれた「大量破壊兵器」は、いつでも米軍を訪れれば見つかるのですが。そしてファルージャを捜せば禁止された兵器が使われた証拠も見つかるはずですが。

米軍がベトナムを侵略した際に使われたナパームは、朝鮮戦争の際にも使われていました。1951年のニューヨーク・タイムズ紙記事はそれを次のように報じています:

3、4日前、中国軍が進軍前に待機していたとき、その村はナパームによる襲撃を受けた。村中で死者は一人も埋葬されなかった。埋葬を行う人が一人も残らなかったからである。〔・・・・・・〕村の中そして農地にいた住民がナパームに捕らえられ、着弾したときの姿勢そのままの姿で殺された----自転車に乗ろうとしている男性、孤児院で遊んでいた50人の少年少女、奇妙なまでに傷のない主婦。この主婦は、2ドル98セントの「魅力的なベッドジャケット----コーラル」という製品のメール・オーダー番号3811294にクレヨンで印が付いたシアーズ・ローバック社のカタログから破り取られたページを手にしていた」。この小さな村で200人近い人々が死んだに違いない。



投稿者:益岡
2005-01-19 22:02:56

「生きてるって言えないよ」(ジャマイル,1月11日)

バグダードに戻ったダール・ジャマイルのウェブログ,1月11日の記事。

「こんなの,生きてるって言えないよ」
"This is not a life."
Dahr Jamail, January 11, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000165.php

いわゆる選挙が近づくにつれ暴力が激化し続け,今日すでに,少なくとも18人のイラク人が死亡した。

今ではほぼ毎日のペースで,自爆の自動車爆弾がイラク警察の警察署を攻撃している。

今日のターゲットはティクリートにあった。米軍スポークスマンのニール・オブライエン少佐は,警察署の本部が爆弾で攻撃されて6人が死亡したと言っている。

オブライエン少佐はまた,「イラク警察が強くなり続け,反乱者やテロリストに対して脅威となるにつれて,ターゲットとされるようになるだろう」とも述べている。

私が話をしたほとんどのイラク人は,オブライエン少佐とは意見を異にしている。

「イラク警察はアメリカ人の操り人形だ」とアブドゥラ・ハシムは言う。彼はバグダード中心部で野菜を売っているイラク人男性だ。「警察自身が自分のことを恥じて,顔を隠すためにマスクを着けているのに,誰が彼らに敬意を払えると?」

むろん,顔を覆うマスクを身に着けているイラク警察は,自身と家族の身の安全のためにそうしている。占領者に協力する者とみなされた場合,それが誰であっても,即座にレジスタンスの攻撃の対象となりうる。家族とて同じだ。現在はイラク軍に統合されているイラク国家警備隊(ING)の多くも,同じ理由で,黒いフェイスマスクを着用している。

「誰もあいつらに敬意など払わない。だって彼らにはセキュリティを確保することはできないんだから」と,閉店しているガソリンスタンドの前でイラク警察2人を乗せたトラックの横を通り過ぎながら,アブ・タラットは私に言う。

前回,私は何人かのイラク警察に話を聞いた。彼らは,占領軍から武器やラジオや車両が提供されないのだとこぼしていた。彼らの不満は,レジスタンスのほうが警察よりもよい武器を持っているという事実に集中していた。

後刻,私たちは私の部屋のテレビでいわゆる暫定首相のイヤド・アラウィの記者会見を見ていた。ひとりの記者が,予定されている「選挙」のために,今月15日に携帯電話のサービスが打ち切られるというのは本当か,と質問した。

アラウィはその質問をかわした……その質問には国防省からお答えしますと言って。その国防省は昨日,イラク軍は兵士5万であると宣言し,7万にまで増員される見込みであると述べていた。そして今日,アラウィは,軍の兵力は10万であると宣言した。

もちろん,ガソリン危機はさらに悪化し続けている。バグダードのほとんどの給油所が閉鎖されている【photo】。

給油している車よりむしろ,レイザーワイヤー【photo】と空のガソリン・タンカー車両が,給油所の多くにじっと動かずにいる。

これらもまた,侵略に際して破壊されたこの建物【photo】と同様,バグダードでは復興などないということを思い出させる見苦しい物体だ。

ガソリン不足が原因であらゆるものの値段が天井破りに急騰し,失業率は70パーセントだということを,イラクの人たちは毎日思い出さされる。ヤミではガソリンは1リットルあたり1000イラク・ディナールもする。給油の列に12時間から24時間並んで我慢する気がないのであれば,ヤミ価格でガソリンを買う以外に車に給油する手段はない。

1ヶ月前に私がイラクにいたときは,ヤミのガソリンは1リットルあたり300ディナールだった。もしも自分の国で失業率が70パーセントで,自分も失業していて,ガソリンの値段が1ヶ月に333パーセントも上昇し,そのために食料から灯油まであらゆるものの値段が急騰しているとしたら,自分ならどうするか,想像してみていただきたい。

ガソリン危機と言えば,今朝,キルクークとベイジ製油所を結ぶパイプラインが爆破された。キルクーク南西のいくつかのラインもまた破壊された。

サマラ中心部では今日,米軍の車列が通りかかったところに自動車爆弾が爆発したが,軍からは死傷者についてはひとことも聞かれていない。ということは,おそらく数人は死傷者が出ているということだ。そのすぐあとに2つめの爆弾が爆発し,イラク兵士少なくとも1人と一般市民1人が死亡した。

ユスフィヤー(Yusufiyah)近くでは,米軍車列を狙った路上爆弾が標的を逃し,ミニバスを爆破した。イラク人8人が死亡し,3人が負傷した。理由はわかっていないが,このミニバスはその後ガンマンに襲撃され,イラク人3人が拉致された。

ユスフィヤーはバグダードのすぐ南,「死の三角地帯」にある。最近,レジスタンス戦士を一掃することを目的とした米英軍の大規模な軍事作戦が行なわれた場所だ。米英軍の作戦は,ファルージャでの作戦と同程度に成功したように見える。ほぼ毎日のペースで,戦闘は継続している。

今日,インタビュー取材に向かうためにバグダードを車で走りながら,私たちはまた,ほとんどの時間を渋滞で動けない状態で過ごすことになった。おおかたのインターセクションでは,お恵みをと言って歩く女性や子どもが,手を差し出しながら車の間を歩いている……どうかご慈悲をと言いながら。

アブ・タラットはポケットを探って小銭を探す。神にお助けくださいと祈る年老いた男性が,車の窓のところに立っている。

アブ・タラットがいくらかお金を渡すと,老人は杖を持ち,何度も繰り返しアブ・タラットの親切な行ないに対して祝福を与える。

「ダール,バグダードはこんなになってしまったんだよ」と,ようやく車が1インチ前進したところで彼は私に言う。「みなが大変につらい思いをしている。こんなの,生きてるとは言えないよ。」

Posted by Dahr_Jamail at January 11, 2005 04:37 PM


投稿者:いけだ
2005-01-18 21:32:57

相変わらずのバグダード(ジャマイル,1月10日)

バグダードに戻ったダール・ジャマイルのウェブログ,1月10日の記事。

バグダードは変わりなく
Baghdad, As Usual
Dahr Jamail, January 10, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000164.php

いつものごとく飛行機が旋回して着陸すると,そこは鉛色の空をしたバグダード……数週間前に私が離れたときと同じ天候だ。常のごとく「グローバルな」傭兵たちが大勢,空港にいる……空港では,機内に持ち込んだ手荷物をトイレに持って入ることは許可されていない。爆弾を恐れているためだ。忘れちゃいけない――この空港は,イラクで最大の米軍基地なのだと。

そして,いつものごとく,正面の検問所で迎えを待つという楽しい一時。いつものごとく,アブ・タラットは時間より早く到着していた……しかし,早く到着しても,車に爆発物がないかどうかを犬の鼻で確認させるため長い列に,神経がおかしくなるくらい延々と並ばされるだけ。検問所から内側,小さな駐車場で立っているなんて,私としては楽しい時間とは思えない。誰もが互いにちらちらを目を配り,あれは誘拐犯だろうか,遠くにあるあの車は爆弾だろうか,と思っている。

むろん,離れてはいるがそんなに遠くはないところでランダムに銃声がしているということには,そんなことは何にもならない。

アブ・タラットがついに通行を許可されて,友人のハリールと私はさっさと移動する。親愛なる友人にして通訳である彼と再会できたことのほかに,新たな友人を得たことは,この日の明るい出来事だった。

車が給油のために何キロも列を作っている。人々がガソリンスタンド【photo】の前でジェリー缶(19リットルの缶)を運んでいる【photo】。それを追い越しつつ,車内で私はふたりに言った。「こんなひどい状況でこんなことを言うのもおかしなことだけど,バグダードが懐かしくてしかたなくてね。戻ってこられてうれしいよ。」

ハリールは笑って「みんなそう言うんだよね,この場所のことを」とこたえる。

彼は自宅での盛大なイラク式ランチに私たちを招いた。もちろんイラクのシャイ(茶)とすばらしい会話つきのランチ。電気は通電したり停電したりで,バグダードのほとんどが1日に平均4時間しか電気が来ないのだが,それはさておき,世界で最も危険な首都の友人たちにとってはつかの間の平常。

しかし,平常な時間はここで終了。

今日,バグダード南部で警察署に自動車爆弾が突っ込んで8人を殺した。そのうちの3人はイラク警察だった。この爆発で10人が負傷した。

バグダード警察副所長のBrigadier Amer Ali Nayefとその息子のハリード・アメール警部補が,今日,バグダード南部のドーラ地区で暗殺された。彼らの車は今朝出勤途中で銃撃を浴びせられた。この1週間足らずの間に暗殺されたイラク人高官は2人目だ。この前の火曜日に,バグダードのアリ・アル=ハイダリ州知事が,6人のボディガードと一緒に,銃撃されて暗殺されたばかりだ。

しかし,州知事殺害の目撃者の語る事件の詳細は,ニュースには流れなかった。車列はよく連携された攻撃で襲われた。バグダードの街路に沿って立つタバコ売りの露天に配備された戦闘員が2グループ,知事を待っていた。さらに,近くの商店の屋上にもガンマンたちがいた。車列が襲撃され,知事らの車は逃れたが,ガンマンを満載した車に追跡され,そしてガンマンたちは仕事を完了した。撃たれた民間人は,知事のボディーガードの放ったランダムな銃撃に当たった者たちだけだった。

ファルージャの破壊(demolition)は続いている。ファルージャ内部にいる私の情報源の2人が,それぞれ別の区域に住んでいるのだが,軍は今では家屋を燃やしていると報告している。ブービー・トラップを発見し,家屋の中で家具を積み上げてガソリンをかけ,燃やしているということのようだ。

それでも依然として,今日もまた海兵隊員がひとりファルージャで殺された。

バグダードでは今日,またブラッドレー戦闘車両が破壊された。レジスタンス(the resistance)は攻撃に際し,より大きな爆弾を使っている。この爆発で兵士2人が死亡し,4人が負傷した。

そんなに前のことではないが,やはりブラッドレーが1台,こういった大きな爆発物で爆破されている。そのときは兵士6人が死亡した。

バグダードじゅうにサイレンが鳴り響く。ランダムな銃撃が,いつものごとく,市のあちこちではっせいする。そして英軍は400名増員する。

選挙に関しては,バグダードではいくつかすてきな看板【photo】が見られる。投票をしようと呼びかけるものだ。

私のイラク人の友人たちの何人かは,投票するのはイラク人の2割くらいに過ぎないだろうと言っている。誰が彼らを責めることができよう? レジスタンスは,選挙の日には投票所を狙撃すると宣言している。投票所に自爆の自動車爆弾が突っ込んでくる可能性も高い。いかなるタイプの選挙であれ,その前にセキュリティを改善すれば,かっこいい看板【photo】よりも,人々を投票所に向かわせる効果が高いだろう。

というわけで,いつものごとく,占領されたイラクというおそろしいカタストロフィーは,日に日に悪化しつつある。
Posted by Dahr_Jamail at January 10, 2005 06:06 PM


投稿者:いけだ
2005-01-18 21:32:18

殺された人々の家族は連帯する

2004年12月25日、米軍家族がファルージャ難民を支援という短い記事を本ブログで紹介し、7日付のダール・ジャマイルによる関連記事も紹介しました。同じジャマイルの11日付続報記事を紹介します。

殺された人々の家族は悲しみ----そして怒り----の中で連帯する
ダール・ジャマイル
2005年1月11日
DahrJamailIraq.com原文
原文

アンマン発1月11日(IPS)----フェルナンド・スアレス・デル・ソラルの息子ヘスス米軍海兵隊上等兵がイラク侵略のときに死亡してから2年近くが経つ。

父親の悲しみは今も深いが、彼は、復讐の気持に屈するのではなく、イラクの子どもたちに医療援助を届け、また、不正で誤ったものであると信じるこの戦争に反対の声を挙げることを選び取った。

スアレスには怒る権利が十分ある。最初、米軍で最初の犠牲者の一人である息子は2003年3月27日、頭部に銃撃を受けて殺されたと伝えられた。その後、スアレスは、20歳の息子は地雷により殺されたと言われた。

さらにあとになって、ヘススの部隊に軍属しているABCの記者が確認した情報に基づき、スアレスは、息子が死んだのはクラスター爆弾の不発ボムレットを踏んだからであると知った。多くの人が、クラスター爆弾はジュネーブ条約のもとで不法な武器であると論じている。

昨2004年12月の末、ヨルダンのアンマンでスアレスは、アラブ人権協会を前に、「このことから、私は、アラブ人であるかメキシコ人であるか米国人であるかにかかわらず、一緒に活動することができるという教訓を得たのです」と語る。「死んでいった人々の血によって、米国の腐敗した政府に反対する私たちは団結すべきなのです」。

同意を示してうなずくアラブ人参加者もいた中、スアレスはさらに「私の人々の名において許しをお願いしますが、それだけでは十分ではありません。これを終わらせるために何かすべきです」と行った。

カリフォルニアで集めた医薬品で膨れ上がった3つのスーツケースを持って、スアレスは妻とともにイラク人特に子ども----占領下で苦しみ命を落としていっている----を助ける使節の一員としてヨルダンにやってきた。

人権団体「グローバル・エクスチェンジ」とロサンゼルスを拠点とする平和団体「コード・ピンク」の支援を受けた使節には、イラクで愛する人々を失った家族が他にも2家族と、米国における2001年9月11日のテロ攻撃で息子を失った女性も参加している。

親族を暴力で失ったイラク人と使節との会合では感情が高まり、多くの人々が泣き出した。息子のヘススが十代のときに米国に移住してきたスアレスも泣いた。

「我々の子どもたちはイラクに行きたくないのにむりやり行かされたということをわかって下さい」とスアレスは言う。「生きるか死ぬかの状況だったこともあるでしょうが、だからといって人々を助けないことや収容所での虐待が正当化されるわけではありません。私たちが持ってきた薬は、おそらく、100人の子どもが生き延びるのを助けるでしょう。けれども、イラク全体が生き延びることを支援するために活動します」。

その後の、イラク家族とのもう一つの会談で、スアレスは、ファルージャから来たあるシャイフ----コミュニティの宗教的指導者----の話しに耳を傾けた。彼は、その前の週、自宅で娘婿が米軍兵士たちにより処刑されたと語った。

自らの身の安全のために名前を伏せることを求めたこのシャイフは、大きな危険を背負い込みながら、自分の身に起きたことを語るためにアンマンにやってきた。娘婿が処刑されたのは米軍による家々の襲撃捜索のときで、彼の妻は隣室にいたと彼は言う。後になって、米軍はシャイフに、自分たちは間違った人物を殺したと告げた。

髭を蓄えたシャイフは、一方の手に娘婿の写真を、もう一方の手に小さな女の子二人の写真を掲げながら、「この男は先週末に殺されました。そしてここにいる二人の子どもは、二度と父親の顔を見ることはできないのです」と語った。

「今この時から、私たち全員が教訓を学ばなくてはなりません。すべての人々にとっての真実という教訓を。大統領により嘘をつかれる国民に、そしてその嘘を手助けするメディアに、真実を」とシャイフは続けた。

涙を拭くために少し時間を取ったあと、スアレスはグループに向けて語った。「私たちはここで悲しみの中で一つになっています」。「私たちの生活の一部を失った苦しみ〔・・・・・・〕私が何を言っても、皆さん一人一人の苦しみが変わるわけではありません。けれども、私たちが被った苦しみを他の人々が被ることのないようすることはできるという希望を持っています。今日お会いできたことに感謝します。皆さんは全員私の家族です」。

しばらくの間、部屋にいた誰も、話すことができなかった。最後にシャイフが言った。「心の底からの、その言葉に感謝します」。

「イラクに薬を提供するキャンペーンを続けたいと思っています」とフェルナンドはIPSに語る。「戦争が今日終わるわけではないので、これは大切です。毎日、犠牲者が増えています。イラクの子どもたちにはさらなる援助が必要なのです」。

スアレスと使節がもたらす総額60万ドルの医薬品と支援金は、少なくとも1万人のイラク人に救援を提供することになると推定されている。その多くは、国境地帯の難民キャンプにいる女性と子どもである。

スアレスには、自分とシャイフのような人々との間にある悲しみの絆が連帯と行動の基盤であることがわかる。

「イラクの家族が私の話を聞き、息子が死んだことに耳を傾けたとき、彼ら彼女らの心が開かれ、私はとても美しい歓迎を受けることができたのです」と彼は説明する。「イラク人家族は、米国人もまた涙することを、米国人もまた苦しみを感じることを目にしました。私たちもまた人間であるということをイラクの人々は知ったのです。どこから来たかに関わりなく」。


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仮に米軍が捜索の際処刑したのが標的としていた人物だったとしても、その行為は犯罪です。

訳している間、ブッシュ米大統領の顔と小泉日本国首相のにやにや顔とが頭に貼り付いて離れませんでした。


投稿者:益岡
2005-01-16 12:57:13

エルサルバドル・オプション

イラクに「死の部隊」を創生することがペンタゴンで真剣に議論されています。それをめぐる英語記事が色々出ていますが、ラフール・マハジャンの分析を紹介。

エルサルバドル・オプション
ラフール・マハジャン
2004年1月10日・11日
EmpireNotes原文

2004年1月10日

イラクで計画されているショー選挙----公式の非常事態宣言が発布されている中で行われようという選挙----が近づいている中、ニューズウィーク紙に、米国がイラクで目論んでいる「民主主義」の新たなビジョンをさらに詳述する記事が掲載された。

ペンタゴンで、「エルサルバドル・オプション」と呼ばれる政策をめぐって激しい議論が行われたという。殺人的な対ゲリラ作戦が実施されていた1980年代のエルサルバドル。ディック・チェイニーが副大統領候補ディベートの中で述べていたように、7万5000人がテロリストに殺されたエルサルバドル(チェイニーは、このテロリストたちが米国の支援を受けたテロリストだったことは省いた)が正しくも成功例と見なされている世界である。イラクにおける対ゲリラ戦略は明らかに失敗と見なされている----一方で反対勢力も成功とは言えないという事実があるにもかかわらず。

それゆえ、当然のこととして、なすべきことは失敗している戦略を蜂起し、既に試され効果がわかっているアプローチを採用することである。エルサルバドルでの成功の鍵は「死の部隊」だった。「死の部隊」は政府と公式の関係は持たないが、人員・訓練・資源・法的隠れ蓑を政府から与えられるグループである。死の部隊の構成員は自国のことをよく知り誰を狙えば最大の効果が上がるかわかっているエルサルバドル人だった。何よりも、死の部隊は全く不処罰のまま自由に活動ができ、作戦にあたって何一つ法的制約を考慮する必要がなかった。

現在検討されているオプションでは、一握りの米軍特殊部隊が現地の小さなグループを複数創生して訓練することになっている。そのグループは主としてクルド人あるいは占領を支持する政党に属するシーア派民兵からなる予定である。

このことはしばしば、あたかも外科的正確さをもって攻撃を行うよりよい力を持ち、攻撃前に誰がレジスタンスに属しているのか見つけだすに有利なグループを創り出すというだけのこととして議論されている----11月の攻撃前に米軍がファルージャで「ザルカウィの隠れ家」と呼んだところに加えた空襲が圧倒的に民間人を殺したことははっきりしている。この計画が米国のメディアで話題となるならば、この点が強調されることになるのは確実である。必要とあらば、専門家軍団が出てきて、実際こうした部隊は大規模な軍事作戦と空爆よりもはるかに人間的で効果的であると語るだろう。

真実は、拷問が情報を得るためのものでなかったのと同様、「死の部隊」は脅威と判断された特定の人を殺すためのものではないことである。拷問も死の部隊も、その真の存在目的は、蔓延する恐怖の雰囲気を創り出すことにある。

同じニュースウィークの記事は、イラク国家諜報サービス長官ムハンマド・アブダラー・アル=シャフワニ少将による、このアイディアの背後にある真の理由についての言葉を引用している:

ゲリラ(insurgents)は、「ほとんどがスンニ派地域におり、20万人[マハジャン原文のママ]近い人々はゲリラに共感的である」と彼は言う。彼によると、イラクの人々の大部分はゲリラを積極的に支援しないし物資や兵站の援助を提供しもしないが、同時にゲリラを売り渡すこともしない。

それからこの記事は、ゲリラを支援することについて恐怖を引き起こさせるような新たな攻撃作戦が必要であると示唆するペンタゴンの匿名情報筋の言葉を引用している:「スンニ派の奴らはテロリストを支援していながら何の代償も払っていない」と彼は言う。「奴らの見解では、それはタダなんだ。その方程式を変えなくてはならない」。

一つのレベルでは、既に実行されておりファルージャである程度の成功を収めた戦略をより明示的にするということである。住民は、レジスタンスを支持したことについてではなく積極的にレジスタンスに反対し占領軍を助けなかったことについて恐ろしい代償を支払わされたのである。このような代償をもたらすことは、占領地の民間人に軍事的役割をさせようとするいかなる行為をも禁じている戦争の法にあからさまに違反している。けれども我々は、ブッシュとゴンサレスが戦争の法についてどう考えているかわかっている。

もう一つのレベルでは、このことはもう一つの道徳的バリヤーを突破することを示している。占領を運営することの結果としてとしてだけでなく、意図的に確信を持って。ペンタゴンの人々は、米国による国家テロ運営をオープンに議論しているだけではない。議論の中心は、「死の部隊」をCIAの監督下におくか国防省の監督下におくかをめぐってなのである。

アルベルト・ゴンサレスの指名が迫る中でマーク・ダナーはニューヨーク・タイムズ紙の論説に「我々は皆拷問者だ」という記事を書いた。今回ペンタゴンが真剣に検討している計画は、我々皆を暗殺者・テロリストにするものである。


2004年1月11日

10日のコメントで、イラク国家諜報サービス長官ムハンマド・アブダラー・アル=シャフワニ少将に言及したとき、確認できなかったので述べなかった疑念が頭にあった。英国の読者のおかげで、それについて確認できた。

英ガーディアン紙に定期的に寄稿している反戦イラク亡命者サミ・ラマダニによると「シャフワニはバグダードのサダム諜報部の司令官の一人で、残虐さで名を馳せていた」人物である。

残念ながらこれは驚くべきことではない。しばらく前から、米国は、諜報提供およびより最近(とりわけ4月以来)は直接のあからさまな支持について、サダムの諜報部の残党に大きく頼ってきたのである。さらに多くの「旧体制分子」「バース党の残党」などなどどんな名前で呼んでもよいがこれらの輩が米国の占領に反対してではなく協力して活動する可能性は高い。

ラフール・マハジャンはダール・ジャマイル、ジョー・ワイルディングとともに2004年4月にファルージャ入りした『ファルージャ2004年4月』の著者の一人。

「スンニ派の奴らはテロリストを支援していながら何の代償も払っていない」、「奴らの見解では、それはタダなんだ。その方程式を変えなくてはならない」とのたまうペンタゴンの官僚は、率直に言って人間的な判断力を完全に失っています。

エルサルバドルやグアテマラで米国/米国が支持する政治体制のために「活躍」した「死の部隊」は米国「米州軍事学校」の訓練を受けた現地軍士官に陰に陽に訓練され援助されながら、誘拐と暗殺、拉致と電気ショックや手足切断、殴打や強姦といった行為から、妊婦の子宮を切り取って胎児を取り出し叩きつぶす、その光景を村人に見せるなどといった行為を行なってきました。


投稿者:益岡
2005-01-15 11:50:59

ファルージャで米国人は自己問答している

ファルージャについての米国の報道など、エレクトロニック・イラクの論説記事。

ファルージャで米国人は自己問答している
ナイジェル・パリー
エレクトロニック・イラク原文
2005年1月9日


米軍海兵隊リマ中隊兵士が破壊されたファルージャの町をパトロールしてイラク人の横を通っている(AFP/Hrvoje Polan)


2004年4月と11月は米軍による大規模なファルージャ攻撃で記憶されることになるが、ときたまニュースを見る人々ならば、2005年1月7日にさえ、米軍海兵隊がファルージャの反対勢力と戦闘を続け、米軍中央軍司令部(CENTCOM)言うところの「戦闘的標的」に空襲さえ加えていることを知って驚くだろう。

奇妙なことに、ファルージャで米軍が軍事行動を続けていることについては注目が限られている。CENTCOMのウェブサイト(www.centcom.mil)にもあまり多くの情報はない。

プレスリリースのいくつかの冒頭に「キャンプ・ファルージャ」の文言はあるものの、CENTCOMの最近の報告からは「ファルージャ」への言及がかけている。最近米軍ではやりの「ファルージャ」を表す専門用語は「アンバル州」である。アンバル州は、80万人の人口を擁する5万3476平方マイル(13万8501平方キロ)の大きな地域である。



イラク西部アル=アンバル地方の地図(UN)


現在、米国政府がファルージャにフォーカスが当たることを避けたがる理由がある。この数週間、ファルージャの戦闘を逃れた人々が期間を開始しており、家族のメンバーを失わなかった人でも、自分たちの以前の暮らしが完全に破壊されたことを知り始めている。夕暮れから夜明けまで厳しい外出禁止令を敷かれたファルージャには、基本施設だけを見ても、水道水も下水設備も電気もない。

BBCニュースとのインタビューで、ファルージャ総合病院の院長代理サレ・フセイン・イサウィ博士は、クリスマス・イヴにファルージャに入って知ったことを伝えている:

町の中に入った。住宅やビルの6割から7割が完全に破壊され損傷しており、現在住むことはできない。

今も倒壊していない残りの3割の中で、何らかの損害を受けていない建物は一つもないと思う。

自宅を見に行った同僚の一人は・・・自宅が完全に潰され中のあらゆるものが燃えていたことを発見した。

近隣の家々を訪れた彼は、親戚の一人が死んでおり犬が肉を食いちぎって持ち去った光景を見た。

私が思うに、これからこうしたことを沢山目にすることになるだろう。というのも、米軍は路上で死んだ人々の遺体は掃除したが、家の中の遺体は運び去っていないからである。

米軍の攻撃により瓦礫と化した町に戻った茫然自失のイラク人たちは、米軍の検問所における完全な指紋押捺と瞳孔スキャンというさらなる尊厳を傷つけることに直面する。

2005年1月8日のナイト・リッダー・ニュース・サービスは、イラクの上級現地司令官トマス・メッツ中将がこれまでにファルージャに戻った住人は4万人----30万人の人口のうち2割以下----だと語ったことを報じている。イラク暫定政権は帰還者数を6万人としている。

1月7日ネーション誌のトム・ディスパッチで、独立ジャーナリストのダール・ジャマイルは帰還する難民たちを待ち受けている破壊について、次のように述べている:

[ファルージャの]4分の3は爆撃や砲撃により瓦礫と化した。町の廃墟の中で戦闘が続き、その間住民の大多数は自宅(その多くはもはや存在していない)への帰還を許されていない。先月先々月にファルージャで犯された残虐行為は、多くの点で2004年4月に米軍海兵隊が町を取り囲んで失敗したときと似通っているが、それよりも遙かに大きな規模であった。さらに、今回、町の内部の家族からの報告や写真証拠は、米軍が化学兵器と燐兵器、そしてクラスター爆弾を使っていることを示している。2004年の最終週に帰還を許されたわずかな住人は、町の中の食べ物を食べないよう、また水を飲まないよう指示する軍作成のリーフレットを手渡された。

これから数週間そして数カ月のうちに、我々はファルージャで何が行われたかについてより多くのことを知ることになるだろう。国際人権団体が現地を訪れ報告を書くための調査をするだろうが、出版される報告はほとんどメディアの関心を集めないだろう。一方、海兵隊中佐スコット・バラードはニューヨーク・タイムズ紙のエリック・エックホルムに次のように言っている:

内部の主要水道管は数週間のうちに修理されるだろう。けれども、各戸への配管は一つ一つ修復しなくてはならない。今のところ、住民は、15箇所にある貯水所に容器を持っていって持ち帰るものを持ち帰らなくてはならない。電力には数カ月かかるだろう。

30万人都市のインフラを、60%から75%を壊滅させ基本施設の復旧に数カ月を要するまでに破壊することが、どう考えれば、その住民に平和と安全の気持をもたらすことができるというのだろうか?

ファルージャで起きたことは、ブッシュ政権の「対テロ戦争」戦略が自滅的愚行であることの強力な例である。この「戦争」では、外国の占領に対するレジスタンス行為と民間人に対するテロ行為との国際的な合法性の区別をつけていない。

ブッシュ政権は最も明白な事実を全くわかっていない。すなわち、真の平和は人々が生存の基本が満たされ、家や施設、安全の感覚を持てるところにしかないということを。ファルージャでは、平和は何世代分も押し戻されてしまった。

「アメリカ」は、これを簡単に修復し、町全体の破壊と生活の破壊が人々の心にこれから何年も苦い棘を残したことをを忘れている。ロサンゼルス・タイムズ紙のトム・ペリーに語った現地の海兵隊員たちは、「ファルージャを制圧していた反対勢力を取り除くために破壊が必要だったということを住民が受け入れることについては自信を持っている」。

ファルージャの30万人の住民がそのような見方をするのか、それともイラク人レジスタンスへの支持が増大するというもっとありそうな結果が米国がファルージャで見せた行為から得られるものなのかについては、考え込まざるを得ない。ファルージャ住人は、再建の中で文字通り何年もこのことを考えるだろう。一方我々は、これを数カ月で忘れるだろう。それこそまさに9/11[2001年9月11日の米国内のいくつかの建物に航空機が突入した事件のこと]を可能にした無知の雰囲気と同じである。3000人もの人々が死んだが、いまだに何も考えない人間が裸の王様を先導している。

希望の灯りもある。2004年9月、米国の購入・技術・兵站担当国防次官補事務所がThe Report of the Defense Science Board Task Force on Strategic Communicationという報告書を発表した。この報告書は、著者----米国政府の職員----が、報告の中で「対テロ戦争」のダイナミクスにおける原因と結果について明らかなことを理解し明白な方向を強調している点で異例である。

同報告の2.3節は次のようにある:

何が問題か? 我々は誰を相手にしているのか?

情報作戦----あるいは一部の人が今も使う言葉では「思想戦」あるいは「心を勝ち得る」ための闘い----はあらゆる戦争で重要である。この戦争ではそれが必須の目標である。というのも、米国戦略のより大きな目標は、非暴力的な大多数のムスリムと急進的で戦闘的なイスラミスト=ジハディストとを分離することにあるからである。けれども米国の試みはその点で失敗しただけでない。意図したと反対のことを達成してしまったかも知れない。

ムスリム世界に対する米国の直接介入は逆説的にも急進的イスラミストの名声を増しそれへの支援を増大させた一方、アラブ社会によっては米国支持率を一桁にまで下げることとなった。

・ムスリムは「我々の自由を嫌悪している」のではなく、我々の政策を嫌悪している。大多数の人々は、我々がイスラエルを一方的に支持してパレスチナ人の権利に反対していることに反対しており、また、ムスリムが皆独裁者と見ているエジプトやサウジアラビア、ヨルダン、パキスタンや湾岸諸国へのこれまでのそして増大しつつある支持に反対している。

・従って、米国の公共外交がイスラム社会に民主主義をもたらすといった話をするとき、自己正当化の偽善以上のものとはみなされない。さらに「自由こそ中東の未来」というときそれは権威主義的口出しと見なされ、アラブ人はまるで古い共産主義世界の奴隷化された人々のようであることを示唆している----けれどもムスリムはそう感じてはいない。抑圧されてはいるが奴隷化されてはいない。

・さらに、ムスリムの人々の目に、米国のアフガニスタン占領とイラク占領は民主主義をもたらすかわりに混沌と苦しみをもたらしたと写る。米国の行為は、反対に隠された動因によるもので、ムスリムの自決を犠牲にして米国の利益に仕えるべく計算高く調整されていると写る。

・それゆえ、9/11[1973年チリで米国支援のクーデターが民主的に選ばれたアジェンデ政権を崩壊させた事件を指しているわけではないようです]以来の劇的なナラティブは、急進的イスラム全体を支えることとなった。米国の行為と出来事の流れによって、ジハードのゲリラ勢力の権威は上昇し、ムスリムの中でその正当性が認められる傾向がある。戦闘に参加するグループは自分たちが、侵略され攻撃を受けているウンマー(ムスリム社会全体)の真の防衛者であると見せて、幅広い人々の支持を得る。

・取るに足らないネットワークだったものが今やウンマー全体に広がる戦闘グループの運動となった。「テロリスト」集団が増殖しただけでなく、共通の大義という団結を促す文脈の中でイスラムを分けていた多くの文化的・セクト的協会を越えて相互関係の気持が創り出されている。

・最後に、ムスリムは米国人を奇妙にナルシスティックだと見なしている----すなわち、戦争はすべて自分たちアメリカ人に関するものと。ムスリムが見るように、この戦争についてのすべては----アメリカ人にとって----実際、国内政策とその偉大なゲームの延長以外ではない。この認識はむろん大統領選の雰囲気の中で必然的に高められたが、それにしてもアメリカ人がムスリムに語りかけるとき、実際には自分自身に話しているというムスリムの印象はそのままである。

悲しいことに、ホワイトハウスと国防省がこの報告を読んだかどうかはわからないが、これが出版されてから3カ月の間に、イラクにおける米国の政策にも、パレスチナでの政策にも、変化は見受けられない。国際関係と外交政策の領域で、アメリカは自分が一番気持ちよくできることをし続けている----自分にだけ語りかけるということを。不可避的な対応として恐ろしい答えが返ってくる前に、誤りに気付けばよいのだが。

関連リンク:
絵で見るファルージャ

文中、「ブッシュ政権は最も明白な事実を全くわかっていない。すなわち、真の平和は人々が生存の基本が満たされ、家や施設、安全の感覚を持てるところにしかないということを」とありますが、これは、そもそもブッシュ政権が少しでもそんなことを考慮しているという誤った前提に立っている論のように思えます。

そんなことはどうでもよいから、好きなように殺したいだけ殺し、破壊したいだけ破壊する。金儲けと石油支配のために。世界最強の武器を持つテロリストがやっているのは、単にそういうこと。

また、国防省報告書の「さらに、ムスリムの人々の目に、米国のアフガニスタン占領とイラク占領は民主主義をもたらすかわりに混沌と苦しみをもたらしたと写る。米国の行為は、反対に隠された動因によるもので、ムスリムの自決を犠牲にして米国の利益に仕えるべく計算高く調整されていると写る」という文言も、異様さを示しています。

米国のアフガニスタン占領とイラク占領は、冷静に分析する人にとっては誰の目にも、混沌と苦しみをもたらしたと写るでしょうし、米国の行為は自国(正確には自国を拠点とする企業ギャングたち)の利益に仕えるべく計算されていると写るでしょう。

こうした倒錯は、しばしば日本のメディアでも目にします。アブグレイブでの女性に対する強姦や拷問が明らかになったとき、ある新聞は、「イスラム社会では重大」といった報道をしました。強姦や拷問は、人間にとって重大ではないのでしょうか?

「9/11」を米国のいくつかの建物に飛行機が突っ込んだ事件を指すために特権的に用いるというのも、自分にだけ話していることの一環のように思えます。

普段は使わないのですが「アメリカ」と言う言葉をアメリカ合州国を指すために使ってみました。

投稿者:益岡
2005-01-13 00:30:06

英Channel Four & the Guardianのspecial report

*補足しました* 英国の新聞「ガーディアン」のフィルム部門が製作したスペシャル・レポートが,英国の民放「チャンネル4」で放映されました。11月の総攻撃後初めて,フリーの立場で(エンベッドでない)レポートがされたようです。オンラインで視聴できます。

Fallujah: The Real Fall
http://www.channel4.com/news/2005/01/week_2/11_iraq.html
このウェブページ↑の左側の列に,VIDEOというセクションがあって,黄色いアイコンがあります。その隣のFallujah: The Real Fallという文字列をクリックしてください。(要RealPlayer)

Channel Fourから見ようとすると,UK国外からのアクセスがはじかれてしまいます。(いろいろやってみたけどダメでした。)

代替案として,http://www.journeyman.tv/download.php?id=10477から見られます。
↑ここは,ガーディアンのサイトにあった記事からのリンクで見つけました。

*以下補足分(1月13日朝)*
www.channel4.comの記事(スクリプト)を日本語にしました。→写真入りなので,いけだの個人サイトにあります

後で,覚えていたら,文章だけこっちにコピペしにきます。


投稿者:いけだ
2005-01-12 23:22:24

米軍家族が援助を持ってきた

2004年12月25日、米軍家族がファルージャ難民を支援という短い記事を本ブログで紹介しました。ダール・ジャマイルによる関連記事です。

米軍家族が援助を持ってきた
ダール・ジャマイル
2005年1月7日
原文

アンマン発1月7日(IPS)----イラクで殺された一部の米軍兵士の家族は、侵略2周年の日に大きな抗議行動を計画している。「軍人家族は声を挙げる」というグループで、3月19日米国ノースカロライナ州フェイエットヴィルでデモを行う予定である。

現在までに、1340人の米軍兵士がイラクで殺された。

「全世界が我々はこの戦争と不法で不正なイラク占領を拒否すると言っているというはっきりとしたメッセージを送るために、私たちは、世界中の平和運動に関わる同胞たちと協力します」と言うのは、最近アンマンを訪問した同グループ使節の一人である。

この使節はイラクで命を落とした米軍兵士3家族のメンバーからなっている。彼らは、一員を失ったさらに多くの家族から支持を得ていると語る。

このグループは、アンマンの国連事務所前で大晦日にろうそくをともして平和ビジルを行なった。1月1日、別の平和ビジルを行うために同使節はイラク国境を訪れた。

カリフォルニア州エスコンディトのロサ・スアレスは、「私にとってこの使節は、イラクの人々に共感と支持を表明する方法なのです」と語る。息子のヘススは2003年3月27日、イラクで死んだ。「イラク戦争は私の息子の命を奪いました。そしてイラク戦争はあまりにたくさんの罪のないイラク人の命を奪いました」と彼女はIPS通信に語った。「殺害をとめ、イラクの子どもたちを助けるときが来ているのです」。

ロサと夫のフェルナンド・スアレスは、イラクの子どもたちに向けられた医薬品をスーツケース3個分持ってきた。「イラクに薬を提供するキャンペーンを続けたいと思っています」とフェルナンドはIPSに語る。「戦争が今日終わるわけではないので、これは大切です。イラクの子どもたちにはさらなる援助が必要なのです」。

この使節は米国に本部を置く組織「グローバル・エクスチェンジ」と「コード・ピンク」の支援を受けている。9月11日の攻撃で親族を失った人々からなるグループ「平和な明日を求める家族」のメンバーも使節団に参加した。「私たちは人間の家族の一員なのです」とグローバル・エクスチェンジの創設者でコード・ピンクの共同創始者でもあるメディア・ベンジャミンは言う。「殺人をとめるときが来ています」。

ヨルダンへの使節は、イラクの人々に向けた60万ドルの支援を集めた。支援金と医薬品は、大部分が、インターネット上のアピールを通して集められた。グループはイラク人ボランティアに資金の寄付と支援物資の提供を頼んでいる。「米国大統領選の数週間後に行われた世論調査では、米国人の大多数がイラク占領に反対しています」とベンジャミンは言う。「ですから私たちは米国人の多数派を代表しているのです」。

子どもたちのための医薬品とおもちゃの山の向こうから、彼女は「私たちはイラクに医薬品を提供するためにここにいます。そしてその大部分は既に送られました」と語った。

使節に合流したバグダードの薬剤師インティサール博士は、IPSに対し、「占領はイラクの人々を助けるのではなく傷つけています」と語る。治安状況のため、イラク保健省は人々を助けることができていないとも彼女は語った。

「米国人家族の使節を含め、イラク人に援助を提供するすべての国際組織に感謝します」と彼女は続けた。「これらの家族は私たちと全く同じ苦しみを味わっています。アメリカ人であろうがイラク人であろうが、これ以上血が流れることは止めたいのです」。

ラナとだけ名前を述べたイラク人女性は、コード・ピンクの人道活動家として支援を提供することができたと語る。「輪脚はバグダードにいるコード・ピンクの友人の一人から寄付を受け取りました」と彼女は言う。また、米軍兵士が彼女を手伝ったとも。「ここにいる家族の息子たちのような、一部の善良な米兵が私を助けてファルージャに入れてくれました」と彼女は語る。「私は毛布と暖房、食料をファルージャの家族に運びました」。


投稿者:益岡
2005-01-10 21:27:29

2004年に戦争で儲けた企業トップ10

2004年に戦争で儲けた企業トップ10という記事を紹介します。核時代の平和財団のウェブサイトより。

2004年に戦争で儲けた企業トップ10
2004年12月31日
WagingPeace原文

AEGIS社:6月、イラクにあるペンタゴンのプログラム統括局は、数千人の私企業契約者の治安作戦を調整する2億9300万ドルの契約をAegis社に発注した。Aegis社は英国の企業で、その創設者は不法な武器取引で調査の対象となっている人物である。Aegis社の社主ティム・スパイサーが以前所有していたサンドライン社に対する英国議会の調査では、国連の武器禁輸に違反して1998年サンドライン社がシエラレオネに銃を輸出したことが明らかにされている。サンドライン社は、英国政府から承認を得たと主張しているが、議会の調査で英国閣僚たちはシロであることがわかった。スパイサーは2000年にサンドライン社を辞任し、2002年にAegis社を起こした。

ベアリング・ポイント社:もともとはKPMG社のコンサルティング部門だったベアリング・ポイント社が、2003年にイラクの「競争的私企業部門」を発展させるために2億4000万ドルの契約を得たことについて、批判者たちはアイロニカルであると考えている。というのも、ベアリング・ポイント社自身がこの契約の企画をたてる段階で参加していたからである。米国国際開発局(USAID)の調査官ブルース・クランドルマイアによる3月22日の報告によれば、「イラクの経済改革プログラム開発にベアリング・ポイント社が深く関わっていることにより、競争入札プロセスで不正に有利な立場にあっていたと見えることになった」。

ベアリング・ポイント社はUSAIDが仕事の仕様を核に当たって5カ月の間それを補佐し、さらに契約が成立する前から職員をイラクに派遣して仕事を始めていた。一方で他の入札企業は仕様の最終改訂後、それを読んで入札するまでに1週間しか無かった。ワシントンDCにある「納税者の常識」の副代表キース・アッシュダウンは、「仕様を書いた企業に契約が与えられるべきでは決してない」と述べている。

ベクテル社:学校や病院・橋・空港・上下水処理施設・発電所・鉄道・潅漑・送電などなど。文字通りイラクのインフラのほとんどについて修復をベクテル社は請け負っている。この仕事は戦争後イラクの人々の心をつかむにあたって決定的に重要な仕事である。このために同社は少なくとも100の職種に90以上の下請けをイラク人から雇用した。そうした下請けのほとんどは単調なメンテナンスと修復作業であり、イラクインフラに関して深い知識を必要とする難しい仕事についてはベクテル社はイラク人エンジニアやマネージャを無視した。

すべての責任がベクテル社にあるというわけではないが、同社はもともとの契約で定められた期限をほとんど全く遵守していない。6月のGAO(米国会計検査院)報告によると「イラクの送電サービスは全体としてみると2003年5月の戦争直後に対して見るべき改善を達成しておらず、いくつかの地域では悪化している」。

BKSH&アソシエーツ:会長のチャーリー・ブラックはブッシュ家の旧友で、世界的な巨大PR企業バーソン・マーステラーの関連会社を所有する有名な共和党ロビーである。ブラックは2000年のブッシュ/チェイニー・キャンペーンの中心人物で、妻とともに2004年の再選キャンペーンでは10万ドルの資金を集めた。

BKSHのクライアントのうちイラクで契約を得ている会社としては、フルーア・インターナショナル(この会社の元会長フィリップ・キャロルは戦争の後イラク石油省の長に選ばれた。また、役員には、戦争前にサダムとアルカーイダの関係を信じ込ませるためにポール・ウォルフォウィッツにより欧州諸国に派遣された、元CIA長官ジェームズ・ウールセイの妻もいる)。フルーア社は16億ドル相当の共同契約を得ている。

同社のクライアントには、また、カミンズ・エンジン社がある。イラクのインフラが破壊されたおかげで、ありがたいことに発電機を売りつけることができた会社である。

しかしながらBKSH社のクライアントで最大のものはイラク国民会議(INC)である。その指導者アフメド・チャラビは、恩寵を失うまで、ペンタゴンにいる一部のネオコンから「イラクのジョージ・ワシントン」と呼ばれていた。BKSHのK・リヴァル・レヴィンソンは、1999年、INCの米国におけるPRを統括するために雇われた。つまり、米国納税者が雇ったということである。2003年7月まで、同社は、INCを支援するために米国国務省から月2万5000ドルの支払いを受けていたのである。

CACI社・TITAN社:軍事警察のメンバーはアブグレイブ収容所の被拘留者に対する恐ろしい取り扱い[訳注:拷問]に関して一定の処罰を受けたが、私企業の契約要員は告発を免れている。アントニオ・タグバ少将は軍の内部報告の中で、2名のCACI社職員が収容所における虐待に「直接あるいは間接に関与している」と述べている。その中には被拘留者を脅迫するために犬を使うことおよび強制的な性的虐待[訳注:強姦あるいは状況によっては国際法上、性奴隷化に相当する可能性もある]および他の暴力的脅しが含まれている。別の軍内部報告は、イラクで軍と契約して活動しているCACI社の27人の尋問官の一人であるステファン・ステファノウィッツは、イラク人被拘留者に対する尋問の際兵士に出した「指示が」「身体的虐待に相当することを」「はっきりと知っていた」としている。

「イラクにおけるTITAN社の役割は米軍のために翻訳者・通訳を提供することである」と最高責任者ジーン・レイは述べ、ニュース報道が自社の職員が拷問に参加していたと示唆したことは誤りであると仄めかした。「同社の契約で提供するのは言語学者であり尋問者ではない」と。しかしながら、共通役務庁(GSA)の職務停止・禁止担当官ジョセフ・ノイラーターによると、CACI社がアブグレイブでの自社に対する契約をデザインしたことは「問題であり続けまた利害対立の可能性がある」としている。

それにもかかわらず、GSAをはじめ独自に調査をしている機構は、いまだに同社を新規契約から除外する理由を見つけだしていない。その結果、2004年8月、軍はCACI社に対して1500万ドル相当の追加非競争契約を与えた。内容は、イラクで諜報収集のために尋問サービスを提供するものである。さらに9月、軍は追加翻訳者提供のために4億ドル相当の契約をTITAN社に与えた。

カスター・バトルズ社:2004年9月末、国防省はカスター・バトルズ社(社名は2名の創設者マイケル・バトルズとスコット・カスターから来ている)および関係する13人の個人と関連企業をあらゆる連邦政府契約から除外することとした。同社がレバノンとケイマン諸島に設置した幽霊会社を使ってイカサマ入札を行なったからである。公認会計士が会議後に残された同社の計算表情報を入手し、その情報は、同社が通貨換算契約に関する費用を162%水増ししていたことを示していたのである。

ハリバートン社:12月ワックスマン議員(民主党・カリフォルニア州)は、合計108億ドルにのぼる契約に関しての「ハリバートン社の履行について疑念がますます大きくなっている」と発表し、その後、過剰請求とリベートについて複数の刑事捜査が行われることとなった。9件の異なる報告で、政府の会計検査官は、「ハリバートンのイラクにおける仕事の、費用見積もりや入札方式から費用統制と下請け契約管理までに至るほとんどすべての側面について広範かつ体系的な問題」があることを発見した。ハリバートン社の元職員6人が、会計検査院の指摘を確認した。

もう一つのハリバートン問題は選挙直前に起こった。軍の工兵隊が競争入札規則に従うことについての責任を負う契約担当のトップ士官が、占領前の初期契約において不適切にハリバートン社をひいきしたとして、ペンタゴンのトップたちを非難した。ブナティン・グリーンハウスは、ペンタゴンがハリバートン社に70億ドル相当の石油関係5年契約をハリバートン社に与えた際、ブナティンは反対を撤回するよう圧力を受けたと述べたのである。彼女は、そんな経験ははじめてであると述べた。

ロッキード・マーチン社:ロッキード・マーチン社は戦争受益者の王の地位にあり、2003年だけでペンタゴンと219億ドルの契約を交わしている。衛星と飛行機、ミサイル、ITシステムを生産する同社は、再建以外のあらゆる段階で戦争から利益を得ている。2000年以来、同社の株価は3倍以上となり60ドルを超えた。

ロッキード社は、ドナルド・ラムズフェルドの世界戦争システム(世界情報グリッドと呼ばれる)を手助けしている。これは同社が戦争の性質を変えることになると約束した新型の統合的先端技術システムである。実際、宇宙システム、航空機、情報・技術といった多岐にわたる領域で洗練された巨大国防[ママ]コングロマリットは、今後数十年にわたって新兵器システム開発で主導的役割を果たすことになる。その中には、高機密性軍インターネット、宇宙ミサイル防衛システム、F-22(現在製造中)や共同攻撃戦闘機F-35といった次世代戦闘機が含まれる。

武器調達担当元国防次官補E・C・オールドリッジ二世は、2001年にF-35製造の最終承認を与えた。これはロッキード社にとって2000億ドル相当である。オールドリッジはそれからすぐにペンタゴンを辞任してロッキード社の理事となったが、その後も公と私の双方を股に掛け、ドナルド・ラムズフェルドは彼を武器システムを検討するブルー・リボン・パネルの委員に任命した。

ロッキード社の元ロビイストや職員の中には、現海軍長官ゴードン・イングランド、運輸長官ノーム・ミネタ(ロッキード社元副社長)、次期ブッシュ政権でコンドリーザ・ライスの後継にブッシュが提案したスティーブン・J・ハドリーがいる。

ロッキード社の重役たちはあたりまえにペンタゴンの様々な諮問委員に名を連ねているが、そればかりでなく、ロッキード社は様々なネオコン・ネットワークを含む治安関係シンクタンクに名を連ねている。例えばロッキード社のブルース・ジャクソン副社長(2000年に共和党外交政策プラットフォームの草案執筆を助けた)は「新アメリカの世紀プロジェクト」として知られるネオコンの政策立案要塞で中心的役割を果たしている


ローラル・サテライト社:戦争へ向かっている中、ペンタゴンは自らの衛星システムを強化するために、様々な商用衛星へのアクセス権を買い取った。米軍は多くのミサイルを誘導し大量のデータを飛行機に送り(これには地球の逆側にいるパイロットの遠隔操作で無人航空機プレデターを操縦することも含まれる)、地上のミサイルと兵士を誘導するために、さらなる宇宙ベースの容量を必要とした。

産業専門家は、「対テロ戦争」により衛星企業数社が文字通り破産から救われたと語る。ペンタゴンは3つの軌道衛星部隊を補足するために「入手可能な衛星をすべて買いあさっている」と衛星産業協会会長リチャード・ダルベロはワシントン・ポスト紙に語った。衛星産業の別の顧客----衛星時間を獲得しようとしている放送ネットワーク----は残された帯域を奪い合っている。

ローラル・スペース&コミュニケーションズ社の代表バーナード・L・シュワルツはブッシュ政権の海外政策関係のネオコンのタカ派と緊密な関係にあり、民主指導者委員会のニュースレターである「ブループリント」の創設者でもある。

結局、イラク戦争から得られる利益は産業界にとって期待したほど大きなものではなく、商業市場の急激な縮小を補うに十分ではなかったことは確かである。けれども、さらなる支援が行われつつある。2004年11月、ペンタゴンは、軍用の新たな世界規模インターネットの創設を予定しており、そのためには20年と数千億ドルを要すると発表したのである。当然のことながら、その統合的世界武器システムの中で衛星は中枢を占める。

QUALCOMM社:2004年、CPA職員2名が辞任した。この2名は、自分たちが技術安全担当国防次官補ジョン・ショーからイラク警察の無線契約をQualcommが特許を有するセルラー技術に変えるよう圧力を掛けたと主張している。批判者たちは、ショーの圧力は、イラク全土にこの技術を標準としてねじ込むことを意図したものだと述べている。イラクの携帯電話史上は同社にとって年間数億ドルの潜在力を持ち、地域に標準を確立できればさらに大規模なものとなる。ショーが契約担当官の決断を覆そうとしたことにより緊急無線連絡体制は遅れ、イラク警察官と消防官、救急車運転手、国境警備隊が共通の通信システムを手にすることが数カ月遅れた。

ショーは、Qualcommの技術をねじ込むことを促したのは共和党のダレル・E・イッサ下院議員であると述べた。イッサの選挙区サンディエゴ郡にはQualcomm社の本社がある。2003年から2004年にQualcomm社の職員から選挙費用5000ドルを受け取っているイッサは、下院小規模ビジネス委員会の委員を務めており、以前にもQualcomm社のCDMA技術を軍が使うことを必要とする法律を提案することで同社を助けようとしていた。

「何十万という雇用が、CDMAのような米国が開発した無線技術の成功にかかっている」とイッサはドナルド・ラムズフェルドに宛てた手紙で主張している。けれどもペンタゴンはこの議論を鵜呑みにしていないようである。国防省の監察官はFBIにショーの行動を調査するよう依頼した。

まさに「死の商人」たち。戦争で儲けているこれら個別企業の背後には、契約の不正云々の以前に、他の人々が暮らす主権国家を不法に侵略し占領した者たちが身勝手に、略奪を行なう諸プロセスを「契約」というかたちで手に入れるという異様な枠組みの存在があります。

さかのぼれば、侵略と占領そのものの犯罪性に行きつくことになります。

投稿者:益岡
2005-01-10 14:00:32

米軍、モスル近くを空襲し民間人を殺害

イラク北部の村の住人は土曜日(8日)、夜間の空襲で14人の民間人が殺されたと語った。米軍はこれを誤爆と認めた。

米軍、モスル近くを空襲し民間人を殺害
2005年1月9日(日)
アルジャジーラ原文

米軍は、500ポンドのレーザー誘導爆弾を民家に落とした。近くにある戦士たちの隠れ家と間違えたという。米軍は5人が殺されたと発表した。

サラフディン県の米=イラク共同治安センターの職員は犠牲者の数を13人とのべている。その中には4人の女性と3人の子どもが含まれている。彼は、死者は皆一つの家族の成員だとも語った。


ロイター通信の写真は、イラク北部の町モスルの南東にあるアーイサ村の爆撃を受けた家が瓦礫と化している様子を示している。

同通信社の写真にはまた、犠牲者が埋葬された新しい一連の墓を示したものもある。

毎日のようにイラクでは米軍やイラク「暫定政府」関係者、「治安部隊」を対象とした爆発事件が起き、また米軍による占領下での人権侵害も続いています。「選挙」の治安が整っていないという声がブッシュ政権からもあがってきました。

論理的に言って、不法占領者のお抱えが「暫定政府」と称して支配を行なっている中で、選挙の準備が整うことなど、ありえませんが、治安状況もますます(と言う言葉は変かも知れませんが)不透明になってきています。

この記事を紹介するのは、米軍の発表に(改めて)驚いたからということもあります。米軍は相変わらず「近くにある戦士たちの隠れ家と間違えた」と言っていますが、その確認は何一つありません。また、不法占領に対する抵抗権は国際的にも認められるところです。

「戦士たちの隠れ家」であれば不法占領者が爆撃してよいという前提を暗に刷り込むようなこうした表現は、これまでも何度も繰り返されてきたものですが、「我々が相手をテロリストと決めつければ相手はテロリストであり爆殺してよい」ということが前提に言葉が発せられるのは、やはり異様な状況です。

投稿者:益岡
2005-01-09 22:14:48

考えられないようなことがノーマルなことになっている(ジョン・ピルジャー)

かなり前のものですが,2004年11月のジョン・ピルジャーの記事を。ファルージャ,「死者数10万」のランセット・レポートおよびそれに対するメディアの沈黙,さらに“イラク初の民主的選挙”について,また米大統領選や9.11調査報告書についての記述です。

なお,改段落が原文のままだとちょっと読みづらいので改変してあります。また,独自に小見出しをつけました。それから,元の文章の部分部分は既に他所様で日本語化されていたりするのですが,筆者(ピルジャー)が省略を行なっていたりしているため,既に日本語になっているものから引用すると読みづらくなってしまうので,この稿では独自に訳しています。

ファルージャ,そして米大統領選と9.11――考えられないことをノーマルなことにするという事態より
from Fallujah, The Us Elections And 9/11: A Matter Of Normalising The Unthinkable
John Pilger
November 12, 2004
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=6632
またはhttp://pilger.carlton.com/print/133391

■「ノーマルなことにする」
エドワード・S・ハーマンの画期的な論文,「悪は特別なものではないこと(The Banality of Evil)*1」が,これほどまでに適切に思えたことは,今までにない。

ハーマンは「組織化され体系立てられた方法で恐ろしいことを行なうことは,『ノーマルなことにするということ(normalization)』の上に成り立っている」と書いている。「考えられないことを行い,それを合理化するには,分業が存在しているのが通例である。すなわち,一方において個人の集まりによって為される直接の残忍な行為と殺害があり……他方において,技術革新(より優れた燃焼性ガスや,燃焼時間がより長く粘着力がより高いナパーム,体内にどう入り込んでいるのかがわかりづらい爆弾片といったものの開発)に携わる人々がいる。世間一般の大衆に対し,考えられないことをノーマルなこととするのは,専門家と主流メディアの役割である。」

2004年11月6日の(英BBC)ラジオ4の番組「トゥデイ(Today)*2」において,これから始まるファルージャへの攻撃について,BBCのバグダード特派員は,米国人にとって「危険である(dangerous)」とか「極めて危険である(very dangerous)」と述べていた。だがファルージャの一般市民について尋ねられると,このBBC特派員は,米海兵隊は「スピーカーを持って巡回し」住民には脱出するよう告げている,と,だから安心ですとでも言う調子で述べていた。

この特派員は,爆弾を投下される場所の人々にとってそれが何を意味するのかについては一切示すことなく,ファルージャの「最も激しい爆撃」のことを,なおという接続詞を使い,つけたしとして述べたのである。

■主流メディアがファルージャを語る言葉
被告人席にいるのは,英雄的にもサダム・フセインにノーと言った都市で抵抗しているイラク人である。彼らは「ファルージャに立てこもっている反乱勢力」に過ぎない。それはあたかも,彼らが外部からの異物(an alien body),「一掃(flush out)」(ガーディアンがこの表現を用いている)されるべき下等生命体であるかのようだ。あるいは「ねずみ捕り」に適した獲物であると言わんばかりだ――「ねずみ捕り」というのは,上記特派員とは別のBBC記者が英軍ブラック・ウォッチ・レジメントの用語であると伝えていたものである。

英軍のある上級将校によると,米国人はイラク人のことを「人間以下のもの(untermenschen)」として見ている*3。「人間以下のもの」というのは,ヒトラーが『我が闘争』の中で,ユダヤ人やロマやスラヴ人を「人間以下(sub-humans)」であると述べるのに用いた用語である。このような合理化を行なって,ナチス・ドイツ軍はロシアの都市を包囲攻撃し,戦闘員も非戦闘員も同じように殺戮したのである。

■ファルージャについて主流メディアが繰り返す言葉
ファルージャ攻撃のような植民地主義的犯罪をノーマルなこととするのは,このような人種差別がなければできないことだ。そしてそれは,私たちの想像力を「私たち以外」へとつなげていく。「反乱勢力」は人々を斬首するような残虐な外国人らに率いられている,という報道が続々と流された。一例として,アブ・ムサブ・アル=ザルカウィ,ヨルダン人で,アルカーイダのイラクにおける「実行部隊幹部(top operative)」と言われている人物。米国人はこう言うのだ――英国のブレア首相もつい最近国会で同じことを述べたばかりだ。ブレアの嘘の最新作。

ザルカウィに率いられた云々というフレーズが,カメラに向かって,すなわち私たちに向かって,オウムのように繰り返された回数を数えてみていただきたい。そして,イラクにいる外国人といえば圧倒的にアメリカ人なのに,そして彼らは忌み嫌われているのに,外国人が云々という言説に,一切のアイロニーはないのである。

【翻訳者補記:この位置に1文か2文くらい抜けているのかもしれません。指示語の指示対象が不明な部分がありますので,その不明な指示語は原文のままにしておきます。】

These indicationsは,一見したところ信用できる調査組織から出ているようだが,そのひとつによると,レジスタンスによる毎月2700件の攻撃のうち,あのザルカウィの犯行とはっきり断定できるのは6件だけだ。

■ファルージャについて主流メディアが言及しないこと
10月14日に国連のコフィ・アナン事務総長に送られた手紙*4で,ファルージャの行政を行なっているファルージャ・イスラム評議会は次のように書いている。

「ファルージャで,[アメリカ人は]新たにはっきりとしない標的を作り出しました。アル=ザルカウィです。彼らがこの新しい口実を考え出してからほぼ1年になります。彼らが家屋やモスク,レストランを破壊し,子どもや女性を殺すたびに,彼らは『アル=ザルカウィに対する作戦を成功裏に行なった』と言います。この人物は,たとえ実在しているとしても,ファルージャにはいません。ファルージャ住民はそれを絶対に事実であると言い切ることができます。……そして私たちは,あのような非人間的行為を支持する集団とは,一切の関係はありません。あなたがたにお願いします。アメリカと傀儡政権がまもなくファルージャで,そしてこの国の各地で開始しようとしている新たな虐殺を回避するよう,国連に訴えてください。」

英国でも米国でも,主流メディアではこの手紙の1語たりとも報じられなかった。

■不可解な“沈黙”
4月,劇作家のローナン・ベネットは,「彼らのあの不可解な沈黙を破らせるには,どのくらいのショックが必要なのか」と問うた。米海兵隊が4人の米国人傭兵殺害への集団報復としてファルージャで600人以上を殺した際のことだ。この数値は否定されることはなかった。そのときも,今と同じく,米軍はAC-130攻撃ヘリやF-16戦闘機や500ポンド爆弾といった猛烈な火器を,貧しい街に対して用いていた。彼らは子どもたちを灰になるまで焼いた。狙撃兵は,相手が誰であれ,殺したことで鼻高々となっていた。サラエヴォでも狙撃兵はそうだった。

ベネットは,一部の誇るべき例外を除いて沈黙している労働党の多くの国会議員たちや,ロボトマイズされた閣外大臣(junior ministers*5)のことを指してそう言っていたのだが(Chris Mullinのことをご記憶だろうか),ジャーナリストたちも同列に加えることができたかもしれない。「我々の」側を守ることだけに腐心し,明白なインモラルさと犯罪性について何のそぶりも見せることなく考えられないことをノーマルにしているジャーナリストたちも。

もちろん,「我々が」行なっていることによってショックを与えられるということは危険である。というのは,そもそも「我々は」なぜそこにいるのかについて,また,「我々が」イラクだけでなく世界の多くの場所にもたらしている悲嘆について,より広く知らせることにつながりうるからである。我々のテロリズムと比較すれば,アルカーイダのテロリズムは取るに足らないものなのだ,と。

このような隠蔽には何らこそこそしたところはない。白昼堂々と行なわれるのだ。

■『ランセット』のレポートをめぐる“沈黙”
隠蔽の最も衝撃的な最近の例は,10月29日の信頼性の高い医学誌『ランセット』によるアナウンスメントの後を受けてのものだった。同誌は英米の侵略の結果として,10万人のイラク人が死亡したという推定をしている*6。死亡のうち84パーセントが英米の軍事行動が原因となっており,さらにそのうちの95パーセントが,空からの攻撃や大砲による攻撃によるもので,死者のほとんどが女性や子どもだった,という内容であった。

優れた仕事をしているMediaLensの編集者たちが,このrushを――いや,stampedeをウォッチしている。メディアはこのショッキングなニュースに対し「懐疑的な見方」をし,沈黙することでショックを和らげたのである(MediaLensより引用)。

MediaLensでは11月2日時点で,ランセット・レポートはオブザーヴァー,テレグラフ,サンデー・テレグラフ,フィナンシャル・タイムズ,スター,サン*7など数多くの新聞には無視されている,と報じている。BBCはこのレポートについては政府の「疑問」に沿うかたちで報じ,民放のチャンネル4はダウニング・ストリートのブリーフィングに依拠して酷評した。

ランセット・レポートは厳密な査読を経てまとめられているが,このレポートをまとめた科学者たちは,1人の例外を除いて誰も,10日も経つまでこの内容を立証するよう求められなかった。

発表の10日後,戦争賛成派のオブザーヴァー紙がランセットの編集長のインタビューを掲載したが,これは偏った記事で,編集長は「批判の声にこたえる」かのようだった。MediaLensの編集者のひとりであるデイヴィッド・エドワーズは,メディアの批判に応えるよう研究者たちに訴えた。彼らの微細なdemolitionは,medialensの11月2日に記載されている。

このようにして,「我々が」このような殺戮を行なったという考えられないことは,隠蔽された――ノーマルな状態にされたのである。米英の主導した経済制裁の結果として,5歳未満の幼児50万人を含む100万人以上のイラク人が死亡したことが隠蔽されたことを彷彿とさせる。

【翻訳者補記】
ピルジャーのこの記事には書かれていないのですが(おそらくは下書きとかの段階では書かれていたんじゃないかと推測はするのですが),ランセット・レポートは「調査手法に問題があるのではないか」として,メディアでは黙殺されました。この「調査手法に問題が」というのは,首相のスポークスマンの発言とそっくり重なっています。これらの経緯はmedialensの11月2日に書かれています。あと,当ウェブログで日本語にしてある10月28日のガーディアン記事で私が感じたのは,a culture of news managementの存在です。
【補記ここまで】

(イラク戦争の犠牲者が10万人であるというレポートを「調査手法が疑問である」として無視したのとは)対照的に,サダム・フセインの犠牲者が30万人集団墓地に埋められていると宣言したイラク特別法廷の調査手法については,メディアは一切疑問を投げかけていない。特別法廷はバグダードの売国政権が作ったもので,アメリカ人によって運営される。尊敬を集める科学者たちは,特別法廷とは関わりたくないと考えている。

BBCが「イラクの初めての民主的選挙」と呼んでいるものについては何も疑問が投げかけられていない。6月に通った2件の法令で米国が選挙プロセスをコントロールできるという事実については,一切報じられていない。その法令では,ワシントンが好まない政党は「選挙委員会」が消滅させることができるようになっているのだ。米国の『タイム』誌は,CIAが好ましい候補者を買収していると報じている。CIAが世界各地で選挙に不正工作を行なって(fix)きたやり口だ。選挙が行なわれた場合には,アメリカの操り人形が「民主的に」選出されているというのに,またぞろ一票の尊さなどというクリシェに私たちは押し流されてしまうであろう。

■米大統領選挙における“沈黙”
これのモデルとなったのは,米大統領選挙の「カバー(coverage)」であった。11月2日に起きたことはまともに動いているデモクラシーではなかった。しかし報道は,そのような考えられないことに際しても,常套句を並べ立て,それを何でもない(ノーマルな)ものとしていた。ロンドンから飛んだ連中のうち,1人の例外を除いては,誰一人としてブッシュとケリーのサーカスのことを,人口の1パーセントにも満たない超富裕層,権力を握り戦争経済を思いのままに動かしている層による計略であるとは述べていない。敗北したのは民主党だけではなく,誰に投票したかに関わらず米国の大多数の人々なのであるということは,口にできないことだったのである。

ジョン・ケリーが,ブッシュの行なった悲惨なイラク攻撃と「対テロ戦争」を対置することによって,イラク侵略に対する一般大衆の不信を,世界に冠たるアメリカへの支持を高めることに利用しただけだった,ということを伝えた者は誰もいなかった。

「イラクからの撤退のことを言っているのではありません。私が言っているのは勝つことです!」とケリーは言ったのだ。このようにして,ケリーもブッシュもさらに右傾化を押し進めた。何百万人という反戦を唱える民主党支持者が,米国は「カオス」が生じないよう「仕事を最後までやり遂げる責任」があるのだと説得されるように,だ。

大統領選挙で争われたのは,ブッシュかケリーかではなく,外国の占領地の戦争経済と,国内での経済格差だった。だがこれについては沈黙が続き,その沈黙は米国でもここ英国でも包括的なものだった。

定義がお粗末な脅威の与える恐怖を,ブッシュはケリーよりも巧みに掻き立て,それによって勝利した。ブッシュはいかにしてこのようなパラノイアをノーマルなものとすることができたのだろうか? 少し前のことを見てみよう。

■「脅威」の利用
冷戦が終結すると,米国のエリート層は――共和党であれ民主党であれ――一般大衆に対し,戦争経済に費やされていた巨額の費用は「平和の配当金」に当てられるわけではないということを受け入れさせるために,苦心惨憺することとなった。過半数の米国人は,冷戦終結後もまだ,共産主義の脅威と同じくらいに甚大な「脅威」が存在しているとは信じようとしなかったのである。しかしだからといって,ビル・クリントンがペンタゴンの「あらゆる方面の優位(full spectrum dominance)」という戦略を支持した史上最大の「防衛」法案が議会に送られることが難しくなったわけではなかった。

2001年9月11日,脅威に名前が与えられた――イスラム。

■9.11についての議会報告書
最近フィラデルフィアを訪れた際,私は書店の棚に9.11についての議会報告書(the Kean Congressional report on 11 September)が置かれているのを見つけた。「どのくらい売れてますか」と私は尋ねた。「1,2冊ですね」という返事だった。「もうすぐ棚から消えますよ。」

しかし,この地味な青い表紙の書籍はさまざまなことを明らかにしている。イラク侵略の前にブレアが情報を操作したという動かぬ証拠を事細かに明らかにし,それから急に控えめな調子になって誰の責任でもないと結論付けたバトラー・レポート*8と同じく,9.11議会報告書も実際に何が起きたのかを耐え難いほどにはっきりさせてから,それを正面から見据える結論を導くことをしていないのだ。考えられないことをノーマルにしている実例としては最上級である。結論は強烈なのだから,このことは驚くべきことではない。

最も重要な証拠は,北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)司令官のRalph Eberhart将軍の出したものだ。「航空管制があと13分早く対処を要請してきていたならば,空軍のジェット戦闘機は,ハイジャックされた旅客機が世界貿易センターとペンタゴンに突入するのを妨害できたはずだ」と彼は言っている。「……3機とも……4機とも,我々が撃墜できただろう。」

どうしてこうならなかったのか?

9.11議会報告書は,「9月11日の米国の空の防衛は,既に存在した訓練やプロトコルに沿っていなかった」ということを明らかにしている。

「ハイジャックが確定した場合,当番のハイジャック・コーディネイターはペンタゴンの国家軍事指揮センター(NMCC)に連絡を取らなければならないことになっている。……NMCCは,連絡を受け次第,国防長官の承認を得て,軍事支援を提供しなければならない……」。

特異なことに,このような手筈が取られなかったのだ。

9.11調査委員会は連邦航空当局の副局長から,9月11日の朝に通常どおりの手順が取られていない理由は何もないとの証言を得た。Monte Belger副局長は「私は30年の経験がありますが,その間ずっと,NMCCは常に通信網に乗っていて,常時すべての通信を聞いていました。……私はこれまでにハイジャックは何十回と経験していますが……MNCCはほかの当事者すべてと一緒に,常に通信を聞いていたのです」と述べている。

しかし9月11日に限っては,NMCCは通信を聞いていなかった。議会報告書ではNMCCには知らされていなかったとしている。何故か? ここでもまた,特異なことに,軍部の最上層部への回線がすべて落ちてしまったのだと委員会は証言を得ている。ドナルド・ラムズフェルド国防長官は所在がわからなかった。そして,1時間半後にようやく長官がブッシュ大統領に話をしたときには,「短い会話で終わった電話で,撃墜権限についての話はでなかった」と報告書にはあるのだ。

その結果として,NORADの司令部は「自分たちの任務が何であるか皆目わからない状態のまま」に置かれていた。

報告書は,それまでエラーなく動いていた指令システムのうち,9月11日にちゃんと動作したのはほんの一部であり,それはチェイニー副大統領が執務を担当し,NMCCと密に連絡を取っていた日に,副大統領のいたホワイトハウスの中の通信網であったことを明らかにしている。ハイジャックされた旅客機のうちの最初の2機について,副大統領が何もしなかったのは何故なのか? 決定的なリンクであるNMCCが当初まったく沈黙していたのは何故なのか?

キーン調査委員長はこれを発表することを,傍目にもわかるくらいにはっきりと拒んでいる。

むろんこれは,通常あり得ないくらいの偶然が重なった結果でもありうるが,そうでないかもしれないのだ。

2001年7月,ブッシュ大統領のために用意された最高機密のブリーフィング書類には次のように書かれている。「我々(=CIAとFBI)は,OBL(=オサマ・ビンラディン)が数週間のうちに米国および/またはイスラエルに対し非常に大きなテロ攻撃を仕掛けてくることを確信している。その攻撃は非常に派手なものとなり,また,米国の機能あるいは利害に対し甚大な損害を与えることを企図したものとなるであろう。攻撃の準備はなされている。攻撃は警告などほとんどなく,あるいはまったくないままに,行なわれるであろう。」

9月11日午後,米国を攻撃した者たちに対処できなかったラムズフェルド国務長官は側近に対し,イラク攻撃を進めよと告げた――攻撃の根拠など存在してもいなかった段階で。

■「考えられないこと」としてのイラク侵略
その18ヵ月後,イラク侵略が行なわれた。イラクからの攻撃に対応したものではなく,現在でははっきり虚偽と判明している嘘に基づいての侵略だった。この前代未聞の犯罪は私たちの時代の最大の政治的スキャンダルである。西洋が他国を征服しその資源を収奪してきた20世紀の長い歴史の,現在の時点での最終章である。

このようなことがノーマルにされることを私たちが許せば,「民主的な」政府の中心にある隠された目的と秘密の権力構造を問い,それを解明することを私たちが拒めば,そしてファルージャの人々が私たちの名のもとで叩き潰されることを私たちが許せば,私たちはデモクラシーもヒューマニティも明け渡してしまうことになるのだ。

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ジョン・ピルジャーはニューヨーク州コーネル大学の客員教授。最新刊のTell Me No Lies: investigative journalism and its triumphsは英国ではランダムハウス社から出版されている。

First published in the New Statesman - www.newstatesman.co.uk
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【訳注】
*1:
ハーマンのこの論文を探して検索してみた結果見つかったページによると,The Banality of Evilというタイトルは,ハンナ・アーレントにちなんでいるようです。イスラエルの諜報機関によって1960年にアルゼンチンで身柄を拘束された,元ナチス・ドイツ政権幹部のアイヒマンについて,アーレントは「彼の行なった残虐行為はまさに恐ろしいものだったが,しかし彼自身は何の変哲もないような人物(banal person)だった。凶悪な性格だったわけではない」というようなことを書いています。

*2:
BBC Radio 4のToday(公式ウェブサイト)は,平日の朝6時から9時と土曜日の朝7時から9時に放送されている言論・報道番組。ちなみに,2003年7月の英国国防省顧問のドクター・デイヴィッド・ケリーの死(自殺と断定)をめぐって行なわれたハットン調査委員会およびその報告書(「ハットン・レポート」,2004年1月)で改めて注目された「英国政府の出した『サダム・フセインの大量破壊兵器は45分で使用も可能』との証拠書類は,事実を歪曲していた」との報があったのは,この番組です。(レポーターのアンドリュー・ギリガンはこの件でBBCの職を失いました。)「45分」については2004年の10月になって,英国政府は正式に撤回しています。

*3:
untermenschenは,本文中にあるように,ナチス・ドイツの用語。米軍がイラク人のことをuntermenschenとみなしているというのは,2004年4月に英デイリー・テレグラフなどが報じた内容です(インタビューに応じた英軍司令官がそう述べた)。ウェブ上で日本語で読める関連情報としては,たとえば反戦翻訳団さんの記事(2004年4月22日)があります。

*4:
この手紙はどなたかが日本語にしてくださっていて,多くのウェブログやウェブサイトに転載されています。当ウェブログでは11月3日記事,「ファルージャ市民からの手紙」をご参照のほど。原文はこちらなど。

*5:
junior ministerは,英国の政府において,国会議員から選ばれるministerで,閣僚ではないministerのこと。日本の「副大臣」と同じような役割ではないかと思います。Chris Mullin(←「マリン」か「ミュリン」かわかりません)は労働党の国会議員で,2003年からParliamentary under secretary, Foreign and Commonwealth Office(=外務省のjunior ministerということ),議員になる前はBBCとトリビューンでジャーナリストをしていたという経歴。英外務省にはこの人のフォトライブラリーがあります(雰囲気がちょっとジョン・メイジャーっぽい?)。しかし,最も肝心なこと,すなわちピルジャーがここでremember?といっているのが何のことなのかは,私にはわかりません@役立たず。お分かりの方がいらしたら,どうかコメント欄でご教示ください。

*6:
ランセット・レポートについては,当ウェブログでは当該記事の抜粋10月28日のガーディアン記事があります。

*7:
箇条書きにします。
・the Observerはthe Guardianの日曜日版。(ガーディアンは報道はしています。)
・the Telegraph (=the Daily Telegraph) and the Sunday Telegraphは保守系の新聞。(ということは,テレグラフは平日版も日曜版も言及なしってこと。)
・the Financial Timesは経済紙。(いわゆる「リアリスト」の視点での論説が掲載されていたりする。)
・the Starはエロとスポーツ満載のタブロイド。(ウェブサイトがないのでよく知りませんが。)
・the Sunはエロとスポーツとアジ演説満載のタブロイド@右翼(反EU,移民反対などの傾向)。
……ここに名前のない主な全国版の新聞&タブロイドは,インディペンデント,タイムズ,デイリー・ミラー,デイリー・メール,デイリー・エクスプレス。英国はこれらのほかに地域新聞がたくさんあります。

*8
英国における「情報の誤り」についての調査委員会が「バトラー・インクワイアリ(バトラー調査委員会)」で,その報告書が「バトラー・レポート(バトラー報告書)」。バトラーは委員会の責任者の名前。詳細は当ウェブログの2004年7月15日記事などを参照。


ジョン・ピルジャーはこの記事の前にも「考えられないこと(unthinkable)をノーマルなものとする(normalise)」ことについて,エドワード・ハーマンを引用して,文章を書いています。→2003年4月21日に英インディペンデントに掲載された"The Unthinkable Is Becoming Normal":日本語化されたものが,ヤパーナ社会フォーラムさんのサイトにあります(翻訳は荒井雅子さん/編集は安濃一樹さん)。

ピルジャーの記事は,これまでに私(=いけだ)もいくつか日本語にしていますが,益岡さんのサイトにもいくつかアップされています。また,ピルジャーの著書"New Rulers Of The World"の日本語訳『世界の新しい支配者たち』が岩波書店から出ています(ISBNは4000236415)。

米国の9.11報告書はamazon.co.jpなどでも買えます。価格は1000円足らず,ISBN 0393326713です。


投稿者:いけだ
2005-01-07 08:58:10

医師たちによると、ファルージャでの死者数が増えている

2004年12月28日に続き、国連人道問題調整局発のファルージャの状況に関する記事。

医師たちによると、ファルージャでの死者数が増えている
2005年1月5日
国連人道情報局(IRIN)
原文

ファルージャ発2005年1月4日(IRIN)

「破壊された家から遺体を運び出すのは本当に悲しい。とりわけ遺体が子どものときは。戦争がはじまってから私が経験した中で、本当に最も気の滅入る状況だ」。こう語るのは、バグダードの西約60キロに位置するファルージャの総合病院の院長ラファー・アル=イサウー医師である。

同病院の緊急医療団は、かつては家や商店だった瓦礫の中から700人以上の遺体を掘り出したとアル=イサウー医師は言う。

さらに、そのうち550人以上の遺体は女性と子どものものだったとも。それらの場所から掘り出された遺体のうち男性の数はとても少なく、しかもそのほとんどが老人だったと彼は言う。

病院の医師たちは、多くの遺体が、発見されたときにはずたずたになっており、手足がない遺体もあったと述べる。二人の乳児の遺体が自宅で発見されたが、病院の専門家は死因は栄養失調だと思うと語っている。

アル=イサウーは、犠牲者数は、ファルージャの9地区だけについてのものであり、残る18地区についてはまだ遺体捜索を行なっていないと言う。これらの地区への立ち入りの便を得るために、イラク赤新月社からの助けを待っているところだと。

彼はまた、既に3週間近く前、米軍の承認のもとでファルージャのガルマ地区とアミリヤ地区の死者の多くは既に市民の手で埋葬されており、それらの遺体の数は入っていないとも説明した。

イラク赤新月社の職員は、IRINに対し、正確な死者数を把握するためにはもっと時間が必要であると語り、さらにファルージャは完全に居住不能であると付け加えた。

イラク保健省職員は、IRINに対し、現在死者の数を調査中だと述べ、さらにファルージャの医者たちの言葉に反して、殺された女性と子どもの数は極めて少数であると主張した。彼らはまた、現在米軍と協力して、ファルージャ内で保健システムを回復すべく働いているとも述べた。

ファルージャに入るために何時間も待たされたあとでようやく自宅に戻った住民たちは、2カ月近く前に始まった米軍と反対勢力(イラク政府から手配されているヨルダン人テロリストアブ=ムサブ・アル=ザルカウィの支配下にあると言われている)との戦闘により、自宅のほとんどが完全に破壊されているのを目にした。

「ここで6時間以上も待っているのですが、今もファルージャに入れません。私が住んでいた地区では戦闘は終わっているのに。民間人への配慮など何一つないのです」と7人の子どもをもつサミラ・アル=ジュマイリはIRINに言う。

ファルージャの状況は今もはっきりしていない。米軍海兵隊報道官クラーク・マシュー大佐によると、一部の地区では夜間の攻撃が続いているという。米軍は住民に、夕方18時から朝6時までの外出禁止令時間帯には外出するなと言っている。

マシューは、攻撃のほとんどは町の安全を保つため[ママ]に米軍が駐留している地区で起きているが、今月末までには状況は掌握され、そうすればファルージャ再建が始まるだろうと説明した。「すぐにでもファルージャ再建が始まり家族が新生活を感じられることを望む」とマシューは付け加えた。

「米軍は、ファルージャは速やかに再建されると言っていますが、私には、この町に最低限の生活環境が整うためにはあと1年は必要だと思われます。私は今も、一体全体彼らが民主主義というものが何なのか知りたくて捜しているんです」。こうIRINに語るのは、ファルージャの住民ムハンマド・クバイシである。彼の自宅と2軒の店舗は戦闘[ママ]で破壊された。

「米軍は、ファルージャは速やかに再建されると言っていますが、私には、この町に最低限の生活環境が整うためにはあと1年は必要だと思われます。私は今も、一体全体彼らが民主主義というものが何なのか知りたくて捜しているんです」。こうIRINに語るのは、ファルージャの住民ムハンマド・クバイシである。彼の自宅と2軒の店舗は戦闘[ママ]で破壊された。

「彼らは私たちに自由をもたらしにきたと言いますが、今、イラク人全員が自宅にいながらにして囚人となっています」と彼は続ける。

「ファルージャに住むのは不可能です。水も電気も下水もありません。病院でさえ、町の家族全員に最低限の安全を保障することができません。十分な薬もなく、空中には死体の異臭が漂っています」とアル=イサウーは言う。

ファルージャ住民はイラク政府[ママ]に、記者やテレビ・クルーがファルージャに入って現実を見せることを求めている。

政府は、特別なIDカードを持つ記者たちだけを認めると言う。それは、記者たちの安全を慮ってのことだと。多くのジャーナリストが、町を見張る米軍からの承認を得られずにファルージャの入り口で追い払われた。

「誰かがここに来てファルージャの現実を見せることが必要なのです。ジャーナリストがいても、海兵隊がその後をついています。私たちには助けが必要なのです。世界はファルージャの本当の姿を見るべきです」とアッバス・アル=ズバイニ師はIRINに語った。

[本ウェブに含まれる情報は、国連IRIN人道情報部が提供しているものであるが、必ずしも国連自体やその機関の見解を反映しているものではない。この記事を再掲したりコピーしたりアーカイブ化したりポストするときには、この但し書き・注意書きを忘れずに付加すること。引用や抜粋の際には情報源を指示すること。本サイトの画像や写真は原所有者の明示的許可なしに再掲を禁ずる。すべての情報の著作権は国連人道問題調整局が所有している。]

国連関係の記事らしく「政治的に正しく」、破壊のほとんどが米軍によるものだということを曖昧化するために、「戦闘で破壊された」「米軍と反対勢力との戦闘により破壊された」といった不可解な表現が使われています。

さらに、破壊と殺害の中心主体たる海兵隊のマシュー大佐が自分たちが殺した人々の遺族に期待する、「家族の新生活」。

ジャーナリストの後を海兵隊が付いてくる。なじみ深い話です。1975年にインドネシア軍が東チモールを侵略して不法占領下に置いていらい、15年近く、インドネシアは東チモールを完全に閉鎖していました。その中で虐殺・拷問・強姦・強制収容所送りなどが続けられ、全人口の3分の1にあたる20万人が命を落としました。

そうした中、都合の良いところだけを見せるために記者を案内することがありました。たとえば1978年7月18日、朝日新聞に、東チモールに関して次のような見出しの記事が掲載されました(インドネシアの独裁者で東チモールを侵略し不法占領していたスハルトが、東チモールを訪問したときに随伴した山口特派員という人物が書いたもの)。

    「見えない内戦の傷跡」
    「大統領訪問を歓迎」
    「豊富な商品、物価も平静」

1978年。人々が山に逃れて抵抗を続け、残った人々の多くが強制収容キャンプに押し込まれ、飢餓や病気、虐殺などで数万人の人々が殺されていた、東チモール人に対する虐殺と侵害が最も激しかった時代。国際赤十字が、人道的破局であると警告を発したとき。

このとき、スハルト大統領訪問に付き添った記者団は、インドネシア警察のエスコートを受け、あらかじめ決められた限られた場所しか取材を許されていませんでした。強制収容キャンプに入れられていたため、殺害されて海に投げ捨てられたために、拷問所に繋がれていたために、山に逃れて抵抗運動をしていたために、不法侵略者インドネシアの独裁者スハルト大統領の訪問を「歓迎」できなかった人々と、その遺族が多数いたことを、私は知っています。一部の人は、個人的にも。

「メディアご一行様ご案内ツアー」以外の報道はさせないというのは、あからさまな軍事独裁国家や国家安全保障国家でしばしば使われる方法です。インドネシアだけでなく、旧ソ連やチャウセスク政権のルーマニア、現北朝鮮などで。そして米国がその侵略先や無法収容所で[ご一行様ツアーすら拒絶しているみたいですが]。

現在のファルージャは、それと極めて近い状況に置かれているようです。東チモールでは米国はインドネシア軍を訓練し武器を提供することで間接的な役割を果たしていただけですが、ファルージャでは直接手を下して。


投稿者:益岡
2005-01-06 23:43:42

市への入り口でデモ(Juan Cole blog)

ファルージャへの入り口のところで,ファルージャ市民がデモを行なったという報道が,新聞と衛星放送であったそうです。Juan Cole教授のウェブログ,1月2日の記事。

ファルージャ市民,数千人規模でデモ
Thousands of Fallujans Demonstrate
http://www.juancole.com/2005/01/thousands-of-fallujans-demonstrate-ash.html
Sunday, January 02, 2005

アッシャルク・アルアウサト紙 土曜日(1日),おおかた無人となっているファルージャ市へのメインの入り口で,何千人単位(thousands:「何万」をも表す)のファルージャ市民がデモを行なった。市民たちは米軍は市を撤退すべきである,私たちが戻れるように基本的なサービスを修復すべきである,と要求した。目撃した記者が現場から電話で,デモは推定3万人によって行なわれていると報告してきた。(コール注:私はこのデモの様子をアラブの衛星放送で流れた映像で見た。確かに大きなデモだったし,重要なものであることにも異論はないが,人数は数千といったところではないかと思う。3万人もが門のところに集まっているとなると,ロジスティック面でも問題が出てくるのではなかろうか――例えば,飲み水はどうするのかといった点で。)

デモ参加者の掲げていたプラカードには,ファルージャ市民は軍事占領の下で生活することを拒否すると書かれていたものもあった。デモ参加者は要求事項をリストにしたものを提出した。そのリストには,ファルージャへの帰還を円滑に進めること,公共サービスを速やかに回復すること,破壊され尽くした街を再建すること,住民に対する補償金の支払いなどが書かれていた。彼らはまた,帰還者は身分証明書類を示すようにという米軍の要求に抗議した。多くの人々が,そのような書類は脱出したときに家に置いてきてしまったと言っている。

子どもたちは「お父さんを返せ」とか「僕の家はどこに行ったんだ? あなたは解放者だったはずではないのか?」と書かれたプラカードを持って行進した。

何人かのデモ参加者は,帰還住民は海兵隊によって,彼らが街を出ていた期間にファルージャに残されていた食料は食べないようにと指示されている,と語っている。

ということは,米軍はファルージャ攻撃で化学物質を使ったということを暗に示しているのではないかと私は思う。そうだとすれば,食料は汚染されているかもしれない。しかしこの疑惑は,私にとっては何も意味を成さない。私は米軍が本当に化学物質を使ったとは考えていない。化学物質を使うことによってパブリック・リレーション的に難しいことになる危険を冒したとは思えないのだ。それに,食べ物を食べられない状態にしてしまうような化学物質など,米軍が持っているとも考えられない。

ファルージャのデモはニュースになるくらいには大きなものだった。しかし,私の見た限りでは西側の新聞や通信社では,一切記事になっていなかった。

posted by Juan @ 1/2/2005 06:25:53 AM



冒頭の「アッシャルク・アルアウサト」は日本の報道記事でもよく目にする新聞ですが,ロンドンに拠点を置くアラビア語の新聞だそうです。アラブ地域で読まれているということですが,「サウジアラビアの人たちが経営している新聞」といっていいんではないかと思います。ウェブサイトはhttp://www.asharqalawsat.com/ですが,アラビア語です。about usに相当するProfileページは英語です。メディア解説のサイトでちょっとした説明(英語)もネットで読めますが,それによるとこの新聞をよく読むのは支配者層のようです。


投稿者:いけだ
2005-01-05 06:36:48

新たな拷問ケースが調査で明らかに

米軍がイラクで運営する収容所で米国企業が拷問・虐待・強姦に関与していた証拠を調査する法律家グループは、拷問が根深く体系的であることを示す情報を次々と入手している。ニュースタンダード紙より。

新たな拷問ケースが調査で明らかに
リサ・アシュケナス・クローク
NewStandard紙原文
2004年12月31日

イラク全土の米国が管理する収容所に入れられていた男女に対する聞き取りを行なっている米国の法律家チームは、2004年8月に最初の事実確認使節を派遣して以来、新たな虐待と拷問のケースが次々ともたらされていると語っている。

ミシガン州在住の弁護士シェリーフ・アキールがニュースタンダード紙に語ったところでは、12月にヨルダンのアンマンに赴いて釈放された被拘留者と面会して以来、虐待がなされたという主張一つ一つを数え確認する時間はとれていないが、少なくとも100ケースは「絶対に間違いなく」あると述べている。拷問を生き延びた人々の証言を整理し、それを目撃証言と関連づければ、300ケースにのぼることになるだろうと彼は言う。

この法律家チームは、既に50人以上の元被拘留者からの証言を記録している。これらの証言は、イラクで米国が運営している収容所や刑務所のネットワーク全般で行われたとされる重大な虐待、強姦、拷問、侮辱、宗教的に品位を傷つける行為を詳しく述べている。8月の調査で、アキールと調査に参加したモハメド・アロマリはまた、宗教的被拘留者を体系的に標的としたことが伺えることを明らかにしている。また、2004年7月に至っても、看守たちが15歳の少年を強姦していたことも明らかにされた。

2004年の10月および12月上旬にさらに2度元被拘留者への聞き取りを行なったあと、同チームが公式に取り扱う虐待ケースの数は、少なくとも2倍に増加した。イラクで混乱が増大しているため、アキールのチームはイラクを訪れることができない。そのため、イラク人にバスでヨルダンに来てホテルに滞在して貰い、戦争から少しだけ離れて一息つけるところで、釈放文書を含む収容所が発行した文書を見せてもらい、恐ろしい経験を語ってもらうというかたちの聞き取りを行なっている。

「私たちが聞き取りを行なっている人々は釈放された人々です。これらの人々は何ら告発されることなしに釈放されました。実際これらの人々は何ら告発されることなしに拘束されたのです」とアキールは言う。「そしてある日書類を受け取ります。時間は終わり、何が何だかわからないけれど釈放だ」。

新たにわかったケースは、これまでの証拠が示していた事態をさらに確実なものとしている。すなわち、何の犯罪を犯したと告発されたわけでもないのに収監されたイラク人に対して侮辱と虐待を行うという広範にわたって採用された方針、さらに、とりわけ信心深い被拘留者を体系的に標的とすること、である。

法律家チームが記録したケースの中で多くを占めるのは、聖職者をはじめとするコミュニティの指導者たちのケースである。アキールは、ケースを記録するためにインタビューした元被拘留者の中に、専門的職業に就く人々や聖職者が多いことに驚いたと語っている。

「こうした人々----弁護士や医師、薬剤師など----は、ただイラクの人々を助けようとしていただけなのです」とアキールは言う。彼は、とりわけ、イマームや部族の指導者たちが語った虐待の数とその性質について憂慮しているという。「イマームを拷問し、裸の女性にむりやりイマームの食事を持っていかせたりするとき・・・・・・イマームたちは信者にアメリカ人について何を語ることになるでしょうか?」とアキールは言う。

アキールが語ったケースの中には、ある男性が宗教的に日中断食している際、夜どおり食事は提供されず、断食を始めなくてはならない時間の直前にだけ食事が与えられたと語っている。この扱いは「何日も」続いたと。

釈放文書の検討を通して早々とわかった予想もしなかったことの一つは、元被拘留者たちは米軍がイラクで運営する収容所の25箇所もで不法な取り扱いを受けたと述べていることであった。このことは、アブグレイブの拷問スキャンダルは一施設のみに限られたものだという米国政府の公式の立場を覆すものである。アキールによると法律家チームは現在、「25以上の収容所」におけるケースを記録している。

「聞き取りを行えば行うほど、ますます多くの収容所の実態が明らかになる」とアキールのパートナーであるアロマンは言う。

拷問を受けたと申し立てる人々の大多数は男性である。妊娠していることがわかって自殺した一人の女性を除いて、申し立てをした女性はわずか10人程であるとアキールは言う。けれども実際には、米国人看守によるイラク人女性に対しての性的虐待や拷問は蔓延しているとの疑いがある、と。

「女性たちにとって、とてもとても困難な状況です」とアキールは述べた。性的虐待を受けた男性は村八分にされるかもしれないが、女性は家族の手で殺されさえする可能性が高く、少なくとも完全に遠ざけられて結婚は決して許されなくなると彼は説明する。

アキールは、尋問者たちが女性たちはまず語らないだろうことを知っており、「文化を利用している」と避難する。彼は、あるケースでは、男性被拘留者の真向かいの監房で看守たちが女性被拘留者を後ろから強姦したケースについて語った。調査団がこの犯罪の証人[真向かいにいた男性]から話を聞いたとき、証人は、この女性はその苦しみを被っているとき彼を「死んだ目」で見つめていたと証言したとアキールは語る。この証人は、事件について証言するとき「鉛色」の顔をして涙を流していた、と。


契約企業の職員は批判を逃れている

現在、人数を増しつつあるイラク人原告の代理をしているアキールと同僚の弁護士たちは、イラク収容所での侵害に関して明らかにされた数百のケースをめぐり集団訴訟に持ち込む手続きを進めている。「憲法権利センター」(CCR)によるコーディネートのもとで、訴訟は、CACIインターナショナルとタイタンという政府と契約した企業が、私企業の尋問者と通訳を使うという疑問の多い新たなやり方の中で自分たちの効率性を示すためにより多くの自白を手にしようと残忍な技術を用いたことを訴えている。

4年前、軍のパトリック・ヘンリー副長官は軍の諜報収集を営利企業にまかせることが本質的に伴う危険を指摘していた。2000年12月26日のメモで、ヘニーは軍諜報に、就任予定のブッシュ政権が推進することが予期される私営化方針から軍の諜報を例外とするよう求めていた。ヘンリーは、諜報収集機能を私企業にまかせることは「米国の国家安全保障にとって」危険であると述べていた。

アブグレイブに関する米軍レビューの中でCACI社とタイタン社に対する批判が最初に現れたとき、米国下院議員ジャン・シャコースキー(イリノイ州選出民主党)はただちにイラク収容所に関与している私企業とのすべての契約を停止するよう大統領に呼びかけた。

CACI社とタイタン社は、拷問と虐待への関与をすべて否定し、自分たちに対する訴訟をでっち上げと決めつけた。訴訟に関わっているアキールと弁護団は、軍や政府関係者だけでなく契約私企業も拷問に関係していることを示すホカホカの証拠はまだ見つかっていないことを認めているが、事実発見のプロセスで明らかになった情報を目撃証言と結びつけるならば、契約私企業と拷問との関係もはっきりしてくると考えている。

シャコースキーは2001年以来、軍務に契約私企業を用いることに反対していた。その年の4月、CIAと契約した傭兵企業の職員が、米国人宣教師の乗った飛行機をペルーで撃ち落としていたのである。彼女はアンデス地域で傭兵を使うことを禁止する法案を提出したが採択されなかった。けれども彼女はさらにそれを強く働きかけている。

イラクでの虐待を「サディスティック」なものと呼び、「米国が雇い入れた軍事契約者たちの責任追及をめぐって大きな疑問がある」とするシャコースキーは、2004年5月にブッシュ大統領に送った手紙の中で、契約私企業を使うことにより「米国の人々は金銭に換算して計算しきれない額の損害を受けており、米国人の命も失われ、国際社会での評判も損なわれる」と述べている。

シャコースキーの主任秘書ナディーム・エルシャミはニュースタンダード紙に対し、シャコースキー議員は徹底的な調査を呼びかけており、1月に第109回議会が始まったときには問題をさらに詳しく追求する計画であると述べている。

ヘンリーとシャコースキーは概ね無視されてきた。傭兵企業に対する非難にもかかわらず、米国政府はそれ以降も、CACI社とタイタン社に、納税者の金を使って数億ドル相当の追加契約を与えているのである。

8月の調査段階での記事は、やはりニュースタンダード紙に掲載されています。その日本語版「イラクの刑務所では拷問と強姦が蔓延」もご覧下さい。

米軍や米国傭兵がイラクで行なっている拷問は、単に肉体的なものにとどまらず、精神的・文化的な拷問も同時に含む、心臓が固まり付くような、醜くグロテスクなものです。女性たちが強姦されてもそれを語れないという事情を知りつつ行う拷問。この、言いようもない卑劣さ。

国家安全保障(ナショナル・セキュリティー)という欺瞞のもとで利益保証の暴力行使と汚い行為に狂奔し、さらに責任逃れそして結託企業を設けさせる手段としてそれを「私営化」「外注」するという人間不在の戦争経済体制----今日本が躍起になって後追いし採用しようとしている体制----の帰結がここに現れています。

イラク侵略を支持した小泉首相の言葉:

日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました。私は先程のブッシュ大統領の演説を聞きまして、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかと。今までブッシュ大統領も国際協調を得ることができるように様々な努力を行ってきたと思います。そういう中でのやむを得ない決断だったと思い、私(総理)は、米国の方針を支持します。

2000人もの人々を殺し、人口30万人の伝統ある都市を廃墟にした11月のファルージャ攻撃という戦争犯罪を、「成功させなければならない」とのたまった小泉氏は、ここに述べたような拷問や強姦・虐待をもまた、支持してきたわけです。

投稿者:益岡
2005-01-03 14:00:32